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おさまった過食/心と体は繋がっている

ここのところ毎日連続更新を続けているnote。一番読まれているのは過食の話題だ。

現在、過食はおさまっている。その理由を探ってみようと思う。

そもそもなぜ繰り返し過食が起きるかというと、私の場合ストレスと自己肯定感の低さからだ。

今はストレスがなくなったわけではないけれど、発散したり「解決しないことをこれ以上悩んでも仕方ない」とある程度割り切れている。

うつになるとぐるぐる思考になり、いつまでも答えの出ない問題に悩んでドツボにハマることが多い。

自己肯定感もうつになると極端に低くなる。まったく自分に自信が持てない。醜くて、最低限の生活もままならない自分に嫌気がさす。

自分が嫌いで、自分で自分をいじめる行為が過食なんじゃないか。

ここ2年で体重の振れ幅が13kg。太ってきてダイエットを始め、痩せたと思ったらリバウンドした。(グラフは体重の変化。痩せてからのリバウンドがえげつない)

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その波は躁うつの波にも多少連動している。軽躁になると自己肯定感が上がるのでダイエットもうまくいく。うつに落ちるとストレスが発散できず食べしまう。その繰り返しだ。

この間大きなストレスといえば、2度の引っ越しと母の死だ。生活環境ががらりと変化し、環境に対応するのに大きな負荷がかかった。

今は生活にも慣れ、喪失感とも折り合いがついてきた。何よりよい習慣が身についた。それは体を動かすこと。

よく、うつになると主治医から歩くことを勧められると思う。ベッドから起き上がれず、外出もままならないほど症状がひどい時はともかく、シャワーを浴びて身支度ができる体調の時は手始めに近所のコンビニに行くことから始めてみた。

外の空気を吸うだけで気持ちがいい。少し歩けるようになると、次は10分歩いてみよう、その次はその先のスーパーまで行ってみよう。そんな風に少しずつ遠くへ行くようになった。

スマホに万歩計がついている。うつがひどい時は100歩も歩いてなかった。それが今や、1日8,000歩を週3で歩くようになった。

主治医はスパルタなので毎日1万歩が努力目標という。それだと完璧主義な自分の性格上、一日でも歩けない日があるとテンションが下がるので、間に1日休みを設けたり雨の日はゆっくりするなど、多少自分を甘やかしている。

歩く効果は血流なんじゃないかと思う。血の巡りがよくなると、当然脳の血流もよくなるわけで、うつで停滞していた思考が良い方に回りだす。

ただ、やり過ぎると軽躁に傾くのが厄介。ここは度合いをはかっているところ。

双極の気分安定と再発防止に薬は欠かせないけれど、それと同じくらい体を動かすことが大事だと身をもって知った。

もう一つは栄養。過食するとき食べているのはたいていジャンクフードが多い。カロリーは高いのに必要な栄養が取れない。当然太るし、体にいいわけがない。

今はアプリを使って食べたものの栄養素をチェックしている。完璧主義は捨てて、どんな栄養素が足りてないとか、ちょっと油を取りすぎだなとか、気にかけるだけで食べるものが変わってくる。

私はほとんど料理をしないので、すごく体にいいものを食べているわけでもない。それでも前より健康的な食生活になったと思う。

過食は心の不調から起こる。それはつまり「不健康」とも言える。だけどちょっとの心がけで健康になることができる。

私は基本的にナマケモノなので「歩くのメンドクサイ」「ご飯はテキトー」な人だ。けれど「健康」がこんなに気持ちのいいものだと知らなかっただけなんだと思う。

小さい頃から太っていたので運動が苦手で、その楽しさを知らなかった。母は料理が苦手だったので、必要に迫られなければ私も台所に立つことがなかった。

それを変えようと思ったのはごく些細なきっかけだ。家の近くに無料で使えるジムがあった。友人が痩せたのでコツを聞いたら栄養管理だった。じゃあやってみようかなって。

最初からハードルは上げなくていい。ジムまで歩いて15分、今日はたどり着ければいいや。栄養管理アプリをインストールした、よしよし明日から頑張ろう。そんな一歩でいい。

始めてみることが大事。挫折してもOK。気が向いたら再開すればいい。だって双極の波にいつも揺られているから、体調によって出来る時と出来ない時がある。それでいい。

そんなわけで、またゆるっとダイエットを始めた。ダイエットというと食べるのを我慢するイメージでよくないので別の言葉を探しているところ。

ちゃんと食べてよく歩く。体を鍛えると心はついてくる。心と体は繋がってる。不健康な習慣を捨て、健康をめざす。ナマケモノなのは簡単に変わらないから、焦らずゆっくりと。

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