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ヴァージニア・ポストレル『織物の文明史』

☆mediopos-3028  2023.3.3

織物の歴史は人類の歴史でもある

本書を読めば深く頷けるように
織物について学ぶということは
人類の科学・経済・歴史・文化について
理解を深めるということにほかならない

つまり本書のタイトルにあるように
織物の歴史は「文明」の歴史であるということだ

わたしたちがそのことをあまり意識しないでいるのは
現代においては織物(テキスタイル)が
「あまりに潤沢にいきわたっているから」だ

私たち人類は「布」とともに成長してきた
赤ん坊として生まれ布に包まれるようになってから
織布は私たちの生活のありとあらゆるところに存在する
そして文明としても同様である

まず本書で「紐時代」と形容されている
「石器時代」の「紐」があり
動植物を原材料として紐が作られた
しかし紐はまだ「布」とはいえない

「布」を生産するためには
「大量で、常時安定した原料の供給が不可欠」である
そのためには「広々とした亜麻の栽培地、多くの羊の群れ、
そしてその膨大な原料を何千、何万ヤードもの
糸に変えるための時間も必要」となり
「およそ一二〇〇〇年前、人類は定住生活を始め、
農耕を行い、家畜を飼うようになった」

また糸を紡ぐためには
紡錘車(スピンドル)という何の変哲もなさそうな
けれど技術的にみて卓越した道具が必要で
古代の人々はその道具を使って
糸を紡いでいく方法をさまざまに工夫してきた

その糸を紡ぐには手先の訓練が必要になるが
それを布にする機織りをするためには
数学的な理解が求められる

「経糸を適宜に上下させることで緯糸は列となり、
列はパターンとなり、点が線となって線は面となる。
織布は人類のもっとも初期の段階で表現された
演算規則(アルゴリズム)」なのだ

また布を染色する技術も
現代のように色を化学的に作りだせるようになるまでは
有機化合物を使った黄色や茶色や灰色以外の
赤や青を染めるのはたいへん困難なものであった

さらに布(テキスタイル)は
「青銅器時代から今日のコンテナ船に至るまで」
交易の中心を成し
「新しい布地を手に入れたいという望み」ゆえに
その「消費者は、社会を変える力を持」ってきた

そして一九二〇年代になってウォーレス・カロザースが
新たに化学繊維を発明して以来
テキスタイルはさらに世界中に影響を及ぼすようになっている

織布のない人間も歴史も想像することはできない
(例外的に裸族のような民族も存在するだろうが)

このようにあたりまえのように思っているものに
あらためて光を当ててみるだけで
人間とその歴史が別の様相のもとに見え始める

「あたりまえ」というのは
決して「あたりまえ」なのではない
そのことに気づくことができるだけでも
本書はとても意義深い一冊となっている

■ヴァージニア・ポストレル(ワゴナー理恵子訳)
 『織物の文明史』(青土社 2022/12)

(「序文 文明を織りなすもの」より)

「「無毛の猿」である私たち人類は、布とともに成長すると言ってもいいかもしれない。赤ん坊が生まれ落ちて即座にタオルに包まれてから、私たちの生活はテキスタイルに囲まれている。身体を覆い、寝床を覆い、床を敷き詰める。(…)織布は私たちの生活のありとあらゆるところに存在する。」

「織りは紛れもなく人間の発明力の表象といえる。
 農作業は、食料生産と同時に繊維を生産することを目的として発展している。 肉体労働を軽減する工具や機械は、産業革命のなかで発明されたものも含めて、〈糸〉を作る必要性から生まれた。化学の起源は布を染色し織物を仕上げる工程から発達した。二進法——および数学の様々な着眼点——の始まりは、布を織るという発想に起源を持つ。」

「世界中いたるところで織物の物語は、文明というものの本質を描き出す。」

「織るということは、工夫するということ、そして創出するということ。最も単純な要素かた機能と美を生み出すということだ。」

「布を織ることは、どういう造形であれ創造的な行為であることは共通している。技術を習得し洗練させなければならない。」

「織物の歴史は、著名な科学者と名もしれない農民たちの歴史だ。そして漸進的な改良と突然起こる飛躍的な進歩、繰り返される実験と千載一遇の発見、人間の求知心と実用性と寛容さと貪欲さに駆られた行為の軌跡。芸術と科学、女と男、偶然の幸運と緻密な計画性、協調的な交易と残虐な戦闘、それらが入り混じった物語。つまり、古今東西にわたる様々な時代と世界中の国々や町々を織り込んだ、人間性を語る歴史ドラマなのだ。」

(「第一章 繊維」より)

