なぜ悲劇は繰り返されるのか?~他責思考が創る未来~ 第12章:教育環境の変化 ⑥

その背景にあるのが、“本人が生まれ育った環境”に加え“身近にある問題の深刻度”が挙げられる。

これらの共通項として“社会的に認められていない事を社会に認めさせるには他者に責任を転嫁し、そのネガティブなイメージを持って、自分たちの正当性を主張する”という自分たちの主張を通すために社会的他責思考を用いて、相手を攻撃し、自分の意見を押し通すためには手段を選ばないという見方が正しいと思う。

これは、これから急速に変わっていく社会情勢、国際情勢等に対する若年層の問題意識の拡大、国内の教育環境の変化や教育環境の変化に伴う子供たちに求める基準の高まりなど幼少期から個に求められる能力がさらに高くなり、社会的基準で相手にその能力がないと社会的評価が厳しくなっていく。そのような人が社会に対して反抗すると、お互いに潰し合いなどのトラブルに発展し、価値観の違う人を排除する動きが出る可能性もあり、これらを子供たちに置き換えるといじめ、大人なら孤立に繋がってしまうリスクを抱えてしまうのだ。

 次に“生活指導の見直しと幅広い認知”だ。

 今の他責思考の傾向として、“情報が最新の物ではなく、古い考え方や1つ前の考え方が正しい”という誤認が相手を詰問する、自分が不利にならないように解釈させるという心理が働くのだ。

 これらの心理が大人だけではなく、子供たちにも波及することで自分たちが正しいと思っている事に対して疑問を持ってしまうことや自分の価値観を社会的価値観に置き換えて考えてしまって、個性を失ってしまう可能性がある。

 その中でも私が気になるのは“社会生活に順応する為の生活指導”だ。

 その理由として、社会のルールを学ぶだけなら良いのだが、すでに決められているルールに対して厳格に囚われすぎて、ルールを守っていない人に対して“なんで守っていないの?”と攻撃してしまうことやルールを守らない人に対して“なぜ、守らないのか?”という疑問を持つのではなく、“何かあった時にはあの人が責任を持つべきだ”と自分が気を付けるのではなく、子供だからというだけで大人に責任を押しつけるような意見を持つ子供と“自分たちで気を付けないといけない”という自戒を持ってそのような人がいたとしても相手にしない子供に分かれていく。

 私も小学生の頃に赤信号を渡っていた友人を見て“あんなことをしてどうするのだろう?”という感情が芽生えた事もあった。

 今は大人から子供に教えることも以前に比べると増えており、その中で適切な情報選別が増えていくことも十分に考えられるのだ。しかし、低学年以下の子供たちは“自分の責任とは何か”という部分で十分な知識を持っていないため、友達を傷つけたとしてもやってしまった側は“なぜ、怒られているのか分からない”という状態になり、やられた側は“何もしていないのになぜやられたのか分からない”という双方が違った認識を持つことで、お互いに責任を押しつけ合う状態になってしまう。

 そして、学年があがってくると今度は派閥のような形で人間関係が構築され、他者共存が難しくなる事も想定される。

 現在は習い事であっても人間関係や上下関係といった社会で必要なスキルと教養を学ばなくてはいけないため、どの年齢であっても人間関係や上下関係が厳しくなっていく。

そのため、本人の学んだ習慣が学校に持ち込まれて、その事を子供が実行してしまうケースも少なくない。

 特に小学4年生以降になるとこれらが顕著になり、集団の細分化が始まる傾向にあると感じていて、この習慣がいじめ等を引き起こす因子とも言われている。

 では、この状況を打破するためにはどうするべきなのだろうか?

 私は幼少期から“上下関係が存在すること”を学ぶ機会を作ることが大事だと思う。

 その理由として、自分が知っている事を相手が知らないとなると、場合によっては「この子は無知だから利用してしまおう」という考えが集団心理として波及するような状況になる可能性が否定できない。

 そうなると、人間関係を壊してでも“その社会に順応できていないから”と言って相手を排除することや相手に責任を押しつけて自分だけが得しようという考え方をする子供も増えていく。

現在、小説とコラムを書いています。 コラムに関してもこれから完成している物を順次公開していく予定です。 自分の夢はこれまで書いてきた小説を実写化することです。まだまだ未熟ですが、頑張って書いていきますので、応援よろしくお願いいたします。