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中沢新一『アースダイバー 神社編』

☆mediopos-2376  2021.5.19

「アースダイバー」の一連の試みは
「土地の形態とその上につくられる人間の精神構築物」が
相互嵌入しあい複雑な統一体をつくることで
「自然と精神とがある種の類比性(アナロジー性)をもって、
共鳴現象をおこしていること」を示そうするものだ

最新作の「アースダイバー」は
縄文古層と弥生古層の上に
新層が加わった地層をなしているという
「神道」と「神社」をテーマとし

「精神の内部にも自然地形と類比的な
「地質学的」な階層構造が見出されること」を
明らかにしようとしたのだという

神社にはさまざまな神々が祀られ
その中心には多くアマテラス神がいる

アマテラス神といえばふつう
「皇室の先祖神であるアマテラス神」と
考えられているが
その「古層」には
海民たちの奉じていたアマテラス神がいる

古層のアマテラス神には主に
太陽の運行に関わる時間的秩序の神の側面と
豊穣神としての側面が同居し
自然の循環性と深く関係しているのだという

伊勢神宮で内宮に祀られているのは
天孫降臨に由来する
皇室の先祖神のアマテラス神だが
外宮に祀られているトヨウケ神は
古層のアマテラス神が姿を変えて祀られているのだ

そうして伊勢という聖地は
古層的聖地から新層的聖地へと作り替えられ
古層の神道は隠されていくことになっていったが
中沢新一は「アースダイバー」の視点で
「日本人の心の表層に覆いかぶさっている
新層の堆積を取り除いて、その下から
日本人の心の自然地形をあらわそうと試みた」という

たとえ表面には現れていなくても
自然における古層にも
また精神における古層にも
かつての縄文古層と弥生古層が残されている
その古層からあらわれてくるであろう
「日本人の心の自然地形」を見出そうというのだ

日本列島の地層が複雑な成り立ちをしているように
日本人の心の地層もさまざまな成り立ちをしている
決して「日本民族」というようなかたちで
ひとつにくくられるようなものではない
このことはいくら強調しても強調しすぎることはない

さてこの「アースダイバー」シリーズは
はじめ2005年に最初の『アースダイバー』が刊行され
今回の「神社編」でシリーズ第4作目になり
ここにきて精神における古層にまで辿り着いたが
今回あらためて中沢新一の一貫した姿勢には
「古層」への回帰的な志向があることを
再確認することになった

宗教的なアプローチはともすれば
過去に行けば行くほど真理がある
というようなところが避けられない
ある宗教が成立したとき
その高みにはつねにその開祖がいるのだ
そして現在はその部分集合になってしまう

古層は古層で重要なことであり
宗教のほんらいの源泉をとらえるのも重要だが
重要なのは過去の層なのではなく
いままさに積み重ねられている新たな層であり
それが過去の層をふくめたすべての層が
そのなかであらたに変容する可能性だろう

かつて中沢新一がオウム真理教という
「古層」を偽装した過去向きの行への
親近感からか錯誤してしまうことにもなったように
「古層」はそれを見出すことに意味があるのではなく
それがいかに新たな姿へと変容しながら
あらたなものが付け加わっていくかが重要である
そのことを忘れたとき現在は
ただ過去への郷愁になってしまうから

■中沢新一『アースダイバー 神社編』(講談社 2021.4)

「アースダイバーの試みをとおして、私は土地の形態とその上につくられる人間の精神構築物とが、たがいに独立系をなしているのではなく、相互嵌入しあうことによって、複雑な統一体をつくっている様子を、あきらかにしようとしてきた。それによって、自然と精神とがある種の類比性(アナロジー性)をもって、共鳴現象をおこしていることを、日本の都市形成の歴史を題材にしながら示そうとした。
 「神社編」と名付けられた今回のアースダイバーでは、その試みをさらに一歩進めて、精神の内部にも自然地形と類比的な「地質学的」な階層構造が見出されることを、精神のトポロジー的な表現である「聖地」のありかたを題材にして、探求してみうとした。日本の聖地である神社の内面空間に、いくつもの異質な系が層をなして堆積し、それらの層はただいに独立しているのではなく、相互に入れ子構造をなしながら歴史的統一体をつくっているのが、それによってよく見えるようになる。こうやって形成されてきた神道には歴史を貫く同一性はなく、いくつもの非連続な断層を含んでいる。その異質な系のあつまりが、独特な統一体をつくりなすことによって、神道というものができている。これは日本列島の地球学的ななりたちとまったく類比的である。ここでも自然と精神の共鳴現象がおこっている。
 日本列島にはおびただしい数の神社があり、神仏習合時代の社寺を含めると、『アースダイバー 神社編』が取り上げなければならなかった神社は、気が遠くなるほどにたくさんであるが、私はその中から「縄文系」と「海民系」の二種だけを取り上げて、詳細な検討を加えることにした。この二つの系列の神社こそ、日本列島に形成された聖地のなりたちにとって、決定的に重要な働きをしたからである。」