「木綿、ウール、リネン、絹、その他それほど知られていない数多くの繊維は確かに動植物が原材料だ。だが、これらのいわゆる〈天然繊維〉の諸々はあまりにも古代から慣れ親しまれている人為的産物であるがゆえに、私たちはそれが人の手を加えて作られたものであることをすっかり忘れてしまっている。布を織り上げようという努力は、まず糸を作り出すのに適した繊維を、植物や動物がおのずから算出する以上に豊富に作り出すよう、植物や動物を変えていく努力から始まる。」

「通常、〈石器時代〉と呼ばれている時代は〈紐時代〉と呼んでも間違いはない。この先史時代の技術品————石器と紐————は、文字通り結び付けられていた。」

「最も古い繊維の材料は「靱皮(じんぴ)繊維」と呼ばれ、木の樹皮のすぐ内側の部分や、もしくは亜麻、麻、苧麻(ちょま)〔麻の一種〕、イラクサやジュートなどの茎皮から取られる。
(・・・)
 育つのに時間のかかる木であれ、一挙で成長を終える草であれ、靱皮繊維だけではつぎつぎに紐を作り出すことはできない。」

「紐は輝かしき技術だったと言えるだろう。しかしそれではまだ布ではない。布を織り出すのに必要な糸を生産するためには、さらに大量で、常時安定した原料の供給が不可欠だ。広々とした亜麻の栽培地、多くの羊の群れ、そしてその膨大な原料を何千、何万ヤードもの糸に変えるための時間も必要だ。つまり、〈農業〉が打ち立てられることになったわけだ。農耕という技術が食料から繊維へと素早く拡張された。これがいわゆる新石器革命の到来である。およそ一二〇〇〇年前、人類は定住生活を始め、農耕を行い、家畜を飼うようになった。」

(「第二章 糸」より)

「紡錘車(スピンドル)〔はずみ車とも呼ばれる〕という道具は何の変哲もないものだ。石や粘土や木などの硬い材料でできた小さな円錐形か円盤形か球形のもので、真ん中に穴が開けてある。(・・・)「スピンドルは考古学者が発掘したもののなかで、最も目を輝かすような出土品というわけではありません」、と研究者も認める。だが、これは、単純ながら、少量の紐を綯うことから布地を織るのに必要な大量の糸を作り出すことまでを可能とした道具で。農業そのもののように、人類が作り出した最も古く、そして最も重要な技術の一例なのである。」

「世界中の至る所で、古代の人々はスピンドルを使って糸を作り出す方法を工夫してきた。単純な構造でありながら、技術的にみて実に卓越した道具だ。持ち運びに簡単で、そのへんにある素材ですぐに作れる。熟練した者の手にかかると、驚くほど細くて頑丈で均質な糸が作り出される。」

(「第三章 布」より)

「糸紡ぎは手先を訓練する。だが機織りは頭脳に挑戦する。音楽の世界のように、機織りは深淵なまでに数学的である。織り人は比率という概念を理解しなければならない。素数の意味を把握しなければならない。面積や長さの計算をこなさなければならない。経糸を適宜に上下させることで緯糸は列となり、列はパターンとなり、点が線となって線は面となる。織布は人類のもっとも初期の段階で表現された演算規則(アルゴリズム)である。具現化された暗号情報なのだ。
 数学という概念が人々の意識にのぼるずっと前に、機織りは人間の日常生活のなかに〈直角〉と〈平行線〉とを一般化させた。」

「昔も今も、織布のほとんどは平織りである。平織りでももちろん、織り始める前に周到な計画を立てておく必要がある。色を交ぜるデザインであれば、特に事前の準備は大切だ。といっても、これはそれほど頭をしぼるものではない。しかし、パターンを作り出す場合はずっと込み入ったもにになる。」

「織物に対して、編み物はずっと最近になって確立された技能である。一番古い例はおよそ一〇〇〇年ほど前のイスラム勢力下のエジプトに現れる。織物と同じく現代の専門化たちは、発掘された編まれたテキスタイルの構造をより正確に把握すべく、解明し再現する努力をする。」

(「第四章 染色」より)

「テキスタイルのための色彩が研究所で化学的に作り出されるようになってから一五〇年ほどが経ち、〔染色に関して〕楽をすることに慣れてしまった私たち現代人は、染料という物質を当たり前のもののように考える。しかし、事実はそのような単純なものではないのである。一五世紀のフィレンツェの染色職人は「どんな雑草でも染料として使える」と言っているが、それは黄色か、茶色か、灰色に染めたい場合だけである。こういった色合いは、灌木や樹木に一般に含まれているフラボンやタンニンのような有機化合物が出すものだ。赤や青を作り出すのは複雑だし、その原料は稀で、緑となるとほぼ不可能に近い。クロロフィルは染料としては使えないのだ。その上、染色するためには、植物をお湯につけてそこに繊維を浸して色をつけるという具合に簡単に事が運ぶことは、まずほとんどない。」

