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辺境日記~構想された真実~

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「隠された真実を思索のサーチライトによって照らしだす」をテーマにした思弁的日記。タイトルは沖仲仕の哲学者ことエリック・ホッファー著作のオマージュです。
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記事一覧

哲学とは郷愁である

こんなタイトルの記事を開かれているぐらいですから、おそらくあなたは大なり小なり哲学に興味をもたれているのでしょう。とはいえ、なぜあなたが哲学に興味をもたれたのかは筆者にはわかりません。きっかけは人それぞれでしょうから。 けれども、これだけはわかります。何かしら人生に行き詰まり、救いを求めて哲学に伸ばした。そうではないでしょうか。 中には純粋に学問として興味をもった人もいるかもしれませんが、筆者の経験則に照らせば、そういう人はかなり稀なケースで、だいたいにおいて哲学に手を伸

ブラックマンデーリターンズ

いや~昨日の日経平均、やばかったですね。歴代1位の下落幅であるブラックマンデーを超える下落幅を記録し、長年生き残ってきた歴戦の株クラスタの人たちですらも、破産級のダメージを受けているのを多数観測しました。 しかも何がやばいって、その前営業日である8/2にも歴代3位の下落幅を記録してるんですよね。んで、今まさにこの日記を書いている今日8/6は、猛烈なリバウンドで過去最大の上昇幅を記録していると。いや、乱高下ってレベルじゃねえぞ。マジで死人がでるわこんなん。 もちろんこれだけ

なぜ意識高い系の若者は、大衆酒場のおっさんを超えられないのか

次から次へと自己啓発系の書籍や動画を渉猟し、意識だけは高く高くそびえたってチョモランマ化するも、せいぜい閉じた狭い界隈におけるグル的存在のセミナーに足を運ぶぐらいが関の山で、これといってそのぶち上がった意識を具現化させるようなことはしていない。 その当然の帰結として、1ミリも現実が動いておらず、決して安くはないお金と人生の貴重な時間を費やして、唯一得られたものはといえば、周囲の苦笑いぐらいのもの。 そういういわば自己啓発ジプシーの人っているじゃないですか。いわゆる意識高い

現代に蘇るソフィスト

名著『反社会学講座』で一世を風靡したパオロ・マッツァリーノさんの以下の記事が話題になっていたので、興味深く拝読しまして。 パオロさん、いいですよね。ユーモアをふんだんに盛り込むことで軽さをだしながらも、内容はちゃんと濃くて読み応えのある内容に仕上がっているという、軽さと重さの一見矛盾した要素を両立させることができる稀有な作家さんだと思います。 有名どころだと『ヤバい経済学』シリーズの著者で知られるスティーヴン・D・レヴィットとスティーヴン・J・ダブナーのダブルスティーヴン

外にはまだ正しい世界がある

アウシュビッツ強制収容所からの生還記と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは、やはりオーストリア出身の精神科医・心理学者であるヴィクトール・フランクルの『夜と霧』ではないでしょうか。 一方でフランクルほど広く知られてはいないものの、同じくアウシュビッツから生還し、その体験を『これが人間かーアウシュビッツは終わらない』に著して、イタリア現代文学を代表する作家の一人となった人物に、プリーモ・レーヴィがいます。 レーヴィが生還できた理由レーヴィは自らがかの地獄を生還することができた理

ゲーマーの耐えられない幼稚さ

語気強めのタイトルで恐れ入ります。とはいえ、賢明なる読者諸氏のことですから、本タイトルがミラン・クンデラ著『存在の耐えらえない軽さ』のオマージュであることは、すでに察していただいていることかと思います。 とまあ、冒頭からいかにも賢ぶったことを言っていますが、正直にぶっちゃけますと、実際に読んだことはありません。読んでもいないのにオマージュとはどういう了見だこの野郎というのは、ごもっともな指摘なのですが、なんせ筆者は昔から小説全般が苦手でして。 何度か傑作と名高い作品にチャ

人生に潜む合成の誤謬トラップ

ミクロ的に見れば正しいことであったとしても、それらが合成されたマクロの世界では、必ずしも意図しない結果が生じることを経済学の用語で合成の誤謬といいます。 経済学の用語と聞くと、いかにもアカデミックで反射的に身構えてしまう人も少なくないかと思います。だいたい誤謬って日常生活でほぼ使いませんしね。「それって誤謬じゃね?ウケるわ~」ぐらいのノリで使われていれば、もっと印象も変わったかもしれないんですけど。 でも、これって実はいろんなところで応用が利く概念なんですよ。われわれの人

選挙に行くべき"でない"理由

周知の通りわが国日本は民主主義国家です。しばしば世界で最も成功した社会主義国家なんて揶揄されますが、実態はさておき少なくとも表向きは民主主義国家です。 〇〇主義というのは、わかりやすく言い換えると「〇〇がいちばん大事」とする考え方のことですから、民主主義は民主すなわち国民がみんなで国のあり方を決めていきましょうよ、とする考え方のことです。こういう考え方で国は運営されていますから、たとえば選挙においては所得や地位などに関係なく、一人一票の権利が平等に与えられています。 民主

Mrs. GREEN APPLEに見る表現の自由

前回の日記で、Mrs. GREEN APPLEによるコロンブス炎上事変について触れた次第なんですが、世間の反応をウォッチしてみると、表現の自由と絡める形で彼らを擁護している人を一定数見かけました。いわく「彼らがどうコロンブスを解釈して曲にしようが表現の自由だろ」と。 そりゃあ権利だけでいえばそうです。というか、実際にその表現の自由を行使して、彼らは今回のMVを世に出したわけですよね。結果的にはすぐさま引っ込めることになったものの、それは別に公権力によって検閲されたとかそうい

『コロンブス』の何がアウトなのか

Mrs. GREEN APPLEが盛大にやらかしたと聞いて、問題のMV『コロンブス』を視聴してきました。(なお、現在公式の動画はコメントも含めて削除されていますが、Xで探せば普通に見れたりします) 率直な感想としては「ああ……これは……アウトやな」でしょうか。公式サイトにアップされた謝罪文で、大森元貴さんは「決して差別的な内容にしたい、悲惨な歴史を肯定するものにしたいという意図はありませんでした」と述べられていますが、いや~さすがにそれは苦しいです。 だって『コロンブス』