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外にはまだ正しい世界がある

アウシュビッツ強制収容所からの生還記と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは、やはりオーストリア出身の精神科医・心理学者であるヴィクトール・フランクルの『夜と霧』ではないでしょうか。

一方でフランクルほど広く知られてはいないものの、同じくアウシュビッツから生還し、その体験を『これが人間かーアウシュビッツは終わらない』に著して、イタリア現代文学を代表する作家の一人となった人物に、プリーモ・レーヴィがいます。

レーヴィが生還できた理由

レーヴィは自らがかの地獄を生還することができた理由に、イタリア人民間労働者のロレンツォの存在を挙げています。ロレンツォは不可触賤民として扱われていたレーヴィのために、パンや配給の残りを持ってきてくれたり、つぎはぎだらけの肌着をくれたり、イタリアに葉書を書いて返事をもらってくれたりした人物です。

レーヴィはそんなロレンツォの存在をどのように述懐しているのでしょうか。少し長くなりますが、ぜひとも一言一句あますことなく堪能していただきたい名文中の名文ですので、同書から以下に引用します。

こうしたことに彼はいかなる代償も要求しなかったし、また受け取らなかった。なぜなら彼は人の好い純朴な人間で、代償のために善行をすべき、とは考えていなかったからだ。(中略)
同じような仲間が何千といた中で、私が試練に耐えられた原因は、その究明に何か意味があるのだとしたら、それはロレンツォのおかげだと言っておこう。今日私が生きているのは、本当にロレンツォのおかげなのだ。物質的な援助だけではない。彼が存在することが、つまり気どらず淡々と好意を示してくれた彼の態度が、外にはまだ正しい世界があり、純粋で、完全で、堕落せず、野獣化せず、憎しみと恐怖に無縁な人や物があることを、いつも思い出させてくれたからだ。それは何か、はっきりと定義するのは難しいのだが、いつか善を実現できるのではないか、そのためには生き抜かなければ、という遠い予感のようなものだった。

『これが人間かーアウシュビッツは終わらない』

同書を手に取ったのはもうずいぶん前のことになりますが、この文章に触れた瞬間のあの魂が震えるような感動は、今でも鮮明に覚えています。

わかる、といってはレーヴィのような人に失礼でしょう。筆者はかの地獄を体験していませんから。そうした体験なき重みの違いは、筆者とて十二分にわきまえているつもりです。

が、しかしそれでもなお言わせてもらうならば、筆者にはレーヴィのこの心境がとてもよくわかる気がします。なぜなら、筆者もまた恩師の存在を通じて、外にはまだ正しい世界があることを、直感的に知覚した過去があるからです。

それだけではありません。外にはまだ正しい世界があるだけでなく、当時の筆者のような今はまだろくでもない人間であったとしても、いつかの日かきっと自分なりの善を成し、その世界に貢献できる時が訪れるであろうことを、当時から根拠なく確信していました。その生き抜くための活力となる根拠なき確信を、恩師は与えてくださったのです。

絶望の三段階

若かりし頃、筆者は世界に、そして自分自身に絶望していました。

いずれ詳しく書く日がくるかもしれませんが、生来の病弱さや高い神経症的傾向など、いくつかの要因が複雑に絡み合って、真綿で首を絞められるように徐々に、しかし着実に精神を病んでいき、二十歳を過ぎるころにはすっかり絶望の淵へと沈んでいました。

デンマークの哲学者セーレン・キルケゴールは、主著『死に至る病』において、絶望は以下の三段階の意識的なプロセスをたどると喝破しています。

1.地上的絶望
2.永遠的絶望
3.悪魔的絶望

たとえば家族や恋人といった、大切な人を不慮の事故で亡くしてしまう悲劇に見舞われたケースを考えてみましょう。

誰しもその不条理な運命のいたずらを呪い、もう二度と大切な人と会うことができない過酷な現実から目を背け、誰でもいいから何でもいいからこの苦悩を取り除いてくれと、そう切に願うことでしょう。この絶望の矛先が外側に向いている状態が地上的絶望です。

さらに絶望の意識が深まっていくと、今度は永遠的絶望が立ち現れてきます。これは外側に向いていた絶望の矛先が今度は内側に向き、大切な人の死という過酷な現実に真正面から向き合うことができず、それゆえ乗り越えることもできない自らの弱さや愚かさを嘆いている状態です。自分という存在があまりにもちっぽけであることの無力感に襲われ、自分の殻に閉じこもっていくようなイメージですね。

最後に悪魔的絶望ですが、これはそうやってどんどん内に内に閉じこもり、ますます絶望の意識が深まった結果、完全に殻に閉じこもってしまった状態です。

この段階にいたると、まるで誰も自分に触れてくれるなと言わんばかりに、差し伸べられた手すらも払い落とすようになります。そして自らが陥っているこの悲惨な境遇こそが、この世界が不条理であることの何よりの証なのだと、絶望を住処に苦悩する自己をもって、世界に対して惨めに抗議するのです。

