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遠景(2/4)

https://m.youtube.com/watch?v=1QZfK9O3wOM

「すみません。起きてください。すみません」

 言葉遣いは丁寧だが、声音は高圧的だ。「お食事のみに使ってくださいね、こちらは。ダメですよ。お休みになるんであればお帰り下さい」

 あの人たちは自分を起こしてくれなかったんだろうか。老人があたりを見回すと、ほかの年寄りたちはもう誰もいない。せめて一声かけてから行ってくれればいいものを。もういまごろはどこにいるんだろうか。つまらない。当てが外れた。

 今日が暇になってしまった。するべきことがあった気がするが、頭が鈍くなって思い出すことができない。何かしら、いろいろあったはずなのだが。

 老人は席を立った。何か音楽が頭の中を回っているようだった。ディラン効果という名前である。昔これで論文を一つ書いたことがある。そのときこの現象を止める方法も調べたはずだったが、老人は思い出せなかった。しかし思い出す必要もなかった。頭の中の音楽はすでに鳴り止んでいた。

 いつものジャンパーを羽織って、老人は原付にまたがった。トゥデイ。中古。八万三千円。日が昇りきると暖かな日で、バイクで少し遠くへ行こうという気になった。

 県立図書館へ来ると、別にどうということはなかった。何か本を読むような目的があって来たわけではない。老人は、二階建ての図書館の一階ばかりをうろついた。もうすぐ年度が替わる。受験勉強をする学生がいないため、図書館は全く閑散としていた。定年の直前か、どうもその近辺らしき風貌のスーツを着た男が、ほかには誰もいない長椅子に、靴を脱ぎ両足を伸ばして座っていた。両手を膝のあたりに置いて、静かだった。

 老人が歩くのに疲れてソファー席で休んでいると、後ろの方で硬貨を数えているのだろうか、チャリチャリと音をさせている人がいる。その人は、二、三分硬貨を数えると、立ち上がってどこかへ行ってしまったようだった。ところで、先ほどまで浮浪者がここに座っていたのだろうか、老人の座っているソファーは変な臭いがする。老人はマスクを着けて、長いこと座っていた。

 受付の前にAVスペースがある。ここでは名画や名曲を、小さなブースの中でヘッドフォンを着けて視聴することができる。四つある席はどれも空いていた。老人は試しに中に入ってみた。案内の小冊子。音楽。クラシック。今朝のあの曲は何だったんだろうか。老人は、ハンバーガー屋で起こされたときに何かのメロディを自分が覚えていたことを思い出した。しかし、それがどんなメロディだったのかは思い出せない。ディラン効果だ。懐かしい。そうか、またあの道で、ディラン効果だ。老人は、以前にも同じような夢を見たのを思い出した。あいつが、隣で泣いていたんだな。さみしい、寒いところだ。老人は、妻の泣く声を思い出した。彼女が泣いていたということが指すことは一つしかなかった。

 確かにそれは、老人の聴いたことのある曲だったはずだ。クラシックのページにある曲を上からどんどんかけていく。老人が若かったころ、音楽をかじっていた父の影響でクラシック音楽を聴いていたのが仇になった。どの曲名も、見覚えがあるような気がした。特に見覚えがあると思った曲からかけていき、少し聞いて知らないと思えばどんどん飛ばしていく。それを繰り返していくうちに、老人には、自分が知っている曲と知らない曲の差がわからなくなってきた。とにかく、目に留まった曲をかけ、すぐに次の曲をかける。さまざまな雰囲気を以って曲たちは始まっていった。音の氾濫が、何度も何度も、折り重なって老人の耳に響く。もう曲の前後もわからなかった。ともかく、曲は明確に中絶され、全く新しく、次の曲が始まった。悲しい始まり、明るい始まり、しかしすべて過ぎていった。

 ヘッドフォンを下ろした老人は、答えを見つけられないでいた。意味の見いだせない氾濫の中で、むしろ夢で見た光景が多く思い出されてくる。何度も見た夢だった。一つを思い出せば数珠つなぎのように思い出せた。顔のわからない運転手。抜けられない交差点。そして、交差点を右折した後の、道、その右側に何かが見えたはず……。その光景と、そして曲について、何かを思い出さなければ、何かを知らなければならなかった。泣いていた妻。あの人までもが亡くなったいま、娘の死はどこに流れ着くのだろうか。

「すみません、あの、県内で起きた交通事故とかの情報が、載っている――」

「交通事故?」

「とか、まとまっているものって、ございますか」

「交通事故、ですね。ちょっといま持ってきますので、ちょっとこちらでおかけになって待っててください」

「ありがとう」

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