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集中できない時の雑記 完璧主義を超える

来週の締めが2つあり、もうだめかもと心が折れかけている今日この頃。なにが辛いって日中思っていたように勉強が進まなくても5時になればお迎えに行きぎゃーぎゃーする子ども達をなだめすかせながら、帰路につき遅いおやつ(学校でも食べてるので2回)を食べさせ、末っ子をトイレにつれていき、テレビを見せながら夕ご飯の準備をする。どれ1つスムーズに行くことはなく、夕ご飯後に絵本を読み長男の宿題と仕上げみがき、寝かしつけ(ハグするのみ)をなんとか9時すぎに終えたら、息抜きにフランス語duolingoをするともう勉強に向かう体力気力は燃え尽きている。ちなみに夫も子ども達の世話で帰ってすぐ怒ったりしつけしたり末っ子を着替えさせたり洗い物をしたり(ほぼ食洗器だが)忙しい。それでも昨夜はねばって夜更かししてみたが、勉強は続かずネットサーフィンの海におぼれながらうとうとしただけだった。これなら少しでも早起きするほうが何倍もましだ。

昨日は午後休みの水曜日なのに子ども達を学校に預けお迎えも一番最後だった。こういう時罪悪感があるのは子どものためでなく自分が良い母親ではないと感じるからだと気づく。子ども達は公園に連れっててもらったり、ブレスレットをつくったり絵具で絵を描いたり家にいるよりよっぽど充実している。オランダ語を家庭で話さない我が家には学童のスタッフとのコミュニケーションも大いに学びになるのだ。

最近気づいたこと。それは今まで思ってなかったけれど自分が完璧主義だと認めそれを追わないこと。自分の今までしてきた努力と得てきたものを正当に評価してあげること。

先日ルーヴェンの新旧メンバーでお茶をした。帰国子女の友人が英語の語学学校(上のクラスだが)に通っていたと聞き、驚いた。「英語必要なくない?」と思わず聞いてしまったが「私実はそんなに英語できないの。思ったことをうまく伝えられないし。」と返されてびっくりした。同級生に帰国子女が多くずっと帰国子女にはかなわないと思ってきたけど、意外とその壁を乗り越えていたのかもと気づいた。わたしは発音などネイティブとの格差はあるが、思ったことを伝えたり大学で英語で学ぶという経験をしてきた。それは積み重ねられた財産なのだ。

「子どもを3人もみながら大学院なんてすごいですね。」と出会う人すべてに言われる。「そんなことないですよ。」っとずっと返してきたのだが最近はそれもやめようと思う。そんなことあるのだ。実際めちゃくちゃ大変だから。でも楽しいし諦めたくない。ネイティブや若くて時間があるクラスメイトたちと優秀さを競う必要はもうない。少しずつでいいから、書き進める。そんな学びなら子どもが3人いてもできる。はず。

諦めない、積み重ねが生きるという事実のみがわたしが年を経て学んだ真実の一つなのだ。希望はつねにある。諦めなければ。


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