人に相談することをベースとして生きるようになった。
文章書きたい!!!!と衝動性に駆られてnoteを開いたが、
この時期の大学4年生、「卒論を書け」と突っ込まれそう。
そんなことは、さておき。
今日、人との出会いや繋がりを考える機会が多かったので、私なりのアウトプットをしたいと思う。
今日は朝からゼミの先生に人生相談に乗ってもらい、ゼミの同級生とランチを食べて、全速力で帰宅し同じ特性を持つ3人の方とお話させていただいた。
本当によく喋ったな1日だった。
半日ぐらいしゃべり続けていたのでは?
ということで、こんな1日からわたしの思考を言語化していこう。
まず最初。ゼミの先生。いや、以下恩師と記そう。
恩師と久しぶりのご対面。
最近どう?元気?と言われ、先週発表会を休んでしまった日のことを思い出した。
本当に体調も悪かったのだが、メンタルも落ちていて休んだと本当のことを言っても、嫌な顔一つせず受け入れてくれた。感謝。
それから、とある企業に落ちたことと、最近の近況と、進学就職云々するのか?みたいなところの相談に乗ってもらった。
そんななかで、やっぱり恩師だと思ったことがある。それは、困ったらなんとかしてあげるから、将来への不安を減らして、あと半年の大学生活を使って、アイデンティティを獲得をしなさいという話をしてくださったことだ。
本当にありがたい。その一言だけで、
あと半年の大学生活が、
まだ半年も大学生活が残っている。
と捉え方を変えることができるようになった。
まだまだ、わたしには猶予がある。時間をかけて自分のペースであがいた半年後の自分がどうなっているのか楽しみにしておこうと思えた。
それから、最近のことを話すとあなたは刺激を求めすぎている時期ね(いわゆる躁状態)。と、わたしの現状を客観視してくれた。
これも本当にありがたい。自分のストッパーが分からなくなっている今、休んでもいいよと言ってくれる人がいるだけで嬉しい…。
それからそれから。
何かの話から、あなたは繋がりがいっぱいあって羨ましいと言われた。
ネットワークが広すぎる恩師にそんなことを言われるのもおこがましい話だと思っていたら、あなたは相談できる人が周りに多いでしょと言われた。
思い返せばそうだ。
周りの相談できる人に恵まれすぎていて、片っ端から相談して回っているから、誰に何の話をどこまでしたか分からなくなる。
だから、「そういえば、この話しましたっけ?」か、「それ前も聞いたよ~」の会話のキャッチボールがベースになっている。決して覚えていないわけではない。
なぜなら、特定の相手とどの話題で盛り上がったかなんて考える暇もないくらい数時間単位でわたしの価値観・状況が変わっていくので、2・3日会っていないだけで、どこまで進捗を話したかが分からなくなるからだ。
それだけ価値観や考えをぐるぐると変えられるくらい色んな人に相談できている現状に感謝もしている。
一方で、考えが変わりすぎるから一貫性がなく、信用されないことも多い。
今日も先生に確信もてる返事がきけるまで「繋ぎたい人がいるけど繋がないからね。」と、強くも愛のある言葉をいただいたところだ。
だけど、それは困る。我慢ができないので、今すぐその人に繋いでほしいと思った。
支離滅裂なわたしの相談をちゃんと聞いてくれて、適切なアドバイスをくれる大人がわたしの周りには何人もいるといった恵まれた環境にいる、贅沢な悩みなのかもしれない。
ここまで相談できる人が多くなったのはなぜか?とも先生に聞かれたのだが、言語化できる範囲でひとつあるとするならば、わたしの価値観と世間の価値観に大きなズレを感じるようになったからだ。
自分という現代社会において普通ではない人間が、普通を創り上げている社会という組織の中で、どうやったら自分らしく生きることが出来るのか?
自分の価値観だけでは選択できないことが多すぎるから、相談するのだと思う。
あ、あと補足をするならば、自分のプライドがなくなったのだとも思う。
できないことも、恥ずかしいことも、他人に言って、どう思われるか?なんてことがどうでもよくなった。
それよりも、この恥やできないの部分をどうやって補っていくのかを考えたいといった意欲が強いがために、こうなっているのだろう。
相談できないときは、相手にどう思われたらどうしようばかり気にしてため込んで自己否定を繰り返していた。
悩みはとにかくアウトプットするのがいい。自分が違和感ないなと思える相手に。これはわたしの経験談に基づいたひとつの答え。
恋人と一緒で1mmでも違和感を感じたら、見当違いなアドバイスをくれることになるから、人は選ぼう。これも大事なことです。
よければ、わたしも相談のりますよ🎶
友人の相談にのると、客観性をもったうえで、その子の意見を言語化するのが上手いとの評判つきです。
次!ADHDの方3人と話させてもらった。
みんないうのは、周りの人に恵まれて今がある。といった趣旨のこと。
いや、これ本当に分かる。分かる過ぎてずっと頷いていた。
自分がこうやって文章を書けるのも、自分のままでいいと自分を肯定できるようになったのも、本当に周りの人のおかげなんだよな。
今日話した、3名の方はある程度、自分の特性と上手に向き合えている人たちばかりだったのだけど、できること・できないことの言語化能力が高すぎた。
言語化が上手くて、できないことを認められているから、周りの人に頼ることもできるし、周りの人に感謝することもできているんだろうなと思った。
こうやってADHDとか関係なく、できる部分でギブして、できない部分をテイクさせてもらう。で成り立つ社会ができたらいいのにな。
いや、こういう輪が広がるとできるんじゃないのかな、と期待を持てるような話ができた。
書きたいことがありすぎてスラスラとタイピングができている今、楽しくてしょうがない(笑)2300字を30分もかからないうちに書いている。
これ自分の才能では?なんて自画自賛もできてしまうくらいには、自己肯定感が爆上がりしている。これも周りの人のおかげ。
といったことから要約すると
本当に、少しの変化で、見える環境変わるよというお話でした。
変わりたいと思っている人がもし、これを読んでくれているのであれば、
わたしと話すのもひとつ変わるきっかけかもしれません。よければ、以下のLINE登録してみては…?(わたしが人と話したいだけ。)
ADHD云々書いているけど、無視していいよ。
最近、この類の話をいろんな角度からしているのも薄々お気づきの方も多いだろう…。が、書きたいから書いているだけなので悪しからず。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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