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旬を味わう 待ちすぎて食べられなくなる前に

春になると店頭に並び始めるもの。薄いピンクや朱赤の桃やネクタリン。ジューシーでほんのり酸っぱく甘いこの季節が大好きだ。値段はそこまで可愛くはなく1kgで9,99ユーロ(近所のスーパー調べ)。3個買って4,58ユーロ。こんな値段がするのだから大事に食べなくてはと思うとつい数日たってしまう。気づくと産毛がこそばよい白桃はすでに腐りはじめていた。ただ食べるのではなく、特別な時に素敵な食器や飲み物と一緒に食べようなどと思っていたらあっという間に食べごろ期は過ぎ去ってしまったのだ。

人生においても同じなのではないかと最近思う。いつかお金がたまったら、今の仕事に慣れたらやりたかった仕事に挑戦しよう。余裕ができたら家族を持とう、家を買おう。現代社会に住むわたし達は、何かを始めるまでに膨大な準備期間を要する暮らしをしている。もちろんそれが楽しく疑問を持たない人々もいるだろう。ただわたしは知っている。お金をある程度稼いで家を買い車を持ち年に数回ホリデーに行く暮らしができるようになっても、たぶん満足しないだろうことを。やりたいことはそこにないともうわかっているからだ。

学ぶ。書く。表現する。お金にはすぐならないしずっとならないかもしれないことに人生を費やすのは怖い。けれど子どもを3人育てながら生活のために仕事もしていたら、わたしのキャパはすぐいっぱいになってしまう。表現活動が全くできなくなってしまうのだ。なぜなら、表現にはやる気だけでなくそれを引き出し熟成する時間と空間が必要だからだ。そして生活が落ち着いてからやろうとしていたら、あっという間におばあさんになってしまう。もちろん年を取ってから本を書いたり何か新しいことを始める人もたくさんいる。でも自分はそんなに器用でも才能があるわけではないので、今から始めるしかないのだ。

まわりと違う生き方をするには強くなくてはならないとずっと思っていた。今は違う。わたしはちっとも強くないし、まわりが持っている当たり前な豊かな暮らしや職歴、肩書きがうらやましい気持ちは消えない。それでもこの湧き出る欲求に向き合う覚悟ができはじめてきたのだ。



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