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短編小説 『ティーンエイジャーの憂鬱』(一)

 【ティーンエイジャー】:十代の少年少女を指す言葉。
 ・ティーンエイジャーの時期は、心境が不安定で、悩むことが多い。
 ・自我の形成される時期であり、親への反抗や人見知りをする時期でもある。
 ・異性に興味を持つため、異性問題もこの時期からが多い。

 ネット辞典によると自分という人間のカテゴライズはそのようだった。
 合っているようでもあったし、そうでもないとも思った。
 心境が不安定なのは何も十代の特権というわけではない。毎日の通学電車内では死にそうな顔している大人だって大勢いる。
 親への反抗は、まあボチボチだろう。そうということにしておいてもらいたい。昨日の弁当箱の出し忘れで喧嘩したこともそんなもんの一つだ。
 人見知りはしないが初対面の相手には相応の緊張感で臨むのが礼儀であるし、それはやはり大人だってそうだと思う。
 異性問題は大人の方が多いだろう。しかもそれは大概、俺たちが抱えるような甘く酸っぱい味わいではなく、刺激的でドロドロしていて汚い。最近のテレビドラマのようだ。
 "ティーンエイジャー"という括りとはその程度のものだ。
 頭では理解している。が、どうあってもその呪縛から逃れられない気もしていた。
 俺という人間の考えがいかに適切で確立していたとしても、"ティーンエイジャー"という社会の枠は生意気なガキの発言として取り合わないだろう。
 大人はずるい。
 それこそガキの駄々をこねるような言い方だが、ずるいものはずるい。
 自分達だけが大変のような顔をして、それを免罪符とした不道徳をまかり通す。そして決まって「大人になればわかるよ」と云う。
 屋上で寝っ転がって見る空は青い。ジーっと眺めていると雲が微かに動いていることがわかる。
 幼稚園の頃、滑り台のスライダー部分で同じように空を眺めていて、雲が動いていることを発見した時には「凄いこと気づいちゃった!」とドキドキしたものだ。
 あの時のドキドキのほんの一部でいい、今の自分に分けてほしい。そうすれば将来の自分に少しは期待できるような気がした。小さい頃に描いていた「かっこいい大人」に近づけるのではないか。
 考えれば考えるほど、最初に戻る。
 これも結局は"ティーンエイジャー"であるだけの俺が選ばされている、何の変哲もない、ただのゴミなのだ。

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