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"言葉"より前にある、感じる心での原体験

言葉はどれほどの力があるのか。

言葉での表現することが好きで、誰かの言葉を読んで心が動いたり、日々感動している。

言葉の力は、底知れない。

それと同時に言葉で拾いきれない部分をどう捉えていくかも大切である。



"森のようちえん"について、以前から気になっていた。

自然の中で子どもたちが遊び、学び、成長していく。子どもたちの原体験をつくる場。

教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏の書籍『ルポ森のようちえん』の出版に伴い行われたトークイベントを視聴した。

東京都立大教授・宮台真司氏と語り。

日本の劣化とは何か。
感じる心を失っていっていること。

子どもの幼児期には、原始人のように自然と触れ合う体験が大切である。

森や自然の中でアフォードされる(いざなわれる)体験が人間の基盤を作る。

虫捕りにせよ、虫を見つけた瞬間に体が動く。考えている暇はない。感じて、動く。

虫捕りだけでなく、生き物と触れ合う体験。
それが原体験として、子どもの体の中に根付いていく。

そうした原体験を飛ばして、"言葉・法・損得勘定"への学びを早めていくことが、"現代の若年層の人と繋がれない"現象へと続いていく。

子どもの時に自分以外の何かとつながる経験が、大人になって"生きる力"になる。

森のようちえんでの保育とは。

大人は子供への指示はしない。団体行動をさせない。
自然の中へ行き、何をして遊ぶかは、子どもが決める。

雨だから外に行かないことはしない。
雨であってもズブ濡れで遊ぶ。雨の中での遊びとつながる。

大人は子供から、一見すると危険なものを遠ざけてしまう。
滑り台は反対から登らない、枝は危ないので持たせない。
それを続けることで、子供のつながる体験を遠ざけてしまう。

耳が痛い話だった。私自身、子どもが枝を持てば危ないと制してしまう。滑り台も逆に登らないように伝える。

感じるという身体性を身につける機会を親である私が奪っていく。



親ができることは何か。

気付けば親は、コントロールの中に子どもを囲い込んでしまう。

親の価値観を無意識的に子供に刷り込んでしまう。

センスオブワンダーにもあるように、本来は子どもと共に喜び、感激、神秘を味わうことで大人を解毒する必要がある。

子どもとつながることが大切なのである。

日々言葉を使う。
子どもにも伝わりやすい言葉は何かを考える。

でも実は"言葉"の以前の表情、心の動きを"感じる"ことこそ大切にしていきたい人間性を育む鍵があるのだと感じた。

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