TRPGシナリオ製作術 【謎と伏線の設定方法の話4選】

脚本技術とゲームデザイン・ゲームプラン技術における"謎"と"伏線"という要素を説明するのは実は非常に非常に非常に難しいことです。なので、今まで以上にかなり細かく長い文章になることをお許しください。今回はなんと2万文字もあります。


☆謎、そして伏線!

◆何が謎なのかは目線それぞれで違う

『謎』とは全体像が分からない事象や存在です。例え一部分を理解していても、全て解明しないと謎は謎として残ります。
それぞれの目線によっても、分からない事は違います。人類目線か神目線か、主人公目線か悪役目線か、飼い主目線か飼い犬目線か、HO1目線かHO目線か……ありとあらゆる視点から世界は観測されており、存在それぞれによって何が謎なのかは違います。外宇宙の知的生命体から見れば、地球人類は未だ惑星の重力に縛られた存在でしかないかもしれませんし、神はそれすらも俯瞰している可能性があります。

『秘密』とは、周囲の目線から完全に見えないように隠された出来事です。完璧に隠せると、その出来事は最早存在しないことになります。しかし、上手く隠せなかった場合、誰かの目線には『隠そうとした出来事の一端』が垣間見えてしまいます。出来事の一端というものは、それだけ見ると全体像が把握しづらく疑問が生まれて、結局は"謎"という事になります。
秘密を守るテクニックも人それぞれ持っています。嘘を吐くのは手っ取り早く秘密を守る行為ですが、その分完璧な嘘を付くのは難しいです。「秘密はあるけど教えない」と伝えるのは、秘密があることを表面化させる代わりに、解明しないでほしいと暗にお願いする駆け引きのテクニックです。

誰も彼も意図していない偶然の出来事が謎を生む場合もあります。偶然によって生まれた謎は推測するしかない上に、答えも明確にならない可能性があります。この謎は誰から見ても疑問であり、場合によっては解明不可能な"謎"となります。

誰かの目線では謎でもなんでもなく既知の出来事でも、少し目線が違うと未知の現象に見える可能性もあります。シンプルに例えるならば、大人と子供の知識量の差がこれに当たります。大人にとってはなんでもないことでも、子供にとっては謎になるような出来事です。
もしくは、時間的なタイミングが合わなかった場合や、距離の遠近で見え方が違ってしまう場合など、ほんの些細な違いのせいで、謎が生まれてしまう可能性もあります。

そして、たまに見かけるのが『読者(視聴者)目線と物語のキャラクター目線で見えているものが違う』場合の謎です。叙述トリックというようなテクニックとして、物語を読んでいる読者や視聴者からすると謎なのに、物語の登場人物はそれを謎だと思っていないという"謎"も存在します。

◆物語とは、問題を解決すること。つまり、誰かが謎と衝突する

物語とは、問題解決の過程を描写して読者に楽しんでもらうエンタメです。問題が無い物語を意図して作ることは簡単ですが、問題解決以外の面白要素で楽しませないといけません。さらに、過去の記事で『衝突(コンフリクト)という脚本技術』について書きましたが、衝突しない物語は衝突するときの面白さ以外の部分で読者を楽しませないといけません。面白要素を放棄するのは勿体無いので、世の中の作家さんたちは問題解決を盛り込むし衝突のテクニックも使います。
主人公だけに限らず、物語の登場人物は必ず何らかの問題に衝突して、その問題を解決しようとします。最終的に解決出来るかどうかは物語それぞれですが、問題がある事と、解決しようとする事は最低限描写が存在します。 

そして、この問題は既知の現象の時もあれば、『大きな謎』だったり、『小さな謎の連続』として現れることもあります。もし既知の出来事が問題だったとしても、その予防法や対処法が"謎"になっています。完璧に全てが既知の出来事は、予防法や対処法も判明しているため、解決しようと頑張らないといけないような問題になりません。そのような予防法と対処法が謎の問題は、その予防法と対処法を解明していく物語になります。
しかし、どんな些細な謎でもそれは物語を展開する動力になりし、キッカケにもなります。頭にフッと湧いた疑問で夜眠れなくなってしまったら、その疑問を解明する物語が始まります。読者さんも日々生活している中で疑問が浮かぶこともあると思いますが、少しネットで検索しても分からないぐらいの疑問だった場合は、物語がスタートしていると言えるでしょう。

