The Picture of Dorian Gray から学ぶ英語術 〈後編〉
「英語圏で作られた英語圏の人々のためのコンテンツ」からネイティブの言葉術を学ぶ Lingohack。
さあ、発表当時に大変なセンセーションを巻き起こした『ドリアン・グレイの肖像』から学ぶ英語術の後編です。
↓こちらは前編。
↓こちらは僕の読書録。
この記事をきっかけに原著を手に取ってもらえたら、そりゃ嬉しいですが、本を読めば、authentic materials(英語圏で作られた英語圏の人々のためのコンテンツ)に触れれば、言葉に命が宿ったり、気付きやお墨付きをもらえる、そのワクワクするような経験の、せめて一端だけでも感じ取ってもらえたらと願っています。
Chapter 11
色褪せぬ若さと美しさを纏い、色濃く Henry 卿の影響を受けた Dorian Gray が、放蕩の限りを尽くす様を描写した章からの抜粋です。
devote oneself (to sth)
(仕事・活動・趣味などに)専念する、打ち込む
単純に「〜する」という意味合いのことを、わざわざ「自分自身に(を)〜する」という言い回しにすることが、英語にはたくさんあります。ドイツ語やスペイン語、フランス語など、他のヨーロッパ言語にもよく見られる特徴のようです。
上の引用文の場合、素直に訳せば「己の全てを音楽に捧げた」となりますが、それはとどのつまり「音楽にすっかり打ち込んだ」ことを表しています。
このように「行為を自分自身に向ける」という形を取る表現には、他にも以下のようなものがあります:
excuse oneself(自分自身を許す = 言い訳をする)
flatter oneself(自分自身を褒める = 自惚れる)
seat oneself(自分自身を座らせる = 座る)
amuse oneself(自分自身を楽しませる = 楽しむ)
dress oneself(自分自身に服を着せる = 服を着る) etc.
Chapter 12
Henry 卿との晩餐からの帰り道、しばらく疎遠だった Basil Hallward 画伯と再会した Dorian は、怯えている自分に気付きます。
a sense of sth
〜感
はっきり「〜」と明言することが憚られる、やや漠然とした感情、感覚、印象を、日本語では「〜感」といいますよね。国語として一般的な「虚無感」や「安心感」などに始まり、果ては「コレジャナイ感」「終わった感」に至るまでさまざまな使われ方をします。それと全く同じことが、英語でもできます。それが a sense of ~ です。a sense of fear は恐怖感ですね。
他にもいくつか例を挙げておきましょう:
a sense of achievement / accomplishment(達成感)
a sense of anxiety(不安感)
a sense of belonging(帰属感)
a sense of guilt(罪悪感)
s sense of having wasted word and breath(話すだけ無駄だった感) etc.
Chapter 13
Dorian は、ずっと隠していた自画像をついに Basil の前に晒します。当然、Basil は事態を呑み込むことができません。物語を通じて当惑してばかりの Basil が本当に気の毒でならないのですが、この後さらに酷い目に遭ってしまいます…。
I don’t believe ~
〜だなんて信じられない
「信じられない」の「られない」から can’t と言いたくなるところですが、英語で「信じられない」は I don’t believe です。
このように「〜することができない」ことを don’t/doesn’t で表す場合が英語にはよくあります。
I don’t understand.(わからない)
Oscar doesn’t drive/swim/etc.(オスカーは運転できない/泳げない)
Victoria doesn’t speak Japanese.(ヴィクトリアは日本語を話せない)
上に挙げた例の don’t/doesn’t を can’t にすると、単なる現時点での能力/実力の有無ではない意味合いが伴います。のっぴきならない事情や環境的要因などで、あるいはどんなに頑張っても実力が追いつかないので、「どうしても〜することができない」というニュアンスになるのです。
また、例えば「日本語話せる?」とか「運転できる?」と尋ねるときも、can ではなく do/does を用いるのが普通です。
Do you speak Japanese?
Does he drive?
can を用いると、「〜する力があるのか?」と侮っているように響く危険性があるので、大した違いは無いなどと思わず、しっかり覚えておいて欲しい言い回しですね。
ただし、「お願い」をする場合には can を用いても大丈夫です。
Can you speak Japanese(, please)? 日本語で話してくれる?
Can you drive(, please)? あなたが運転してくれる?
Chapter 14
信じがたい蛮行に及んだ翌朝、まるで何事もなかったかのように。いやむしろ安堵したかのように無邪気に眠る Dorian の描写です。
on one’s right(left) side
右(左)半身に寄りかかる形で = 右(左)向きに
横たわっているときの姿勢を表す表現の一つです。こういった「日常的な何気ない様子や動作」を表す表現は、いわゆる「英語学習」では見過ごされがちのような気がします。そういったちょっとした言葉に出会えるのが、「英語圏で作られた英語圏の人々のためのコンテンツ」から学ぶことの最も大きな利点です。僕らが日頃発する言葉の、おそらく7〜8割くらいは、取るに足らない、難しくも立派でもないことで、そういった言葉がスラスラと口をついて出てくることに、言語学習の真髄があるのではないかと思います。
on one’s back / face up(仰向けに)
on one’s stomach / face down(うつ伏せに)
on one’s side(<左右関係なく> 横向きに)
Chapter 15
見た目の美しさとは裏腹にどんどん手を汚していく Dorian は、何食わぬ顔で Lady Narborough 主催のパーティーへ出席します。彼女が急にパーティーを催すことにした理由(娘夫婦が滞在しててぶっちゃけダルい)を Dorian に囁く場面から。
go and do
〜しに行く
「〜しに行く」は、< go + to do(to 不定詞) > と習いましたか? to do が go の目的を表すという点において、それは文法的に間違いではないのですが、ネイティヴスピーカーはほとんどの場合 go and do を用います。try や come も同じように用いられます。
この用法も文法上間違いではないのですが、長くなるので解説は割愛します。この方が「自然な英語」であることを意識し、身につけていきましょう。
go and get something to drink(飲み物を取りに行く)
come and see me(僕に会いに来る)
try and eat it(それを食べてみる)
Chapter 16
物語がクライマックスへ向けて加速していく第四幕の皮切り。不穏な空気が漂っています。
cold・blurred・dripping
冷たい・ぼやけた・滴る
太字で示した語を抜いてみましょう。
A rain began to fall, and the street-lumps looked ghostly in the mist.
