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私は選ばれたかったんだと気づいた【傲慢と善良を読んで】


noteでもよく見かけていて、とても気になっていた【傲慢と善良】
昨日本屋さんに立ち寄って購入し、一気に読み終えました。




いや〜ほんとに面白かった。
辻村深月さんって、なんでこんなに個人の感情の解像度が高いんだろうか?と読みながらしんどくなって何回か休憩しました笑


読み進めるうちにどんどん自分の中にある浅ましさや人っぽい醜さみたいなことを自覚させられるような気がして、
自分の奥底にある”傲慢さ”に気づいて苦しくなります。

でも小説のミステリーな要素と軽やかな展開でどんどん読み進めてしまう、そんな小説です。


【あらすじ】
主人公・西沢架は、いつも通り帰宅した自宅に、同棲中で家にいるはずの婚約者・坂庭真実がいないことに気付く。突如失踪した真実の手がかりを探すべく、架は真実の過去と向き合うこととなる。浮かび上がる現代社会の生きづらさと、徐々に明かされていく失踪の理由からは目が離せない。

引用:【感想・ネタバレ】傲慢と善良のレビュー



⚠️ここから少しネタバレになってしまうかもしれないので、もし少しでも内容が想像つくのが嫌な方は、読むのをやめていただくことをお勧めします⚠️


改めて、この本はほんとに読み進めるのが苦しくて、何より自分の内にある「傲慢さ」に気付かされる場面が多くて、だからこそ真実ちゃんにはなんとかここを乗り越えてほしい!と願い続けるばかりでした。

だから最後にハッピーエンドになって自分自身もとても救われた感じがしました。ほんとによかった。


特に苦しかったのは、架くんが真実ちゃんのバックグラウンドをだんだん理解していく展開と、後半の真実ちゃんサイドのパートで真実ちゃんが自分のことを振り返っていく場面。

余談ですが、私と真実ちゃんはバックグラウンドは全く違うし、私は真実ちゃんに比べるととても恵まれた家庭に育ったな、と思いながら読み進めて、ふと、これも私の傲慢さなのか?と思われる瞬間ありました(笑)


でも、小さな街の中の小さな価値観の中で、こうあるべき・こうありたいと思うべき、という型に嵌まっている真実ちゃんのことは、
他人事には思えなかった。


真実ちゃんのこれまでの人生は、
自分で選ぶことができないのに、自分の人生の正解っぽいことはなんとなく理解していて、それに向けては一生懸命に努力している。
なのに、常に「自分と違う人たち」との比較にさらされ続けて苦しくて。
親の決めた価値観に従う方が楽なのに、それじゃ嫌だと思う自分がいて。
そうするとまた、「自分と違う人たち」と比較して自分は下だ、と決めつけて。

謙虚で自己評価は低いのに、自分のことはとっても大事だから、親が決めた価値観にしたがっているのに、自分の根っこの部分で折り合いのつけられない「結婚相手」という選択。

真実ちゃん自身は、
「自分は人より下なことも理解してる、ささやかで慎ましい物だけを求めてるだけ。」って思ってるんだけど
でも、自分のことはとっても大事で傷つきたくなくて、だからミスった選択はしたくないし、自分が特別な存在でありたいから、結局上からの立場で自分に高得点を付けて、人に点数を付けてる。


そう言う描写に、最近の自分がすごく重なる気がして、読み進めるのがとても苦しかったです。


一気に読み終えて、精神的にとっても疲れたけど、真実ちゃんを通して自分と向き合うことができ、自分について一つ気づくことがありました。



それは「私は選ばれたかったのだ」ということ。


私自身、仕事も、恋愛も、この先の人生も、
「多分それっぽい正解はこっちなんだろうな:と思いながら、日々を過ごしていて。

でもほんとはもっと違うことがしたいのかもしれない、違う相手がいいのかもしれないってどこかでモヤモヤしていて。

でも自分で選んで決めることは年齢を重ねるにつれてどんどん怖くなっていって。

きっと、世の中の正解とか、勝手に決めた世の中からの年齢的な期待とか、そういったものに委ねる方が自分で選ぶよりもずっと楽で。


だから徐々に、それっぽいことや、それっぽい人から選ばれることが自分にとっての価値だと思うようになっていたんじゃないか、ということに気づいたのです。


だから、どれだけアプリでたくさんの人に出会っても、「それっぽくなければ」次にもう一回会おうとしてくれる相手をお断りしたり、
(例えば、デートなのに羽毛が出ちゃってるダウンジャケットを着てきて、自分の話だけして「あなたが僕の運命の人だと思った!」って初回のデートの帰りに告白してきた彼とか。
今考えたら見た目自体は悪くなかったし(っていうこの言い方も傲慢?)、とっても真っ直ぐないい人だったと思うし、仕事も頑張ってた。。。)

逆に、世の中的に言う”ハイスペ商社マン"の元彼に固執し続けているのに、自分が思い描く「幸せなカップル」とは違うから、付き合ってほしいとも言えない。


勝手に自分が自分に高評価をつけていて、相手のことも値踏みしているから、どんだけ素敵な人でも「それっぽくないと」選べないし、
自分の思う通りの「それっぽい」未来にならなさそうだったら、自分で決めることもできない。


今を変える勇気も、変えない勇気もなくて、選べない。


でも、自分が思うそれっぽい正解、から選ばれたら、
自分に高評価がついたようで嬉しいし、自分で選ぶよりも楽だから、
私はきっとずっと選ばれたかったんだろうな
って、だからずっと苦しかったのかなって気づきました。


だからって、この先どうするとか、どう変わればいいのかなんてすぐに見つかるわけではないんだけど。


でも、一つ言えることは「選べる人になりたい」ということ。
これからの自分の人生に、責任と覚悟を持った選択ができるようになりたい。自分の幸せを自分で選べる人になりたい、と強く思いました。


選ばれたかった、って気づいた時にふと思い出したのは、
私は幼少期からダンスやミュージカルなど、オーディションとかがある環境で「選ばれることが価値」となる環境に身を置いてきたことや、
学級員やクラスの代表に選ばれるために頑張ってたし、それが自分の存在価値だと思ってた。

だから大人になった今でも、仕事でプロジェクトのメンバーに選ばれる、とか、飲み会に呼ばれる、とかだけでもすごく価値を感じてしまっているのかもしれない、と思いました。


自分では、恋愛や仕事の足枷になっているのは強すぎる承認欲求だと思ってたけど、その根幹にあるのは「選ばれたい」だったのかな?と思います。


選べる人になるためにどうしたらいいのかまだわからないけど、
まずは自分が選ぶ基準を持てるようになる必要があるかなと思ってる。
だからこそ自分が好きだとか、直感的にいいなと思うものにたくさん触れて、それを自分の判断基準にしていくことをちゃんとやりたいなと思う。

そういう感情を大事にして、このnoteにも記録していきたい。


というわけで、私に新たな気づきを与えてくれた【傲慢と善良】。
とてもお勧めです。

現代に生きる全人類、いや、40歳くらいまでの人なのかな?は絶対にぶっ刺さる一節があるはずなので(笑)
ぜひ、一度読んでみてください!



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