「染色は、工芸品に美や意味合いを託そうとする、人間の自ずと涌き出てくる願いを顕著に表すものである。同時にその願望が触発する化学的探究心と経済的、企業的野心をも表している。染料の歴史は、化学の歴史だ。その力とその限界、道しるべなしの試行錯誤の積み重ねの歴史なのである。」

(「第五章 交易商」より)

「青銅器時代から今日のコンテナ船に至るまで、テキスタイルは交易の中心を成してきた。からだを覆うものとして、住まいを整えるものとして、テキスタイルは必需品であり美の対象であり、また身分を誇示するする財産でもあった。繊維や染料はどこそこの地域で産出され、またどこそこの地域でより望ましいテキスタイルを産出するための特殊な技術を発達させた。だが、その産物である布地は簡単に動かせる。そして地方特有の布地や技術のおかげで名産品の生産が促進され、地元にはないものを補う意味でも各地域間の交易が刺激された。

 さらに考慮すべきことは、繊維栽培から織布、そして衣料生産というテキスタイルを産みだす幾重にもわたる過程は、それぞれ時間的にも空間的にも分け隔てられているということだ。ということはすなわち、各々の段階でそれなりの経費が生じ、最終的な販売収益が達成されるのに先立って、それら各段階で生じる経費はどうにかして賄われなければならないのである。」

(「第六章 消費者」より)

「新しい布地を手に入れたいという望みは、実に驚くほど強力な動機付けとなる。布を買おうと思うか、自分で作り出そうと思うか、または誰か他の者から取り上げようと企むか、布の消費者は簡単に予測できない動機を生み出す。戦を始める場合もあれば、法を犯すこともある。階級社会を覆したり、伝統をあざ笑ったりもする。気まぐれにコロコロと変わる好みは、富と権力の秩序をひっくり返したり、新規事業に大成功をもたらすかと思えば、以前の勝者を破滅させたりもする。消費者の選択は、「絶対間違いない」とか「これこそ本物」とかいう一見不動の固定観念に挑む。テキスタイルの消費者は、社会を変える力を持つのだ。」

(「第七章 革新者」より)

「ウォーレス・カロザースは新しい繊維を作り出すことなど意図していなかった。ましてやそれまで存在していなかった素材についてなど、考えてもいなかった。ただ、科学上の議論のけりをつけようと思い立っただけのことだ。」

「ある科学史家によると、「一九二七年の秋の暮れにデュポンが粘り強く熱心にカロザースを口説き続けることをしなかったとしたら、この若きハーバードの化学者はポリマーの研究に興味を持つこともなく、新たな研究計画を立てることも思いつかなかったかもしれない」人類の歴史を通して、より大量の、より上質の布地を求めようという熱意は、常に技術革新を進める牽引力となった。新種の蚕、ベルト駆動、為替手形、デジタル編みなど、すべて布地の生産と普及の向上をめざした努力のたまものだ。テキスタイルは世界中どこにでも存在する。それを製造し、販売することで得られる収益は多大だ。そしてそのことがさらにまた、テキスタイルが人間社会に及ぼす影響を増幅させることになる。それが理由かどうか、テキスタイルは科学者や発明家、投資家と企業家、また傭兵に理想主義者たちなど、さまざまな人々の想像力を鼓舞し動機づけてきた。テキスタイルを変えること、それは世界を変えることになるのだ。」

(「おわりに なぜテキスタイルなのか」より)

「テキスタイルについて学べば学ぶほど、科学、経済、歴史と文化についての理解がより深くなった。つまり「文明」とよばれる現象のことだ。私たちはテキスタイルに関して一種の健忘症にかかっている。それはテキスタイルがあまりに潤沢にいきわたっているからだ。その疾患には値札が付いている。過去から譲り受けた遺産の不可欠な部分を不明瞭にし、私たちがどのようにしてここまでたどり着いたか、私たちが一体だれであるのかということを覆い隠してしまうのだ。」

「テキスタイルの物語は美と英知とを映し出す。不謹慎な振る舞いや時には残忍な行為もなされた。階級制度も生み出したし、穏便な回避策が成功することもあった。平和裡に交易が栄えたこともあれば、残虐な戦争になったこともある。ありとあらゆる布地のなかに織り込まれているのは、男性であれ女性であれ、その布を作り出した興味深い、才たけた、希望に満ちた者たちの行いであり、地上のあらゆる場所から発せられた過去、現在、既知、未知の出来事の総計なのである。

 この先祖伝来の伝統はどの国のものでも、どの民族のものでも、どの文化のものでもない。この物語は、ヨーロッパのものでもアフリカのものでもアジアのものでもアメリカのものでもない。それは全ての国、民族、文化、大陸を統合し、分け合うものだ。私たち人間全ての物語、数かぎりない鮮明なる糸で織り出されたタペストリーなのである。」

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