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「詩のようなもの」「ポエマー」「詩もどき」

「詩のようなもの」「ポエマー」
最近、「詩のようなものを書いてます」と自己紹介してる方がいる。一人目は、作品も素晴らしく、「あなたのは詩です」と語ってしまった。
長文詩、散文詩・五行歌(タイトルなし)ほんの三行詩・一行詩・「無題」あり・.ネガティヴ・ポジティブ・応援歌・エッセイ.妄想、空想、難解、意味なし、W meening 文語、口語、台詞、会話、手紙、何でもあり。その方は、「詩をかいてます」に変えてくださった。

はて、詩のようなものとは、何か?それに対する詩とは、何を指すのか?私のは、どれが詩で、どれが詩のようなものか?
と最近の方は詩をどう思ってるのか。たいていの方は、自己紹介の中に何年何月から書いてますとかいてあるので、まず最近の方。
詩にも流行があるから、きっと「詩のようなもの」が流行なのか?どう区別されてるか、私にはわからない。すると、私のかいてきた詩、かいている詩は、流行など感じとってないので、どうなんだ?もちろん流行になりたくてかいてるわけでないのでいい。

そして、も一つ聞いたワードが、「ポエマー」カタカタ表記なのかもわからない。
ラジオの「なりたくないもの」と云うテーマで、女子中学生が、母親に「ポエマーになりたくない」と言ったそうだ。
そして、私の娘が、LINEで、散々嘆き悲しみ悩みをつらつらと送ってきた。そして、間をおいて、「私はポエマーか」ときた。どうもネガティブな事をつらつら書く事のようだ。それも先に述べたように詩なのだが。どうもポエマーは、よくない人のようです。歓喜の詩もあるので、ポエマーは、詩人の一部と言えよう。しかしネガティブな詩をかく事をよくないとするのは、残念だが、まあ作品と位置づけてないのだろう。

私の親友が、「まだ、詩をかいてるのか!まだ鬱にいるのか!」ときた。余りにも誤解※別のエッセイへ枝分かれするかも※で、他にも話したい事があり親友と思っているので、ランチに誘い、二人きりで話した。
鬱状態で書くもの、人に苦しみを訴えたものでなく、こう云う状態である事、鬱だから感じる事を表現しただけだ。しかも、元気な時に、その時感じた事を思い出して書かなきゃと書き出している。彼女の誤解は、もう一つある。辛い事、悲しい事があって鬱になると思ってる。頑張ってやり切って、鬱になったり、辛くて苦しくて、やっと逃げ出し、ほっとして鬱に入った体験を話した。
また彼女は別の場面で言った「私も鬱になるところだったわ」頑張って鬱にならなかったようだが、“鬱は、頑張りたいのに頑張れない”という基本を知らないようです。そして、逆に頑張ってないのではなく、頑張れない自分に耐えて頑張ってるのです。周囲から怠けてるようにみえてるのでは?という自己嫌悪、罪悪感、動けないもどかしさに耐えて頑張ってるのです。
詩を、自己に酔うものというようなイメージなのだろうか。広く親しまれてるわけでないのはで、構わない。

#詩  ハッシュタグを書くと下段に#詩もどき
と出る。ちょっとイラっとする。要は詩とはわからない。何か定型を知りたいのだろうか。詩は神聖な領域と思って謙ってるのだろうか。
雑誌「詩とメルヘン」1973〜2003。事実上の廃刊の半年くらい前に購入をやめていた。「詩とメルヘン」がなくなって詩とは何かを知りたいのか。
海外でも長文の歓喜の詩がある。桂冠詩人というのがある。
著名詩人のこの詩。著名人のこの詩と。作品をあげたら本当にキリがない。散文詩というのがあるのだから、自由にかけばいいと思うのだが。やはり詩は、“ある”ものより“ない”事がO Kな事か。説明、事実はなくていい。もちろんあってもいい。思い切れば伝わらなくていい。

そして、私は好きで詩をかいてんじゃねぇ。です。私に何ができるだろうと考えると、書き出し続けるしかない。書き出す努力している。書き出す事は時にiPhoneのメモ機能知ってしまい、crazyな作業になっている。もう私は一生、かき続けるであろう覚悟はできた。かいてすぐ発表しないのも、死後50年くらいして、評価され、映画化でもされるのがいい。
詩に、憧れも夢もない。載せていくのは、夢へ繋がる道具になるなら使うという事だけだ。
まあ、このnoteでみなさんの、反応、好み「こんな詩がいいのか」「これをわかってくれる方がたくさんいるって素晴らしい」と面白いし、交流は楽しい。

でも、ごめんなさい。詩には興味はない。結局、ひとりよがりてしたね。特に熱心に詩作にしてらっしゃる方には失礼しました。

ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?