当たり前の話ですが、雰囲気と面白みに欠ける、平坦な文章になってしまいますよね。
文中の[役者]一つ一つに、たった一つずつ[化粧]が施してあるだけで、文章の解像度が格段に高まり、読者は物語に引き寄せられます。
会話においても、相手を飽きさせない、あるいは伝えたいことをできる限り正確に伝えるための工夫は必要です。そして、それはさほど難解なことではなく、[化粧]を軽く施したり[衣装]を一枚着せてあげるだけでも充分な場合が多々あります。例えば…
When I was walking back home, a rain began to fall.
…だと「雨が降り始めた」という事実を述べているに過ぎないようにも聞こえますが…
When I was walking back home, a heavy rain began to fall.
…とすると、「大雨=災難」というイメージまで伝わり、「うわっ、そりゃ大変だ」と聞き手に印象付けることができますよね。
Chapter 17
Selby Royal の温室に集まったゲストに振る舞う紅茶を、Monmouth 公爵夫人が用意している場面から。
daintily
繊細に、上品に、優雅に
この一語があるだけで、公爵夫人の手の動きのイメージがより鮮明になり、彼女の人物像まで浮かび上がってくるような気がします。
「どのように」を表す[演出]には、文中の[矢印]、つまり動作や行為の解像度を上げるという効果があります。例えば、1日寝て過ごしたとして…
I slept all day.
…だと「一日中寝た」という事実はわかりますが、それがどうしたという感じがします。そこで…
I slept peacefully all day.
…とすると、寛いだことが伝わり…
I slept lazily all day.
…だと、気がとがめているような印象を与えます。
Chapter 18
身の毛もよだつような事件に続け様に遭遇し、すっかり覇気を失った Dorian が、他者への愛情を取り戻したいと Henry 卿に弱音を吐く場面から。
seem to do/have done
〜である/あった ように思える、気がする
seem は、人や物事についての話し手の客観的な見方や判断を述べる表現です。意外な感じがするかもしれませんが、自分を文章の[主役]にすることだってできます。自分自身についてだって、「〜な気がする」ぐらいにしておきたい確信が持てないこと、客観視して語ることはたくさんありますよね。
e.g.
I seem to like the new Marvel film.
Chapter 19
心を入れ替えると言う Dorian に一体何事だと質す Henry 卿。すると Dorian はある女性との出会いについて語り始めます。よくもまあぬけぬけと…。
very のさらに上を行く「どれだけ(程度)」を表す[演出]です。ポジティヴな語なので、マイナスな印象の語(例:bad, terrible など)と一緒に用いられることは、基本的にはありません。
こういった誇張表現には、話をより生き生きとしたありきたりではないものにする効果があります。実際、very ではまだ不十分と感じるくらい心が弾むこともあるはずですよね。
e.g.
You’ve done it wonderfully well.
Chapter 20
ついに物語はクライマックスを迎え、深夜、Dorian の屋敷におぞましい絶叫が響き渡ります。ざまぁ見…。
creep
忍足で歩く、ゆっくり動く
※ crept は過去形
walk, stroll, limp, hobble, stagger, tiptoe, roam, stride, toddle, etc.
creep も含め、上にあげたのは全て「歩く」かそれに類する語です。ただしその様子がいろいろです。英語にはこのように、基本的には同じような意味でも少し様子が違うだけで全く異なる単語を当てがうという特徴があります。たくさんの単語を覚えなければならないと思うと、目眩がしそうです。しかし…
walk slowly, quietly and carefully, because you do not want to be seen or heard
…を…
creep
…の一言で言い表せるのですから、creep を覚えておくとかなり楽ちんです。つまり、少しずつ意味が違うたくさんの単語には合理的な存在理由があると考えることができます。「むしろ便利」という前向きな気持ちで、いろんな単語と出会い、付き合えたらいいですよね。
さて、いかがでしたでしょうか?
英語と日本語がうまく結びつかなくて「なんで?」て思うことがある。
形容詞や副詞という文法用語は分かっていても、いざ使いこなすとなると難しい。
単純でつまらない文章しか作れない。
似たような意味の単語がたくさんあって、頭がこんがらがる。
英語を学んでいると、そういった悩みを抱えてしまうことがありますよね。今回は、それらを解決する一助になればという狙いで、抜粋と解説をしました。
一つ一つの単語には、各自の役割があり(それをよりわかりやすくするために、僕は[化粧]や[演出]などの言葉を用いています)、その並び方には一定の傾向があります。その傾向をまとめたのが、いわゆる文法です。学んだ文法にお墨付きを与えてくれたり、不足している文法知識を教えてくれるのが、authentic materials、つまり「英語圏で作られた英語圏の人々のためのコンテンツ」です。
また、一つ一つの単語には、各自に合理的な存在理由があります。端的に言うなら、単語の数は世界や人間の心が豊かであることの証明です。authentic materials に触れると、その豊かさにあらためて気づきます。単語は命が宿った言葉となり、言葉は確かな手応えを持ったコミュニケーションツールとなってあなたに宿ります。必ず。
それでは、I wish you happy reading and learning!
Your support in any shape or form counts!