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落ち着きのない社会 独り言

「ふれあい」

我が家にいる猫は飼われてから10年を過ぎている。夜中、家の裏の方で赤ちゃんの泣き声のような声が聞こえてきた。行ってみると、掌に乗るくらいの子猫で、このままでは可愛そうと思い飼い始めた。ところが、野良猫なのか、異常なまでに警戒心が強く、うなり声を上げたり、引っ掻いたりとひとしきりお転婆振りを発揮していた。それでも可愛いので、家族でスキンシップを繰り返した。すると言葉を交わせない者同士だが、次第に心を開いてきた。今では名前を呼ぶと「ニャー」と返事(?)をしてそばに来るようになった。野生の本能が次第に薄れたいったのだろうと勝手に解釈をしている。

 長崎佐世保で、痛ましい事件が起きた。平成になり、理解出来ない殺人事件が多発している。親族殺人も目立つ。また、通りすがりの人に対する事件も目立つようになって来た。社会全体が落ち着かず、自己中心的な犯罪や事故が相次いでいる。今回の高校生が起こした事件には、社会の最小単位である「家庭・家族」という場に問題を抱えているように思えてならない。10年前に起こった小学6年生が引き起こした同級生殺人事件。この事件の背景にも「家族」の問題が潜んでいた。父親から繰り返し受ける体罰により、かなり憎しみを覚えていたようだ。事件を起こす前には、暴力的なシーンが数多くある映画のDVDを見ていたことが解っている。

 今回の事件では、今年の4月からワンルームマンションで一人暮らしを始めたという。昨年の秋には母親を病気で亡くし、その後父親は再婚している。憶測で物事を語ってはいけないが、私自身、ここに「一家団欒」「家族愛」「絆」と言う言葉は浮かんでこない。被疑者の高校生に、安心できる家庭は存在していたのだろうか。被疑者の高校生を囲む環境は、彼女を温かく包み込む包容力のあるものだったのだろうか。しかし、一人暮らしではそれも叶わないことだ。そして、彼女が最も気を許せる被害者に全てをぶつけてしまったように感じる。母の死、父親の再婚、高校進学、一人住まい、子どもの心は複雑な環境には対応できない。どんどん心を閉ざすことが続き、最早自身でコントロール不能に至ったのか、この時期の女の子は、時に、友達を伴って死を選択する事もある。大人達は、もっと被疑者とふれあうべきだった。こうして過去形で語ることに空しさを感じる。

 社会全体が落ち着きを失い、人と関わり合うことを拒否している。それでいて、人恋しいと感じる。それが家族という社会の最小単位で起きていることに恐怖を感じてしまう。この問題を学校という一単位で論じる事は不可能だ。「ゼロトレランス」問題でも述べたように、既に学校教育の限界を超えていることに社会は早く気付くべきだ。目には見えない「家庭環境の崩壊」が始まっているのかも知れない。人との関わりが苦手である人達の増加がもたらす影響は、ことばによる解決ではなく、物理的な解決を生むかもしれない。

 また、今回の事件のように単純な事件では無いため、精神鑑定も重要になってくる。「情動」という部分からも、脳科学からの意見も事件解決の参考になるだろう。文科省もこの問題を取り上げている。「虐め」などにも脳科学や心理学の立場から検証を行って行くべきだろう。事件には、直接の被害者、被疑者がいるが、今回は間接的な被害者と被疑者がいるように思う。特に被疑者側に。

 これは、あくまでも私個人の主観です。

2014/7/28


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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