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韓国近代美術を代表する画家に出会う。パク•スグン美術館へ

 この秋、人けの少ない静かなオートキャンプ場を探し求めて、ある街にたどり着いた。江原道楊口ヤング郡(양구군)。ソウルから見て北東に位置し、北朝鮮との軍事境界線に接している街だ。韓国ドラマ『冬のソナタ』のロケ地として知られる春川チュンチョン(춘천)にもほど近い。

 山の中にある小さなキャンプ場で、ただただゆっくり過ごすことが目的だったので、楊口郡についてよく調べぬままその地を訪れたのだが、キャンプ場周辺を散策していた時、どこかものものしい空気が漂っていることに気がついた。戦車の配置所、開きっぱなしの鉄の門…。ああ!ここは昔、軍隊の基地として使われていた場所だったのか。

 そういえば来る途中、車の窓から古めかしい戦車のモニュメントが見えた。携帯で検索しハッとした。ここ楊口は、朝鮮戦争の激戦地だったのだ。

 街中を走っていた時、もう1つ目をひくものがあった。それは、立ち並ぶアパートの側面に大きく描かれたいくつもの絵。タイル画のようにも見えたそれらは素朴で、どこか哀愁漂い、この街の秋によく似合っている気がした。

 その絵が、韓国の近代美術を代表する画家、パク・スグン(朴壽根/박수근)のものであったと知ったのは、キャンプ2日目。街を出る前に、パク・スグン美術館を訪れた時のことだった。

 ここは楊口郡が管理する国立美術館で、パク・スグンの生家の敷地内に建てられていた。美術館の他、記念館、パビリオンなどいくつかの建物があり、こども美術館やカフェ、公園まで設けられていた。

 3歳児連れの鑑賞で、敷地内にあるすべての作品を見ることはできなかったものの、パク・スグンという画家の作品が持つ静かなエネルギーと、庶民的であたたかな世界に触れ、なんだか童心に返ったような気持ちになった。

 赤子を子守りする少女たち、川で並んで洗濯する人々、白い韓服に身を包み座って話し込む村人たち…。どれもこれも、何てことのない人々の日常を描いているものばかりだ。一見すると、点描画のようでもあり、砂埃越しに見えた風景を描いているようでもある。

 おそらくそれらは、田舎で貧しい時代を生きてきた人々の姿なのだろう。でもそこに悲壮感はない。力強さと優しさ、たくましさと愛らしさが、静かににじみ出ているのだった。

 私の目には、人が生きる姿をできるだけシンプルに、自分だけの技法で伝えようとした画家の背中が見えた。

芸術は
猫の目のように
簡単に変わるものではなく
根深い世界を
深く掘り下げていくものだ

パク•スグン
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예술은 
고양이 눈빛처럼
쉽사리 변하는 것이 아니라
뿌리 깊게 한 세계를
깊이 파고드는 것이다. 

박수근

 文章と絵は全く異なる表現方法だが、人や物事の本質を描こうとする時、難しく激しく複雑にするよりも、易しく静かに単純に表現した方が、人の心を打つことがある。

 パク・スグンの絵を見ていると、私がこれまで文章を書く時に心に留めてきた、作家・井上ひさしの言葉を思い出さずにはいられなかった。

むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
書くこと

 美術館に展示されていた年表によると、パク・スグンは日本統治時代が始まって間もない1914年に生まれ、第二次世界大戦の終戦、朝鮮戦争の休戦を経て、1965年、日韓基本条約が締結される直前に他界していた。

 12歳の時にミレーの『晩鐘』を見て画家を目指したという彼は、時代の波に翻弄されながらも、民衆の素朴な暮らしを描き続け、こんな言葉を遺している。

私は人間の善良さと真実を描くべきだという
芸術に対する非常に平凡な考えを持っている。
したがって私が描く人間像は単純なだけで多彩ではない。
私は家庭にいる平凡なおじいさん、おばあさん
そしてもちろん幼い子どもの姿を一番楽しんで描く。

パク・スグン
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나는 인간의 선함과 진실함을 그려야 한다는
예술에 대한 대단히 평범한 견해를 가지고 있다.
따라서 내가 그리는 인간상은 단순할 뿐 다채롭지 않다.
나는 그들의 가정에 있는 평범한 할아버지,할머니
그리고 물론 어린아이의 이미지를 가장 즐겨 그린다.

박수근

 敷地内のこども美術館には、パク・スグンが手がけた絵本をアニメーションにして紹介しているコーナーや、絵を描いたりサンドアートを楽しめたりする体験コーナーが設けられていた。

 中でも興味深かったのは、「숨은그림 찾기(探し絵)」体験。暗い部屋の中でライトをかざし、隠れている絵を見つけると、その絵が動き出すという仕組みになっていた。

 製作者は、メディアアーティストのムン・ジュンヨン。ムン・ジェイン大統領の息子が芸術家だとは知っていたが、こんなところで作品と出会うことになるとは。

 美術館を後にする時、私はすっかりパク・スグンの作品に魅了されていた。最初はどこか物悲しく見えたこの街の風景が、帰り道はとても、色鮮やかに見えた。芸術が持つ力とは偉大なものだ。街が変わったんじゃない。パク・スグンの絵に出会い、私の見る目が変わったのだ。

 家に戻ってから、彼の作品のことをもっと知りたくて検索したところ、ある日本人男性がずい分前からこの美術館に通い、パク・スグンについて書かれた書物を翻訳したり、ご家族とも交流を深めたりして、パク・スグン研究をされていると知った。

 まだ勇気が出ず、連絡できていないのだけれど、いつかこの方と交流の機会が得られたら…。パク・スグンや韓国の近代絵画について、たくさんお話ししてみたい。

 パク・スグンは想像していただろうか?自分が描き残した作品を見て、世界を見る目が変わったり、人生が動き出したりする人が現れるということを。

 またいつか、必ず再訪したいパク•スグン美術館。今年の秋、偶然たどり着いた、忘れがたい場所の記憶。

 

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