表現をすること

私が「作り手」として、何らかの作品を発表するとき、相応の覚悟を持って公開している。「受け手」の大切な世界観に踏み込むのだから、趣味だ、素人だというのは、言い訳のように思える。勿論、作品の質やレベルと比例するものではないが、少なくとも発表する時点では、完璧な状態を目指す。
これは私が自分自身と交わした契約のようなもので、他者に当てはまるとは全く考えていない。
表現の場とは、誰の自由も思想も奪わない、広く平らかな場所だ。作り手も、そして受け手も、等しくこの場に存在していて、どんな言語でもわかり合える(マナーと最低限のルールはあるよ)。
日常生活で、私は圧倒的に「受け手」であることが多いけれど、好きな表現・作品というのは、本当に愛おしくて、自分でも気付かなかった、あらゆる感情を刺激し、豊かに育んでくれる。
だから、私が「作り手」になった時、まずは自分が、自身の作品を愛せるかを問う。ああ、いいなと感じるまで、表現と向き合い続ける。
愛するって、どんな時も覚悟でしょ。作り手も受け手も、精一杯、愛をしましょうよ。

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