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内からの想いを育む、夢みる小学校
大人は子供には戻れない。
子供もすぐに大人になることはできない。
同じ人間だけど、異なる存在。
物の見方や捉え方が全然ちがう。
大人にとっての"当たり前"が、子どもにとっては"初めて"だったり。
子供にとっての"大切なこと"を大人は忘れていたり。
自分の子供だって、別の人間。
「自分の子供だから分かる」なんてことは無いように思う。
■
本日公開になる「夢みる小学校」に向けての対談を聴いた。
長男の進学を控え、保育園とはガラッと変わる生活。
母である私としては、"勉強"はひとまず置いて、人間性が育まれる環境で過ごせたら良いと思っている。
映画の中で紹介されるのは"こどもファースト"な三校。
通知表、時間割がない。校則、定期テストをやめた。
目的を決めて、そのために何をすべきか考える。
"できた→たのしい"のサイクルで学びが作られる。
長男の進学予定の小学校では、自由に自分で学びたいことに向けてカリキュラムを作るほどの自由度はない。
汐見先生の書籍からのエピソードで、靴箱で遊ぶ子供に対して先生が「靴箱は遊び場じゃない」と注意したエピソードが印象的だった。
「"教育"は大人好みの子どもを育てようとしている。
枠組みから出られない子どもは、世の中を良くする(変えていく)ことができない。」
靴箱でのエピソードを想像してみる。
自分の子供が遊んでいたら…
思わず「遊び場じゃない」と伝えてしまいそうである。
エピソードの先生のような大人は、実は物すごく多いのではないだろうか。
その場ですぐ子どもを優先して、楽しく遊ばせて想像力を育めたら理想的である。
できればそうしたいと思う。でも現実はできないことも多い。
大切なのは一方的な圧力にならないことかと思う。
先生がふとその言葉をかけたとしても、子どもが話せる年齢であれば「遊びたい」と伝えられる関係。
そのとき靴箱で遊ぶという行為が叶わなかったとしても、楽しかった気持ちを否定せずに居れたら良い。
■
最近は成長してきた長男6才と、意見が割れることが増えている。
成長してきたんだなと嬉しく思うと同時に、大変だなとも思う。
全然言うことを聞いてくれないこともある。
できるだけ長男の意見を尊重するように意識はしている。
親である私も一人の人間。イヤなこともある。
お互いに伝え合う。意見が割れても伝え合う。
違ったら違うなりにどうするか考えられたらいい。
平行線なら時間を置けばいい。
夢みる小学校のような学校に通えなくても、自分の意見を持ち、大人と異なる意見でも大切にする。
より多くの集団の中で、周りと合わせなくてはいけない場面も増えてくる。
違っていいという前提を忘れずに、日時を生活を過ごしていく。学校がどうしても合わなければ、無理に通い続ける必要もない。自分なりの過ごし方を見つけていけばいい。
小学校が長男にとって楽しい場であれば良いなと願いつつも、そうではなかったときの道も考えていけるようにしたい。
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