食の豊かさを与えてくれていたのは、ある人物の人間愛だった。

デザインが気に入って買ったけど、中々出番のない皿がある。大きすぎたり平すぎたり、用途が限られて汎用性がないと良い物でも自然と出番は少なくなる。

いただき物などでデザインはほどよく気に入っていて、よく使う皿もある。

8年ほど使っていて毎日手に取ってしまう使いやすい皿が、ある1人のデザイナーの方が作った皿だと気付いたのは最近になってからだ。


以前noteにも書いたのだが、少し前に食べこぼしが多い長男の為に、皿を購入。
見事に食べこぼしが減ったことに感動した。
その皿は森正洋デザインというのは、記憶していた。

森正洋、もりまさひろ、モリマサヒロ…
なぜか名前を知っていて、何故名前を知っているのかすぐに思い出せなかった。

最近になって何故名前を知っているのか思い出した。家に森正洋の本があったのだ。

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そして家に眠っていた本の題名に書いてある名前。森正洋。ここにいた。

この本は8年前ほど前に夫がプレゼントしてくれたのだが、読んでいなかった。
これも何かの縁の思い、読んでみることにした。

「森正洋の言葉。デザインの言葉。」

陶磁器デザイナーの森正洋の、ものづくりへの想いを本人の言葉と、ゆかりのある人物とのエピソードと共に綴られている。

モノを見るとき、
日本ではそのモノだけを見る習慣がどうしてもある。
だけど、そのモノが、置かれる生活基盤を通して見つめなければ本当のモノの存在価値は見えてこない。

森正洋は熱心な勉強家で、陶磁器のデザインについてだけでなく、社会や科学などあらゆる本を沢山読んでいたという。そして日々出会う人、見るモノ全てから学びの視点を大切にしていた。

森正洋は白山陶器の社員デザイナーを20年勤めた後に、2005年11月に亡くなるまで白山陶器の顧問デザイナーを勤めている。

白山陶器と聞き、また頭の中でカチンとリンクした。我が家で愛用している皿は、白山陶器のものだった。
結婚お祝いでいただいた汁椀、婚約時に夫がプレゼントしてくれた茶碗、職場の先輩から頂いた丸皿…

見返すとどれも白山陶器の皿なのだ。

中でも愛用しているのが汁椀である。

毎日スープや味噌汁を飲む時に使っている。
サイズ感、軽さ、厚み、色合いなどどれをとっても、余計なことを考えずに使える。

汁を入れると重みが出るが親指で椀のふちを押さえ、残り4本で椀全体を支える。その時に負担なく持てる。
容量も大人がしっかりと量を食べたい時にも満足する量が収まる。
色合いはスンドゥブなど暖色のスープを飲む時はブラックが良いが、味噌汁は青磁にも色が映える。

また焼き魚を乗せる皿は無いかと探している時に、青山の白山陶器で購入したのが長焼皿だ。

魚はもちろん、これからの季節だとカットした夏野菜を乗せるのにも良い。カットしただけの野菜が、縞模様の上でキチンと並ぶ姿は美しく、より風味が増すように感じる。

他にも森正洋デザインの白山陶器の皿が何枚もあった。こんなにも「森正洋」に囲まれて暮らしていたのかと驚く。

そしてどれも使いやすく、生活に馴染む。
そして確実に、生きる上で大切な食の時間を豊かにしてくれている。自然と暮らしを支えてくれている。

実用性だけではダメだし、流行を追ってもいけない。
デザインは生活文化を作り出していけるものでなければ。
それには人間の生活をよく見ること。
人間が好きじゃないと、モノは作れないよ。

森正洋の皿には愛があったんだ。
愛のあるモノを使っていたから、豊かさも生まれた。そして気づけば皿も増えていき、長い間生活の一部になっていた。

世の中に半分は犯されてもいいが、
半分は犯されてはいけない。

世の中のことに目を向けて、陶磁器デザイナーとして必要とされるモノは何かを一生かけて考え続けた森正洋。

その言葉からデザイナーでなくとも、時には作り手になる必要があり、向き合う対象物に真剣に関わることで広がる世界がきっとあるんだと思わせてくれる。

偶然に集まっていた皿達は1人の人物から作られていた。自分の大切にしているモノのルーツを知り、また一つ愛情を持って、生活の道具を使っていけることを嬉しく思った。

参考文献 monsen https://www.monsen.jp/hakusan/morimasahiro/

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