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幸せの一歩を歩む人とは?

 もうすぐ2歳になる息子が通う保育園では、午後のお昼寝の時間になると、毎日「きっずノート」というアプリを通して先生から連絡が来る。その日撮った何枚もの写真と一緒に、今日は何をして遊び、その時どんな様子だったかという、子どもの細かな記録が送られてくるのだ。

 私はいつも韓国語で書かれた先生の言葉に目を凝らし、知らない単語や表現があれば、辞書や翻訳機を使って調べながら読み進める。よく登場するのは「알록달록(色とりどり)」や「끼적이다(なぐりがきする)」といった言葉たちだ。

 もし息子が保育園に通っていなければ、私はこんなに頻繁に「なぐりがき」という単語を目にすることはなかっただろう。そう思うたび、なんだかおかしくなって、いつも静かに笑ってしまうのだった。

 一昨日届いた先生からのメッセージには、こんな言葉が書いてあった。

1日1回空を見上げる人は、幸せの一歩を歩む人(하루에 한 번씩 하늘을 바라보는 사람은 행복의 발걸음을 걷는 사람)」という言葉があるそうです。新型コロナウイルスのために最近は外で遊び辛いですが、近くの公園まで散歩に出かけ、自然の中で駆け回る経験をさせてあげて、私たちの子どもたちが1日に1度は空を見上げ、自然の緑に感謝や幸せな気持ちを感じられるようにしてくださると、とても良いと思います。

 今年は8月中旬まで、54日間梅雨が続いた韓国。その後は2度も台風が通過し、空はいつもどんよりと曇っていた。そのせいか、1日1回空を見上げて「雨もありがたし」と感謝するどころか、「ああ、またか」とため息ばかりついていたような気がする。

 でも、そんな日々には今日でもうおさらばだ。私は家族や仲間、これを読んでくれる見知らぬ誰かと一緒に、幸せの一歩を歩む人になりたい。たとえ空がどんな顔をしていても、1日1回はゆっくりと見上げ、今生きていることの奇跡に感謝してみたい。

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 韓国では、0〜5歳までの子どもが無償で保育園に通うことができる。大きく分けて国公立・民間・無認可の保育園があり、別途教材費や活動費がかかる場合もあるのだが、親の就業の有無に関わらず保育園に通えるというのは、わが家のようにさまざまな事情を抱える家庭にとって、大変ありがたいことだ。

 息子は1歳半から保育園に通い始めた。本当は2歳になり、少し言葉が話せるようになってから通わせようと思っていたけれど、1歳を過ぎ、次第に活発さが増すにつれ、家だけで育てるには限界を感じるようになってしまったのだ。

 なぜなら、今住んでいる家の周辺には、1歳児が遊べる公園や子育て支援センターのような場所が全くない。この年頃の子どもを育てる韓国人ママたちは、「(大型ショッピングセンター内にある)文化センターに通っている」とよく言うのだが、新型コロナウイルスの感染者が増えてからは、それもダメ。不特定多数の人が出入りする場所には、連れていけなくなってしまった。

 実家の両親は日本だし、義両親は遠方に住んでいて高齢だし、周りに助け合えるママ友もいない。つまり「ちょっと助けて」と頼れる先が私にはなかったのだ。身体が元気な時はまだ良いのだが、私や夫のどちらかが体調を崩すと大ピンチ。子育てをサポートしてくれる人がいないと、病気もできないし、私が仕事を再開することもできないというのが明らかだった。

 そんな私たちに手を差しのべてくれたのが、歩いて5分の場所にある民間の保育園だ。本来ならば、保健福祉部が運営するポータルサイト「アイサラン」に登録し、目ぼしい保育園に入園申請してから見学予約をするはずだったのだが、切羽詰まっていた私は、アポなしのダメ元で、近所にいくつかある保育園を突撃訪問した。

 それでも門前払いせず、快く中を見せてくれたのが今の保育園だった。初めて会った時から、先生たちはとにかく明るかった。日当たりが良く、砂場遊びできる園庭があるのも気に入った。運良く1歳児クラスに1人枠が空いていて、翌週から通ってもいいという。見学してものの10分。驚くべきスピード感で入園が決まり、韓国の「빨리빨리(速く速く)文化」を実感したのだった。

 先生たちはいつも子どもの良いところを見つけては、たくさん褒めてくれる。また、「おかずばっかり食べてご飯を食べない」とか「気に入らないことがあると物を投げる」という、ささいな親の悩みに耳を傾け、「これからこうしていきましょう」と共に歩んでくれる。 その安心感といったらもう。子どもの成長を一緒に見守ってくれる人たちがいるということは、本当にありがたいものである。

 息子は今日も元気に外遊びをしたようだ。子どもたちはみんな早く外に出たくて、先生が話している途中に靴箱へ駆けて行ったらしい。あとで「ちゃんと先生のお話を聞こうね」って言い聞かせなくちゃ。

 今日迎えに行ったら、帰りは少し遠回りをし、たくさん歩いてみようと思う。息子は最近足元を行き交うアリに夢中だけど、顔を上げれば、こうべを垂れた稲穂や、真っ赤に色づいた唐辛子、色とりどりのコスモスやトンボが、彼にいろんなことを教えてくれるはずだ。

 息子の小さな小さな手を握りしめ、並んで歩ける1歳の秋は今だけなのだから。面倒くさがらず何度でも外に出て、一緒に空を見上げてみたい。

 時が経てば、彼はこの日々のことを忘れてしまうかもしれないけれど、気がつけばふと、1日1回空を見上げている。そんな人になってくれたら、母は嬉しい。

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