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【エッセイ】「選択肢」は常にあるものではない

私の母は過労で倒れ、
車椅子となり数年後に死んでしまった。

父がアル中であまり働かなくなってしまい、
お金を稼ぐために母が働くしかなかった。

母が亡くなった後、私の母の兄、
つまり「叔父さん」と会う機会が度々ある。

前に、その叔父さんに対し「なぜ母は過労になる前に、父と離婚しなかったのだろう?」質問した。

返ってきた言葉は、以下のような事だった。

家族(父や私)を養うため
あの時は仕方がなかったんだ。

これで私はハッと思った。

当時、母の知人たちが母に対し、
「早く離婚したほうが良い」
と言っていたらしい。

そして私たちが、後から振り返ると
「何故離婚しなかったのだろう」と思う。

つまり第三者が皆「離婚した方が良い」
と母へ言っていたし、思っていた。

しかし、そもそも母には離婚という
「選択肢」が無かったのだ。

*****
母は「家族」という事を、
とても大切にしていたらしい。

母の生い立ちが、子どもの頃に親戚の家に預けられたりしており、家族とそれほどうまくいっていなかったようだ。

これらの事は、
叔父さんや母の知人から聞いた。

そのせいもあり「離婚」という、
家族が離れ離れになる手段を取らなかった。

そして、遂に母自身が倒れてしまい、
結果としてはこのようになってしまった。

*****
「選択肢」は常に存在していて無数にある。
そして、それは自分で選んでいける。
というような事が言われている。

後から振り返ると、あの時あの場所で私たちには、いくつもの「選択肢」があったように感じる。

・あちら側を選んでいれば幸せだったのに!
・こちら側を選んで良かった!

それらは「選択肢」と見えていた。
しかし、実は「選択」そのものが無く、
まっすぐ進まなくては「仕方がなかった」

運命論者ではないけれど、私の母のあの時の「まっすぐ進むしかない」というような事が無数に存在するのかもしれない。



つづく。


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