ちなみにキルケゴールは、この悪魔的絶望を次のように表現しています。

この絶望は、人世を憎悪しつつ自己自身であろうと欲するのであり、自分の惨めさのままに自己自身であろうと欲するのである。(中略) それだから、彼は自己自身であろうと欲し、自分の苦悩をひっさげて全人世に抗議するために、苦悩に苦しむ自己自身であろうと欲するのである。

『死に至る病』

この頃の筆者はまさにキルケゴールのいう悪魔的絶望に陥っていたように思います。誰も彼もが本能的欲求の奴隷となっており、そうした人間で溢れかえるこの世界が、当時の筆者の眼にはどうしようもないほどに、醜く薄汚いものに映っていました。

そして、そんな世界は絶対におかしいと魂は警鐘を鳴らしているにもかかわらず、自らの魂の声に忠実に従うことなく、苦悩する自己をもって惨めに抗議することしかできない弱い自分にも、つくづく嫌気がさしていました。

人それぞれに地獄がある

そんな悪魔的絶望に陥っていた筆者を、自らの背中をもって「外にはまだ正しい世界がある」ことを示し、救ってくださったのが恩師でした。

この醜く薄汚い世界にあってなお、泥中の蓮のように染まることなく真善美を追求することは可能なのだと、本当は世界はかくも美しく調和がとれているのだと、そう体現して教えてくださったのが恩師でした。

古代ローマの詩人ウェルギリウスは言います。「誰もがそれぞれの地獄を背負っている」のだと。そういえば今まさにこれを書いていて思い出しました。ずいぶん前に元TBSアナウンサーの宇垣美里さんも言ってましたよね。「その人それぞれに地獄があると思うんです。私には私の地獄がある」って。ずいぶんロックなことを言うアナウンサーもいるもんだなと、いい意味でのギャップもあいまって、とても印象深かった記憶があります。

そう、まさにそう。人それぞれに地獄がある。たしかにレーヴィのアウシュビッツ体験に比べれば、筆者の体験なんて屁でもないでしょう。客観的に見れば誰だってそう判断します。

けれども、ウェルギリウスや宇垣美里さんが言うように、だからといって当時の筆者の地獄が、悪魔的絶望の苦悩が否定されるわけではありません。地獄とは客観的なものではなく、あくまで主観的なものなのですから。

人はこの「人それぞれに地獄がある」をつい見落としてしまいがちです。その最たる例はといえば、日本に生まれただけで国ガチャSSR論法でしょうか。

そりゃあ客観的にはそうです。あらゆる指標が示しているように、日本は凋落の一途を辿っているので、SSRかどうかはちょっと微妙なところですが、それでも世界的に見れば当たりであることに間違いありません。少なくともSR~Rではあるでしょう。

にもかかわらず、なぜにこの手の論法が今まさに日本で苦しむ人に響かないのか、現実を動かす力をもたないのかというと、この「人それぞれに地獄がある」がすっぽりと抜け落ちているからに他なりません。それゆえ説得に成功するどころか、むしろ反感を買うだけに終始しまうのです。

現実を1ミリも動かさない客観的な説得や励ましなど、なんの意味もありません。一体いつから客観的が正しいと錯覚していたのか。

もっとも素晴らしい偉業とは

当時の筆者にとって、あの精神の密室内での血みどろの闘いは、まさに地獄そのものでありました。そんな地獄から救ってくださった恩師の存在は、どれほど筆者にとって大きく映ったことでしょうか。恩師という言葉すら生温いほどに、生涯をフルベットしたとて返しても返しきれないほどの恩があります。

アメリカ・ルイジアナ州出身の教育者であり、牧師でもあったウィリアム・アーサー・ウォードは「平凡な教師はただ話す。良い教師は説明する。優れた教師は態度で示す。そして、偉大な教師は心に火をつける」という名言を遺していますが、永久凍土と化した筆者の精神土壌に火をともしてくださった恩師は、まぎれもなく偉大な教師でありました。

恩師からは様々なことを教わりましたが、何よりも"自分であること"の大切さを教わりました。筆者が敬愛するアメリカの思想家ラルフ・ウォルド・エマーソンの言葉を借りれば、「絶えずあなたを何者かに変えようとする世界の中で、自分らしくあり続けること、それがもっとも素晴らしい偉業である」ことを教えてくださったのです。

恩師と出会って以降、筆者はどんどん自由に、賢く、そして善く生きられるようになっていきました。とはいえ、もちろん現在も道半ばです。というよりも、誰もが完成には至れず永遠に道半ばとはいえ、恩師と出会う前と比べると、もはや同一人物であることを疑われるほどに別人です。

