なぜ悲劇は繰り返されるのか?~他責思考が創る未来~ 第13章:社会が教えられること ③

 ただ、この決断にもこれまで関わってきた人たちの考え方が反映されているケースや自分で経験したことに対して自分が出した答えが反映されているケースなど子どもによって考え方の方向性や主軸となる意思表示は大きく異なっているし、この決断の背景を探るためには本人がどのような決断をしているのかを知る事が大切だと思う。

 今はこれらの基準が曖昧になってしまっており、なかなか共通基準を明示することは難しく、仮に共通基準を明示して、相手に対して提示したとしても理解を得ることは容易ではない。

 その理由として“自己防衛の定義”や“自己防衛における許容範囲となる基準”など問題やトラブルが起きたときに対処するための知識や価値観などが家庭によって異なっていること、本人が属している集団によっても異なっているなど、統一基準がないものに対する正しい答えは誰も持ち合わせていない。

 ただ、大人たちが子供たちに対して年齢相応の対処法を教えることで個人差はあったとしても知識の1つとして学ぶことが出来るため、殴り合いなどの暴力行為やいじめなどによる集団行為には走りにくいと考えられる。

 しかし、現在は1度種火が出来てしまうと瞬く間に燃え広がってしまう可能性を想定しながらの対応にならざるを得ず、きちんとした対応が難しいのが現状だろう。

 そして、子供たちは大人からいろいろな事を教えてもらい、そこから成長していくことになるため、教えてもらったことを否定されてしまうと混乱する要因にも繋がっていく。

 これは学校や企業(=会社)などの集団にも言えることだが、社会がきちんと基準を示さないと十分な理解につながらないことや子供たちの判断基準と大人の判断基準しいては専門の人たちの判断基準が全て異なっている事も十分に想定されるため、早期からそれぞれの基準について理解するための行動や説明が必要になる。

そして、きちんと本人の口もしくは代理人(両親などの大人・関係者)意見や主張を説明しないと相手の誤解を生む要因になり、そこから誹謗中傷や憶測が拡散されること、芸能人などの場合はここから憶測の記事が書かれる、報道が過熱するなど場合によってはかねない。

 しかしながら、今の日本においてこの事を学べる機会が少ない。

 なぜなら、何事もそうだが、自分たちに都合の悪いことは全て隠してしまい、事実が見えない説明や発表、不必要な文言を入れることで火に油を注ぐ形になってしまうことになる。

 この時期もそうだが、新たな目標を見つけ、そこに向けて新たな進路を見いだす人やチャレンジのために場所を変えて成長を目指す人もいる。

 ただ、その決断をしたときには余裕を持ったスケジュールを決めて行動しないと、あとから罵詈雑言を言われて叩かれるなど自分の決断が周囲に迷惑がかかる可能性を秘めてしまうことになり、事態の収拾が大変なことになってしまう可能性があるのだ。

 特に集団で活動している場合や組織に所属している場合、1人が抜けることで連鎖的に抜けていく可能性を考えてしまう人たちが多く、周囲の人も「内部で何か問題が起きているのではないか?」など1人が抜けるというだけが憶測や噂などが大量に出回り、大騒動に発展する可能性も否定出来ないのだ。

 こういう事態が起きたときに“きちんと説明することの大切さ”を痛感する事も多い。

 私自身もいろいろな事があったときに関係者の方々にきちんと説明をして、理解を得ないといけないと思ったが、言えることと言えないことがあり、説明をすることが難しく、誤解を与えてしまったこともあった。

 今の社会構造上、行き過ぎた憶測やデマが流れてしまう可能性があり、それらに対して“訴訟を起こす”などと相手を脅したとしても責任の所在が明確でないと他責思考が働き、自分たちの社会的地位及び社会的優越性を利用してその人を潰しにかかることもしばしばだ。

 このような事態を避ける意味でも社会がきちんと基準を作り、誤解を少なくする努力をする事が大事だと思う。

現在、小説とコラムを書いています。 コラムに関してもこれから完成している物を順次公開していく予定です。 自分の夢はこれまで書いてきた小説を実写化することです。まだまだ未熟ですが、頑張って書いていきますので、応援よろしくお願いいたします。