「海民たちの奉じていた「古層」のアマテラス神と、皇室の先祖神であるアマテラス神の間には、本質的な違いがある。古層のアマテラス神には、天空を行く太陽の運行の周期性に基づく時間的秩序の神という側面と、その熱気で事物を成就させる豊穣神としての側面が同居している。この二つの側面は二つの異なる神格として表現される場合もあるが、多くは一つの神格の中に共存している。このように、古層のアマテラス神は自然の循環性と深く関係している。
 ところが皇室のアマテラス神は、天孫降臨ということをおこなうのである。高天原から地上世界をごらんになられて、そこに自分の子孫を降臨させて領有統治させることにした。お祖母さまの言いつけにしたがって地上に降臨したニニギノミコト(稲穂の神)は、そこで出会った山の神の娘を娶り、そこから皇統の子孫が増えていった。このような天孫降臨が起こると、宇宙には天上世界と地上世界からなる階層構造が生まれる。この階層構造はきわめて堅固で、上下の逆転や混合は起こりにくい。天上世界は秩序をもって地上世界を支配する立場にあり、地上世界は農業生産をおこなってこの世を豊かにしていく民からなる。この階層構造は壊れにくく不動である。そこでは循環性は断ち切られ、恩恵はつねに上から下にもたらされ、下は上に向かって供犠や租税を奉献する国家的な神道の仕組みがつくられる。
 七世紀には正式に伊勢神宮が創設され、皇室の先祖神であるアマテラス神が、そこの内宮に鎮座することになった。海民の奉ずるアマテラス神と名前はいっしょだが、まったく本質を異とする神が、二所権現の一方に鎮座することになった。これによって日本人の精神の弥生古層には激変がもたらされることになった。伊勢の地で発生したこの弥生古層の劇的な改造劇ののち、新しく形成を始めた神道の構造を、「断層」の神道と呼ぶことにしよう。この新層神道の影響はその後、日本列島の全域に広がっていく。縄文古層と弥生古層の上に新層が覆い被さり、地表には新層しか見えていないという状況がつくられていった。
 ではなぜ、皇室のアマテラス神は、このような改造をおこなったのか。初期ヤマト王権の「大王」たちの妻の多くが海民系氏族の出身者で占められ、連合政権としての性格の強かったヤマト王権を支える在地豪族たちの多くもまた、太陽神を奉ずる海民的部族の出身であった模様である。海民的な勢力に支えられていたヤマト王権は、自分たちの先祖神としてアマテラス神を奉じた。そのアマテラス神は、他のアマテラス神と同様に循環的世界観に適合する太陽神であったはずである。それがなぜ、循環を断ち切って世界に階層構造を持ち込む天孫降臨の神話を中心に据えるような道を選んだのか。ここには日本国家形成のいきさつが深く関係している。そのいきさつを溝口睦子氏の研究(『王権神話の二元構造』『アマテラスの誕生』)などをもとにたどってみよう。
 『日本書紀』『古事記』は神々の時代の事績を語る「神代」の部分に、どうにもおさまりのつかない不整合を抱えている。『日本書紀』 の例を取り上げれば、その部分は「神代 上」と「神代 下」に分かれていて、前半ではイザナミ・イザナギの国生みに始まり、オオクニヌシに終わる。それに対して後半はタカミムスヒを主神とする天孫降臨神話が中心となっている。それぞれがまとまった神話体系をなしている。この二つの神話体系は、下巻のはじめに置かれた「国譲り神話」によって結びつけられて、いちおうひと続きの物語をなしているが、二つの部分の異質性はあきらかである。
 諸豪族の連合として発足したヤマト政権は、朝鮮半島経由で導入された北東アジアの王権神話を、建国の根拠に据えようとしていや。それは天空の至上神タカミムスヒを中心とする神話(ムスヒ系建国神話)で、地上における建国は天上界からの「天孫降臨」によってなされるというものである。タカミムスヒは天(タカミ)とムスヒ(生命を成長させる太陽)の結合でできているから、アマテラスなどと同じ太陽神をあらわす。このムスヒ系建国神話に依っていたのは大王家と王権中枢にいた大伴氏や物部氏などである。ちなみに大王家よりも早く畿内の開発を進めていた物部氏にも、彼らの天孫降臨神話がある。そこでまず最初にタカミムスヒによる建国神話が作成された。
 これにたいしてヤマト王権を支えていた地方豪族たちは、イザナギ・イザナミ〜アマテラス・スサノヲ〜オオクニヌシ系の神話を、各家の起源神話として伝承していた。それらは海民的要素の色濃い神話群で、豪族たちの海民的出自を物語っている。これらの伝承をまとめて「神代 上」の神話が作成された。この海洋的神話群は北方的な天孫降臨神話とは折り合いがよくない。
