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アミーア・アレクサンダー『世界は幾何学で作られている』

☆mediopos2271  2021.2.3

数の世界も
幾何学の世界も
イデアの世界にある

プラトンはイデアの世界を垣間見て
その永遠不変のイデアを地上に映そうとした

普遍的秩序である幾何学的理想が地上に下ろされ
それが現実の庭園の通路や街路として
刻まれはじめたのはヴェルサイユ庭園であり
それは現代のワシントンDCにまで至っている

世界をユークリッド幾何学的に見ることは
すでに現代においては批判されてさえいるのだが
そうした幾何学的な秩序の表現は
いまなお世界ではその栄光を失ってはいない
しかしその栄光はプラトン的には影でしかないだろう

形相はイデアに由来するというが
プラトンのイデア論に対して
アリストテレスはその形相(エイドス)を
質料(ヒューレ)とは切り離されない内在的なものであるとした

プラトン的にとらえれば
地上における幾何学表現は
あの洞窟の比喩で示唆されているように
イデアとしての実在の影なのだが
アリストテレス的な形相としてとらえれば
地上における幾何学として表現されている
そのもののなかにイデアは内在していることになる

プラトン的なイデアの捉え方では
幾何学的な形もこの地上では影にすぎない
であるならば
たとえそれが地上に下ろされたとしても
ヴェルサイユ庭園もワシントンDCも影でしかないのだ

たとえ数の世界も幾何学の世界も
イデアの世界に実在するのだとしても
そのイデアはこの地上における存在のなかに
内在しているとしてとらえたときに
はじめて地上的営為は影を超えることができる

話は本書をさらに超えて飛躍することになるが
本来は太陽霊であり地上では顕現できない
(ゆえに当初サウロであったパウロは
キリスト・イエスを認めることができなかった)
キリスト・イエスが地上を生きた奇跡も
そのことと関連してとらえたときに
はじめてその意味が明らかになる

「世界は幾何学で作られている」ならば
この世界において
そのイデアを生きることのできる
そんな生きた思考を可能にしなければならない

これはかつてゲーテが原植物を示唆したことや
光を見ることについて語ったとも通じている
「もし眼が太陽のようでなかったら、
どうしてわれわれは光を見ることができるだろうか」

■アミーア・アレクサンダー(松浦俊輔 訳)『世界は幾何学で作られている』(柏書房 2020.9)

「幾何学はいかにして西洋の伝統でその高い地位を得たのか。またそれはなぜか。それはいかにして普遍的秩序の象徴となり、政治権力の道具となったのか。それはわれわれの過去をどのように形成し、どんな形でわれわれの現在をなおも形成しているのか。(・・・)しかしその前に、二五〇〇年前までさかのぼり、日の当たる地中海の浜辺に降り立つ必要がある。最初の幾何学的証明が発見され、書きつけられたのが、紀元前四〇〇年頃の、ギリシア語圏のどこかだったからだ。それによって世界は姿を変えたと言っても過言ではない。」
「紀元前五世紀、地中海沿岸の点在したギリシア語圏の都市国家のいずれかで、最初の証明が行われた。それはほぼ確実だが、正確にいつ、どこだったのかはわからない。最初の数学的証明がどういうものか、あるいはそれを考えついた無名の天才の名もわからない。おそらく、今日中学校で初めて幾何学を学ぶ生徒にもおなじみになる、直線と角に関する単純な論証だっただろう。それでも、その発見の意味はとてつもなかった。」

「(プラトンは)自身の対話篇では、幾何学は普遍的な真理の世界へ至る並ぶもののない道筋を提供すると論じている。プラトンによれば、私たちがその感覚を通じて知っている物理的な世界は、永遠不変の「形相」からなる「本物」の世界の、淡く移ろいやすい影にすぎない。」
「しかしいくら幾何学を称えたと言っても、プラトン自身が幾何学者だったわけではない。プラトンは幾何学的知識の蓄積を喜び、その方法と証明を称え、それが普遍的真理への道を整えると論じた。しかしプラトンは、幾何学が形相の世界を垣間見せてくれると信じはしても、完璧な幾何学的世界がどのように見えるのかについてはほとんど何も言わなかった。そのため、幾何学的世界観を実際に描くという課題は、当時の幾何学的実践について専門的な理解と、それまでの幾何学者によって生み出された成果についての広い知識の両方を有する人物に残された。その人物がエウクレイデス〔英語読みではユークリッド〕という、紀元前三〇〇年頃にアレクサンドリアの一大研究機関ムセイオンにいた、本職の幾何学者にして学術に通じた学者だった。
 エウクレイデスは、おそらく史上最大の影響を残した数学者だが、数学で自ら生み出した独自の成果は一つもなかったかもしれない。創造性のある数学的技法や巧みな作図の中にエウクレイデスによるとされるものはない。」
「エウクレイデスの当時の数学者からすれば、『原論』には、知識の先端を進めるのに役立つような新しい洞察はほとんどなかった。そこに収められた平行な直線、三角形、円についての定理は、大部分がよく知られていて、幾何学者は自分の仕事の中であたりまえに適用していた、しかしエウクレイデスは、よく知られていてもばらばらだった帰結をすべて集め、それをまとめ、それを一個の整合的な論理的体系にしたのだ。」

