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身体パラフレニー【そして訓練へ】

意識されている身体失認に対して、どのような訓練を選択すべきか、唐沢先生は次のように記述しています。

「何が起きているか」が理解できない

現在、身体失認は身体図式orボディイメージの崩れが要因とされています。
 
その為、臨床では感覚入力による身体図式や身体空間認知の再構築を図る事が多いです。
 
しかし、感覚自体が認識できない場合、かなり難しくなっていきます。 
 
なぜなら、自分に「何が起きているのか」が理解できない為、言葉で説明しても、言語化させても、改善には繋がりにくく、そのため、自己所有感を改善させるためには触覚だけでは不十分となります。
 
つまり、触覚と視覚の統合が非常に重要であり、訓練においても必須と言うことです。

自己身体への注意

最初から視覚と体性感覚を統合させるのでは患者にとって負担が大きく、自己身体への注意の問題も出てきます。
 
そこで。まずは自己身体へ注意を焦点化する訓練が必要になります。
 
その為には、触覚の種類や触れている場所の空間性の定位を求める必要があります。
 
ただ「集中して下さい」ではダメです。
 
情報の構築に関しては、意識や集中を向ける対象が分からないのに対して、そのような声掛けをしても無意味だからです。

そして訓練へ

自身の左手を「孫」と記述した女性

○閉眼で体性感覚(触覚)に注意を向ける。

→閉眼の中では左側へ注意が可能。
しかし、開眼では視覚に頼ってしまい注意が散漫となり、体性感覚への注意が困難になる。

○閉眼と開眼で同じ感覚モダリティを求める
→注意が向くようになる。 

考察してみましょう。

常に外部(環境)へ注意を向けるのは非常に労力が必要です。触る感覚、そこに存在している感覚、目で見る情報など、様々な情報が行き交う中で私たちは生活しています。
 
意識されている身体失認では、視覚の情報に頼りすぎており、そこに注意の容量を使っている為、体性感覚まで注意が分配できず、視覚と体性感覚の統合が図れていませんでした。

そこに対して、『視覚情報を遮断した中で、体性感覚への注意の容量を向けたことで、注意の幅が拡大し、体性感覚としての左手の認識が高まり、開眼時と比較を通して、視覚と体性感覚の情報を統合できたのではないか』と、考えます。

失認の言語化

リハビリテーションにおいて、「学習」と言う観点から気づきがあることは非常に重要視されていますが、自己所有感の喪失に正しくない状態で気づくとは、身体パラフレニーへと形を変えていく可能性があります。
 
人が一度気づいたことは無意識的に意識へ上がり、言語へと形を変え、これが「自分の手ではない」と言う内容になります。

この現象に対して、少しでも有効な手がかりなればと思います。

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