実際にかつてのろくでもなかった筆者だけを知る人は、現在の筆者に会っても同一人物だと気づけないことでしょう。それぐらい思想も、顔つきも、体格も、なにもかもが違っています。

自分という存在は、社会から見向きもされない劣等種、路傍の石ころのような価値のない存在だとずっと思っていました。でも、そうではなかった。

神経症的傾向、病弱さ、稚拙な反逆、悪魔的絶望、孤独感、どれもこれも自分の愚かさや弱さの結実だと思っていたものが、それらすべてが筆者の個性というキャンパスを彩るための絵の具であることに、はっきりと気付けたのです。絵の具そのものにプラスもマイナスもありません。どの色よりどの色が優れているなんてありません。その絵の具で何を描くかがすべてです。

これまでの道のりを振り返ると、一歩ずつ一歩ずつ、転んでは起き上がっての繰り返しで、遅々とした亀のような歩みでした。それでもジャイロ・ツェペリが言うように、一見すると遠回りに思えたその道こそが一番の近道であり、筆者にとっての最短の道だったように思います。

神の存在証明

筆者は様々な活動を展開する中で、いたるところで「Servus Dei」を掲げています。これは言わば旗みたいなもので、筆者の全活動に通ずるコア・コンセプトです。意味はラテン語で「神のしもべ」になります。

なぜこのような旗を掲げるに至ったのかを語ろうと思うと、あまりにも長くなってしまいますので、今回は泣く泣く割愛したいと思いますが、結論だけを述べるならば、筆者は生涯を賭して「神の存在証明」にチャレンジしたいと考えています。

日本でもっとも知られている哲学者といえば、やはりニーチェになるでしょうか。ニーチェが後期思想を代表する著作『ツァラトゥストラはかく語りき』で、神の死を宣言してから約140年ほど経ちました。

現代社会を見渡してみると、たしかにニーチェが言うように、もはや完全に神は死んだとしかいいようがなく、その卓越した先見性には驚かされるばかりです。神が蘇る兆しなんてどこにも見られず、それどころか安易に神という言葉を用いようものなら、ちょっとヤバい人認定を免れない状況にすらあります。

世界的ベストセラー『利己的な遺伝子』を著したことで知られるリチャード・ドーキンスは、火の玉ストレートに『神は妄想である―宗教との決別』なんて本を書いていますが、つまるところ大なり小なりこれらの著作で述べられた、言わばドーキスンス的世界観の中で生きている人が大半でしょう。いわゆる科学的態度を身に着けた一般的に賢いとされる人ほどそうです。

そんな世相において「神の存在証明」なんて言い出しているわけですから、どう見てもやばいやつです本当にありがとうございましたであることは、筆者とて重々承知しております。

ですが、誤解しないでいただきたいのは、やろうとしていることはとてもシンプルなのです。レーヴィにとってのロレンツォのように、筆者にとっての恩師のように、筆者もまた誰かにとって「外にはまだ正しい世界がある」ことを、背中で語れる人間でありたいだけなのです。それこそが筆者なりの神の存在証明なのですから。

これまで数多の哲学者や思想家たちが、神の存在証明に挑んできました。それらが無駄だったとはいいません。一定の成果は得られたことでしょう。が、しかしやはりどこか言葉遊びに終始してしまっている印象は拭いきれません。

考えてみればこれは当たり前の話で、そもそも神の存在証明とは言葉で示すようなものではないのです。「外にはまだ正しい世界がある」ことを悟った神のしもべたち――自覚的か無自覚的の違いはあれど――が、その生き方を通して、その全存在を通して、しかるべきタイミングが訪れた人に背中で示すものなのです。

今後ますます科学やテクノロジーが発展するにつれて、先述したドーキンス的世界観にどっぷり染まっていく人は増えていくものと思われます。そんな中で筆者が掲げるコンセプトは、時代錯誤なものとして映ることでしょう。

けれど、それでもいいのです。筆者は筆者なりにあれこれ考えて、これこそが本当に時代に求められているものであり、自分が生涯を賭してやるべきことだと得心したのですから。

大勢にウケようなんて最初はなから思っていません。理解されたいとも思っていません。掲げるコンセプト的にも、筆者の人柄的にも、それは土台無理な相談でしょう。そうではなく、たった一人でいい。たった一人にでも「外にはまだ世界が正しい世界がある」ことを見出してもらえたなら、それだけで筆者のチャレンジには間違いなく価値があったのだと、そう思えます。

なあ?こういうやつが湧いてくるのも多様性ってやつだろうよ。もう誰にも伝わんなくなってかまわねえし、もう金にもなんなくたって屁でもねえわ。(cf. マキシマム ザ ホルモン 『予襲復讐』)

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