「『原論』では、プラトンがあのように優雅に援用した絶対の真理による合理的で永遠の世界が現実になっているのだ。」
「『原論』を読むと、だんだん複雑になる真理を次々と学ぶだけではなく、それ以上に、合理的で完璧に並べられ、どこまでも階層的な、あらゆる時間と空間を通じて変わらずに存在するイデアの世界を覗き見ることになる。」

「しかしその世界はどこにあるのだろう。それは普遍的で時代を問わないとすれば、身のまわりのそこらじゅうにあって、われわれ自身の世界が完全に整っていて階層的である----あるいは少なくともそうであるはずだ----ということになるように見える。実は、幾何学者と哲学者がまさにその結論に達した証拠がいくらもある。たとえば、幾何学の調和と秩序を称えたプラトンは、民主制のアテネでのポリス生活に特集の無秩序を嫌っていた。『国家』という、幾何学の徳を称えたのと同じ対話篇では、各市民が厳格な階級による階層構造に置かれ、そこに生涯の位置を割り当てられる固定的なポリス秩序を唱えてもいる。これが国家を整える唯一の適切な方法であることを、他ならぬ理性が定めたのだとプラトンは論じた。そして古代の幾何学者が大胆な政治的発言を控えながらも、その大半は国王や僭主の宮廷に歓迎されてもいた。」

「一五世紀初頭には、幾何学は地上に下ろされ、それとともに、世界の隅々にまで行き渡る合理的で紛れもない普遍的な秩序が約束された。それは近代物理学を可能にしただけでなく、あらゆる種類の近代国家----王国でも共和国でも帝国でも----も可能にした。幾何学が近代世界を可能にしたのだ。」

「ヴェルサイユの見事な庭園は、フランス王家の幾何学の頂点だったが、幾何学的理想が世界に広がる出発点でもあった。まもなく、ヴェルサイユのユークリッド幾何学的なパターンは、パリやウィーンやニューデリー、マニラに至るまで、庭園の通路や街路に刻まれるようになる。ヨーロッパの諸大国が植民地を確立し、都市を建設するところには、三角形や円や楕円が、つまりユークリッド幾何学的な宇宙のしるしが見られるようになる。世界最大の共和国でさえ、その首都を、あらゆる幾何学的都市の中でも最大の都市として建設した。ワシントンDCは、その厳格な設計の中に、大統領と議会の間、連邦の権威と各州の間の注意深い権力のバランスを埋め込んでいる。共和国の厳格な秩序が幾何学という対抗のしようがない力によって配置されているのだ。」

「実際のところ幾何学的世界は、ほぼその胚胎の瞬間から、次々と攻撃を受けていた。なかでも執拗な批判を行なったのは、世界は数学的に整っているという前提そのものを疑う人々だった。その中には、伝統的なアリストテレス派がいて、こちらは中世の伝統を固守し、数学を世界の多様性や複雑性を記述するのには適切でないと見ていた。」

「ボヤイは(・・・)すべてを永遠に支配する単独の、必然的な、否定できない秩序を確立するのではなく、無限にありうる、それぞれが他と同じく真で合理的な秩序に達したのだ。その無数の秩序のそれぞれは、この世界に合致していなかったるい、われわれのいる現実を記述していたり別の現実を現実を記述していたり、他の対立する幾何学的秩序と並んで存在していたりするだろう。そうすると、政治的秩序----絶対主義でも共和派でも他の何でも----をユークリッド幾何学の原理の上に立てようとするどんな試みもまったく的外れということになる。われわれの知っていることからすれば、世界はまったく異なる秩序であってもよい。以前は、幾何学批判派が、幾何学が世界を正しく記述する能力に疑問をはさんでいたが、ボヤイとともに、当の幾何学が、幾何学の真理は世界にあてはまらないかもしれず、相容れない真理が並び立てると説くことになった。否定できない一つだけの合理的世界という夢にとって、これほど衝撃的なこともありえないだろう。」

「世界をユークリッド幾何学的に見ることが絶えず攻撃にさらされているように見えるとしても、世界で最も有名な通りでは、その栄光はほとんど衰えていない。」

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