例えば、物語のキャラクターが物語のテーマで悩んでいるシーンがあるとします。それはテーマに対して自分はどのような選択を取るべきなのか謎だから葛藤しています。謎でなければ即決しますので、テーマに対して悩むシーンはありません。
ちなみに、物語のテーマだからといって必ず悩むシーンを挿入する必要はありませんし、悩まずに即決するほうが潔くて格好良い描写になります。

◆テーマの対する葛藤も、問題解決の謎を解く流れの一側面

例えば、崖から落ちて死にそうになった悪人に手を差し伸べるのかどうかというシーンがあるとしましょう。
"罪と罰"的なテーマを象徴するシーンにおいて、悪人を助けるかどうか悩む主人公は人間味がありますが、もし主人公がアンパンマンだったら迷わずバイキンマンを助けます。なぜなら、アンパンマンのテーマは"愛と勇気"であって"罪と罰"ではありませんし、アンパンマンにとって『誰を救うべきかという問題』は謎でもなんでもなく『全員救う』という答えが既に出ているヒーローの鑑なので、迷わず助けるわけです。

"謎"という要素は『物語の根幹を為す"問題と問題解決"に関わる謎』という意味と、『脚本の根幹を為すテーマの判断材料を収集していく』というストーリー展開上の意味とを併せ持つ要素なのでごちゃごちゃにまざって混同されがちです。しかし、問題解決の方の謎とテーマの方の謎それぞれの性質に合わせて"謎"を使い分けてストーリー上に配置する必要があります。
以下にその性質の違いについて考察してみます。

☆テーマに対する謎の性質

◆テーマを選択するにも判断材料がいるが、その判断材料が情報であり謎でもある

  • 物語のテーマに対する"謎"の答えは『判断材料』として現れる

  • 『判断材料』があるからこそ、主人公はテーマに対して葛藤も出来るし、読者も感情移入出来るし、答えも出せる

先程の例題を再び使うとして、主人公と敵対していた悪人が、主人公の攻撃によって崖から落ちそうになっているとしましょう。"罪と罰"という題材、復讐はアリかナシかというテーマだった場合、彼を助けるかどうかの判断材料として、以下の判断材料があると仮定していきます。
悪人は全人類の敵であり有名なテロリストで既に無実の人間を大量に殺していて、主人公の子供と妻もこの悪人に殺されており、仲間もたくさん殺されおり、主人公の全財産は根こそぎ奪われていて、悪人のありとあらゆる罪を擦り付けられて、主人公は無実の冤罪で警察に追われていますし、警察に無実を訴えている時間もありません。ここで悪人を助けたところで主人公は投獄され、悪人はのうのうと生き残って左団扇の贅沢暮らしをしながら、全世界を巻き込んだ大量虐殺のテロ行為を計画しています。
崖から落ちそうになっている悪人を手助けするかどうかの判断材料がここまで出揃っていたら、助けない方が人間らしくて良いというものです。

しかし、ここに何かの判断材料がプラスされると、悪人の命を助ける選択肢が生まれるかもしれません。殺されたはずの子供が実は生きていて、「お父さん、人殺しはダメだよ!」と叫ばれたとしましょう。「復讐なんかしなくていい、僕がお父さんの無実を証明するから!」と声を掛けられて、ようやく葛藤が生まれるかもしれません。殺すのではなく、罪を償わせよう、司法に裁いてもらおうという気持ちが湧くかもしれません。

判断材料の集まり具合で、全てを奪った人間に復讐することを誓った主人公が、相手の命を奪うではなく、司法に任せるという選択肢が生まれて、葛藤が生まれます。『殺人をしてしまったら目の前の悪人と同じ』、『子供の見ている前でも人を殺すのか』、これが復讐というテーマに対しての反対意見になります。