 そこで大王家と大伴・物部氏らは、二つの神話系の折衷を試みた。イザナミ・イザナギ系の主神オオクニヌシが、ムスヒ系建国神話の主神タカミムスヒに「国譲り」をするという神話を新たに創作することによって、二つの神話がひと続きにつながるようになった。さらにそこに日向神話などがつけ加わることによって、全体をひと続きの物語にした。
 建国神話が創作されるこのような過程をつうじて、海洋的弥生人の奉じてきたアマテラス神の変質が起こったのである。北方アジア産のタカミムスヒは登場してすぐに『記紀』神話の舞台から消えていく。かわってアマテラス神が天孫降臨の主神となっていく。こうしてアマテラス神はタカミムスヒ神の属性であった天空の絶対的至上神としての性格まで、自分の中に取り入れていくことになる。
 海民系弥生人の太陽神アマテラスは、北方アジアに由来する支配層の天孫降臨神話の思想を受け入れることによって、自ら変質していったのである。その影響がもっとも早く決定的なあらわれをみせたのが、伊勢神宮の再編成である。ゆらぎをはらんだ海民の太陽神アマテラスは、自分の内部にはらむ二元性を反映する二カ所の聖地に分けて祀られていたが、そのうちの一つが天孫降臨的なアマテラス神を祀る「内宮」に改変された。するともう一つの聖地に祀られていた循環思想的なアマテラス神は、「内宮」のアマテラス神に御食事を供する「外宮」のトヨウケ神への改変を受けることになった。
 伊勢の聖地はこのとき、古層的聖地から新層的聖地へ作り替えられていった。その結果、弥生古層の神道の上に、新層の神道が覆いかぶさり、古層神道は地面の下に隠されていったのである。このときに実現された改変は、精神に加えられた一種の「合理化」である。政治体制の合理化をめざす大化の改新に対応するように、ゆらぎをはらんだナチュラルな古層的神道が、階層構造によって意味を確定できるものにする新層的神道へと合理化されていった。そののちの多くの日本人の思考では、そのようにして合理化された神道だけが、唯一の神道となっていった。
 このときに伊勢神宮に起こった出来事は、その後全国の大小の聖地へと影響力を拡大していった。各地の神社にはそれまで縄文古層・弥生中層など、日本人の心の「自然地形」とも呼ぶべき精神活動の跡が示されていた。大化の改新の後、その自然地形の上に神の思想の「合理化」を進める神道の新層が覆いかぶさっていったのである。多くの聖地ではこの合理的な新層神道の姿しか見られなくなり、神道といえばむしろそれしか見えなくなってしまった。こうして神道は超歴史的で単一な実体であるという思い込みさえいきわたるようになった。そこでアースダイバーは日本人の心の表層に覆いかぶさっている新層の堆積を取り除いて、その下から日本人の心の自然地形をあらわそうと試みたのである。
 これまでアースダイバーは、都市表層につくられている景観の下に、日本人の心の「自然地形」が今も横たわっている様子を見出してきた。表層の地形をいくら削ったり、コンクリートを流し込んだり、素敵な建物を建てたりしても、長い時間的スパンをもったGEOの視点でそこを眺めてみれば、道路も公園も建物も、表層の下に横たわっている自然地形によって決定づけられているのがわかるのだ。そしてそこには、この自然地形にしたがって営まれた人間の象徴的生活の跡は、まざまざと残されている。
 そのことを象徴しているのが伊勢神宮である。じっさい神社の歴史の中で最初に新層の形成がおこなわれた伊勢神宮には、その新層の下に、どの神社の場合よりも豊かな縄文古層・弥生中層の堆積が存在しているのを見ることができるのである。これこそ文化の豊かさというものではないだろうか。いくら表層の合理化を進めても、心の新層まで改造してしまうことはできない。それはいっとき見えなくなるだけである。見失われた地層が遠く離れた地点に露呈してくるように、いったん地面に埋められた古層の自然地形が、遠く時間を隔てた未来にふたたびその姿をあらわす可能性を、誰も否定することはできない。人間の心の構造に進化などが起こらないように、聖地にも過去とのつながりを断ち切った進化などは起こらないのである。」

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