作り手と受け手のこと/表現をすることの延長に

前回のnoteで「作り手と受け手は、等しく表現の場に存在する」と書いた。
この「表現の場」において、自身の作品を制作・発表する「作り手」は、「種まく者、花を咲かせる者」であり、「受け手」はそれを「享受する者」と思われがちだが、それは違う。
どんな分野のプロフェッショナルでも、「作り手」である前に、何らかの背景ある「受け手」であったはずで、それをきっかけや足掛かりとして「作り手」になるものだ。
また、「受け手」とは「作り手」の世界を愛し、拡げる存在である。「作り手」がひとり口ずさんだ小さな歌を、多くの「受け手」は、驚くほどの斉唱にして世界に響かせる。その過程に、情熱ある批評が生まれ、思い掛けない二次創作やファンアートの発信者にして「作り手」となる。
つまり、作り手も受け手も、我々は等しく「表現者」なのだ。
文化は、どちらか一方だけでは決して生まれ得ない。「表現者」同士の澱みない循環によって支えられ、遠くへ飛んでゆける美しい鳥だ。
その鳥の姿を、声を、翼を、あなたならどう描きますか。
ペンを走らせるのか、ピアノを奏でるか。それとも、鳥が現れるまでの時間を、胸を高鳴らせて待つか。
どの手段を選んでも、我々は、自由で誇り高く、そしてたったひとりの「表現者」であることを忘れずにいたい。
追記:「立派」である必要は全くない!

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