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濁り。吸う息、吐く息。

湿った空気が充満しているような。ずっと、曇ったままのような。頭の中の雑音がうるさい。目の前がぼやけて鬱陶しい。何んもかんも嘘みたいや。逃げたくて、何をしてもどこまで行っても最近はずっとこんな調子だ。誤魔化すように動画や配信を見て気を紛らわせる。いまは向き合うだけの気力が無い。


今日は天気が悪くて頭が痛かった。ずっと眠くて日中は沢山寝た。ぼやけた頭でずっと焦っていた。いっそ走り出して社会の歯車に紛れ込んでクルクル回っていた方がこの罪悪感からは解放されるんだろうけど、実際は走れるだけの体力なんてなく、衝撃や圧力に耐えられる精神もなく、やっぱりまだ、日々をやり過ごすだけで精一杯だった。

なんやにっちもさっちもいかんが、どうにか生きてかなあかん。しょうもない私の人生を、あと数十年やり過ごさなくちゃいかん。
まぁそんな悲観的になってる訳でも無いけどと、はよ寝ろやとどうでもいいような無気力な自分もいれば、この焦燥の中で誰が寝れるんやと心臓をざわつかせる自分もいる。

けどほんまは、それよりもおかしいのは、元々ずっと湿ってるこの頭ん中や。ずっと影がさしてて、ずっとどっか寒くて、ずっとなんか申し訳なくて、毎日身体のどこかしらが痛くて、たまに我慢できなくて、そんなのばかりが続いてて、それがしかし私の日常で、そういう認識で生きてきて、やってきたのに、でもそれは病気せいだと言うんだから、私の意思や人生の選択はどこに行ってしまったんやって、いつからなかったんやって、始めから今まで無かったんかって、ただただずっと虚しくて悲しいんや。


でも唯一死なないことだけ続けようと思っているから、うちは死なんし、こんな日々でも続けていく。なんもままならんけど死に損なったなんて言わん。死のうとなんてしとらんもん。私の意思じゃない声が、「今なら死ねる」と何度も言う。なんややたらとうるさいが、たまに抵抗すんのもだるくなるが、うちは頑固やからこれだけは譲れん。人間は幸せに向かって生きるもんやと思うから、向かうなら幸せな方にいきたい。生きてたいよ。


きれいごとだって思うが、うちの中では割と真実だと信じているから、死にたくないなって思う。「今なら死ねる」がうるさい時、飲まれて死ぬなと泣きじゃくる自分がいる。耐えろどうか、頼む頼むと願う自分がいる。嘘じゃないんよ。必死に生きてる。間違いなく、幸せになりたい。虚しさや寂しさが日常じゃない生活をうちはまだ知らんけど、それはきっと豊かだろうなと思う。濁った世界しかしらんから、それだけの事が現実味のないメルヘンな夢みたいな話と思うけど、それでも諦められんのや。


ごちゃごちゃでごめん。寝れるといいね。
また書きます。おやすみなさい。

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