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花束みたいな恋をした

坂元裕二の手がける新しい映画が公開されると知って以来絶対観ようと思っていたものの、予告を観て(勝手に)大学生の恋愛映画なのかなあとずっと観に行くか迷っていた。ふいに時間ができて、なんとなく今日だと思ってようやく。

こんなにじんわりと胸に刺さる映画だとは思ってなくて。全然大学生の恋愛映画じゃなくって、これは今の映画だ。結構どんぴしゃ世代の26歳の私には刺さりすぎるくらいぐさっと刺さった。きっとこれを大学生の頃の自分が見たら全く違っていたんだろうな。大学生を経て社会人になっての変化とか社会人だからこそ直面する将来への考え方とか。全てがリアルに感じられる今。

川の見えるベランダで二人お酒を飲む時間、最寄駅で待ち合わせしてコーヒー飲みながら家に帰る帰り道、同じ漫画を一緒に読んで涙するのも、近所のパン屋さんで買ったパンを食べて川沿いを散歩するのも。取るに足らないくらい些細な日常で、でもそんな些細な時間をなんの違和感もなく共有できることって奇跡だからこそたまらなく愛しいんだよなあ。それぞれのシーンの切り取り方も作り上げられた雰囲気もこれでもかというほど幸せが溢れてて可愛くて何度も繰り返し観たくなるくらい好きでした。

出会って最初の共通点が繋がっていく感じ、二人の波長がふわっと合って心地良い時間が無限に広がっていくような、楽しさが連鎖していくような。悲しいくらいに過去の自分たちがキラキラ輝いていればいるほど、時間が経って変わってしまった今の切なさに耐えきれなくなってしまうよなーと。

目標は絹ちゃんとの現状維持!って宣言しちゃうくらいそう願っていても、周りの環境とか時間によって自分でも気付かないうちにやっぱり人は変わっていく。趣味、生活スタイル、大切に思うもの。変化は当然のものとは分かっているんだけれど、変化によって変わってしまう関係性とか失ってしまうものがあるということも知っているから変化を恐れる。し、その変化は自分にも、他の誰にもどうすることもできないから切ない。誰が悪いでもなく、ただなんの違和感もなく煌いていた二人の過去が眩しすぎてどうにかあの時に戻れたらって、願わずにはいられなかった。でも皮肉なことにその過去が輝いていればいるほど、今の違和感が気になってしまうしもうどうすることもできなくて離れるという選択しかなくなってしまうのかなあなんてぼんやり考えながらエンドロールを眺めていたのでした。

カラオケできのこ帝国のクロノスタシス一緒に歌ってコンビニで買ったビール片手に夜の帰り道を歩くとか、まだ話していたくて終電逃して何をするでもなくただぐだぐだ過ごすとか、なんか懐かしくて眩しい。大好きな音楽があって映画があって趣味の合う人達と過ごすのが楽しくて、これが好きっていうものを揺るぎなく持ってる絹ちゃんの感じが過去の自分と少し重なって切なくなった。私は少しずつ大人になっていくうちに、麦くんみたいに変わっていってるのかもなと思う。好きなものを同じ熱量で好きで居続けることって本当難しい。だから揺るぎない好きを持ち続けてる人に惹かれるし憧れるし自分もそうでありたい。忘れかけてた過去の自分をちょっと思い出して、今の自分とかこれからの自分とかそういうことを色々考えながら家路に着きます。

ちなみに映画の半券はしおり代わりにするためにしっかりと鞄に入れて持って帰りましたとさ。読んでる本の交換し合いっこ、したいよね。

内容も映像も、大好きでこれは繰り返し観てしまうだろうなあ。おそるべし坂元裕二。何度も観ているカルテット久々に観たくなった。

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