タトゥーに込める”意味”の違い。
大学一年目の夏、バンクーバーに行った。毎日電車で1時間弱かかる語学学校に通っていた。毎日ダウンタウンを徘徊していると、本当に、本当にしっみじみと実感した。
「タトゥー入ってんなぁ〜」
天使のような赤ちゃんを抱えているお母さんからピッコロの服を着たオタクまで、どの年齢層の人間を見てもその肌には何かプリントされていた。
海外に行くと、当然様々な事柄について母国と比較することが多い。物価、治安、人柄、天候、気温。その違いを楽しむのも旅行や留学をする理由の一つだと思う。こんな単純な理由で、私は、日本との”タトゥー”の違いについて考えてみた。
日本のタトゥー事情。どうだろうか。
よく言われるのが、歴史の中で罪人やヤクザがどうのこうの。。。今回は、もうすでに、だいぶ揉まれているそこの話題に論点を合わせないことにする。
現在の日本のような、タトゥー文化がいまだに浸透していない国ではタトゥーを彫っている人たちは目立つ。これは明らかな事実だ。日本の現状を知った上でタトゥー を入れることは、自分が少数派になることが安易に予想できる。つまり、カラダに何か入れる日本人は、何か大きな主張を持っていたり、目立ちたがり屋の人が多いのではないだろうか。
そのピッコロの服を着たオタクは、腕や足に少年ジャンプの主人公たちが大集合していた。さらに近年、サッカー選手を中心に、いわゆる「タトゥーブーム」到来である。自身の背番号、優勝したトロフィーや家族の名前を彫るのが主流だ。
つまり何が言いたいか。
日本は、「刻む」という行為にこそ意味があり、海外は、何を刻むのか、その「内容」にこそ意味がある。
真っ白な布に、「斑点をつけること」に意味があるのか。つけた斑点の「色や場所、大きさ」に意味があるのか。
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