遠景(3/4)

 しばらくすると、その司書は白い、長細い冊子を持ってやってきた。それは、老人が期待していた何かとは違った。

「こちらが県が出してる『交通事故のあらまし』っていうやつで、こちらが一番新しいものなんですけども、ええと、いつぐらいのものをお探しですか?」

 いつごろか。そうか。「ああ、いつかな」

「じゃあこれが置いてある場所をご案内しましょうかね」

「はい」

 案内されたのは、図書館の奥にある、いかにも資料が並べられていそうなところだった。

「こちらのあたりですね。県の交通情報。こちらの『あらまし』も、ここにあります。で、この緑のシールが貼ってあるものは貸し出しもできますので、でコピーを取ることもできますので、はい、ご覧になってみてください」

「はい、ありがとうございます」頭を下げる。

 書架に並んださまざまな年度の『交通事故のあらまし』を見て、老人はあれから年月の経ったことを感じた。それはその冊子の数によってではなかった。事故について、直接、その動かぬ実態を調べようとしているにもかかわらず、老人の心が静かで、何の動揺もないことに気づいたからだった。先ほどの夢よりも、むしろ現実の方が老人に優しかった。

「完全に、もう他人のことになっているのかもな」と低く声に出してみた。その声は、場に遠慮して小さくもあったから、しゃがれてほとんど発音されなかった。

 老人は、冊子を手に取った。交通事故のあらまし。平成二十三年中。「死者」とは。二十四時間以内に死亡したものをいう。目次。どんな場所に事故が多いか。ページをめくっていく。やはり死亡事故は夜の方が多いのだ。形態。正面衝突。車両相互。事故の発生件数はあまりに多かった。二度も波線で省略された。しかし死者数、三。道路、国道、県道。カーブ。子供(中学生以下)が関係した交通事故。増減数、+一五。高校生が関係した交通事故。死者数、一。増減数、+一。率、+一〇〇。全事故に占める割合、二六。原因、その他一。女性ドライバーが第一当事者となった交通事故。用語の意味。「第一当事者」とは、過失の重い方、又は過失が同程度の場合にあっては被害の程度の軽い方をいう。死亡事故のシートベルト着用状況。老人は不意に、昔習った北京語を思い出して、「第一当事者」をその発音で読もうとした。しかし、ディー・イーと読んだところで「当」の発音が思い出せず、止まってしまった。


〈件名:麻衣さんについて 武村慎です〉

上野 様

ご無沙汰しております。麻衣さんの同級生でした武村です。
先日はご連絡いただいたにもかかわらず、家内が大変失礼な応対をしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。電話でご連絡差し上げようと思ったのですが、あいにく私の帰宅時間が遅いため、メッセージにて失礼します。

十三回忌の折にお会いして以来かと思います。長い間ご連絡を欠いてしまったこと、重ね重ね謝罪いたします。

家内から訊いたところによりますと、上野様のお宅近くの道について、そしてそれに関連する音楽(と家内は申していました)について、何かお話があるとのことだそうですが、現在の段階では何とも申し上げられないところですので、お手数ですが明日の一六:二〇~一六:四五の間に下記の番号にお電話下されば、きっとお話しすることができると思います。詳しくお話を伺えたらと思います。
                              090 1111 0000 武村


〈件名:麻衣さんについて 武村慎です ②〉

上野 様

お世話になっております。武村です。
先日はせっかくお電話をいただいたにもかかわらず、お応えすることができず、本当に申し訳ありませんでした。仕事が立て込んでしまい、一昨日や昨日もご連絡できなかった次第です。
麻衣さんに関する大切なご用件にもかかわらず、大変申し訳ありませんでした。ご伝言の中では、私を叱責するどころか、ご心配までしていただき、恐縮の限りです。

ご伝言によれば、あの道路の右側(お宅に向かって)で、音楽にまつわる何かがなかったか、とのことでした。しかし、申し訳ないことに、あまり心当たりがありません。もう二十年以上前のことですから、私が忘れてしまっているのかもしれません。

右側ではなく、あの道そのものでしたら、当時何度もバイクに乗ってお墓参りや、お家へお邪魔したりしましたから、よく覚えています。寒いときだったので、ネックウォーマーを被り、フルフェイスのヘルメットの内側が何度も息で白くなりました。あの道は、緩やかな下り坂になっていますよね。そして道自体は非常に広くて、タイヤに伝わる感触が柔らかかったのを覚えています。坂から下りながら速度を出したりしました。こうして書いてみると、思っていた以上に覚えていることがあります。ですが、あの道の右側に限っての記憶というのはあまりありません。お墓参りから帰る際に、そちら側を通ります。緩やかな上り坂の先に交差点があって、車通りが非常に多い道でしたから、よく坂の途中で信号待ちをしました。いや、嘘です。そういう時はよく、車の左側を通り抜けて前へ出ていきました。我ながらなんだか薄情ですね。

すみません、少し酔っているみたいなのです。帰るとき、左(つまり上野さんのおっしゃる右側)にあったものの中で記憶に残っているのは、空き地でしょうか。かなり広い土地で、遠くまで下っていっていました。その空き地を越えたところに、大きな自動車道が見えました。現在も、この自動車道は変わらないのではないでしょうか。しかしこれらは、交差点を曲がったときに見ることができるものではないでしょう。木や小屋のような建物のかげになっていたと思います。いや、これも記憶違いかもしれません。ともかく、いまの私に思い出せるのは、これくらいのようです。
                                      武村

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