上記の例えに出てきた判断材料ですが、これらは物語の序盤の主人公は当然持っていません。物語の序盤から徐々にストーリーが進むにつれて、"罪と罰"、復讐というテーマにどう答えを付けるべきなのかの出来事が積み重なっていきます。『自分の妻と子供』、そして『全財産』を失った主人公が、悪人の正体の"謎"を追求しようとした結果、『たくさんの仲間の命を失い』、『無実の冤罪で死刑判決まで出せられた』うえで脱走し、遂に悪人が『全人類の敵であり有名なテロリスト』と突き止めました。このまま悪人を野放しにすると『主人公は投獄され、悪人はのうのうと生き残って左団扇の贅沢暮らしをしながら、全世界を巻き込んだ大量虐殺のテロ行為を計画している』ことが推測できており、非常に危険です。
ここまでの主人公の旅路で、上記の判断材料が着々と集まる中、遂に主人公と悪人は対峙し、悪人は崖っぷちに掴まっている状態になりました。
主人公はまだ『子供が実は生きている』という判断材料を手に入れていません。主人公目線では知り得ない情報ですが、悪人目線は知っています。ですが、主人公にはわざわざ教える義理もありません。
しかし、運命のイタズラによって、実は生きていた子供がこのタイミングで主人公の前に現れて、人を殺さないでと声を掛けられました。『子供が実は生きていた』という判断材料に加えて、『子供は殺人という復讐方法を望んでいない』という判断材料まで手に入れました。
これらの判断材料から、罪と罰、復讐というテーマに関わる選択として、目の前の悪人を助けるかどうか主人公は選択しなければならない、というのがテーマを物語に持たせる面白いポイントであって醍醐味です。

こうしてテーマに沿った形で様々な判断材料が集まっていく流れは、主人公が問題を解決しようと謎を追う展開として自然な流れになります。上記の例えのように、物語のテーマにとって重要の情報が開示されていくのが"テーマに対する謎の性質"です。

ちなみに、現実の世界においても脚本でテーマに出来るような哲学的なことに関して答えを出しておくことは創作のきっかけにもなって良いとされています。友情とは、愛とは、罪と罰、生と死、時間と空間、偶然と必然、運命論、神の存在などなど、哲学的なことを考えるのはそもそも楽しいのでオススメですし、一人ひとりの解釈によって答えは千差万別に存在していますから、正解を見つけようと躍起になる必要もありません。テーマ探しのついでに、自分なりの答えも考えておきましょう。

☆問題解決に対する謎の性質

◆問題があって、それを解決するという行動は人として日常的な行動である

  • 人は毎日小さな問題から大きな問題まで色んな問題にぶち当たるけど、なんだかんだ解決したりしなかったりしている

  • 解決出来ないほどの大問題や、大量の小さな問題に忙殺されるような状況になってしまうのが物語の主人公であり、その問題をスルーしないから物語は始まる

上記の例えを再び引用しますが、主人公は色々な出来事を経験して最終的に悪人を追い詰めていますが、主人公にとっての『問題』は場面それぞれで違ったものになっているように見えます。
物語の序盤では妻と子供と平和に、順風満帆に生きています。例えば次の休みの日はどう過ごそうか、なんて家族と楽しく話していたとしましょう。この時点での主人公にとっての問題は『悪人に対して復讐する方法』ではなく『次の休みの日の予定をどうする?』という問題が発生しています。当たり前ですが、妻と子供が悪人に殺される前のエピソードなので、悪人に対する問題は起こりません。もっと脚本的なことを言えば、このあと主人公と奥さんは死に別れる未来が脚本上決定しているので、最高に中の良い夫婦として一つも問題を抱えていないぐらい仲良し奥さんと夫婦円満に暮らしている方がドラマチックです。
次の休日は奥さんと子供にお願いされて、ちょっと良いホテルに泊まりに行こうということになりました。しかし、その日のそのホテルで運悪くテロ事件が発生し、テロリストと警察とが激しい銃撃戦を繰り広げることになります。主人公は妻と子供の安全を守りながら避難しようとしますが、テロリストがホテルを爆破して奥さんと子供を含めた善良な一般市民と警察官たちが多数犠牲になってしまいます。何なら奥さんは爆風で吹き飛ばされて致命傷を負い、駆け付けた主人公の胸の中で息を引き取ることになるでしょう。子供のことを頼むと遺言を残されたものの、その子供もホテルの倒壊に巻き込まれてしまって生死不明の状態になってしまいました。
こうした出来事を経験した主人公にとっての問題が『妻と子供を殺したテロリストたちに復讐する』ということになっていきますが、ホテルに遊びに来てからホテルが爆破されるまでの間にも『問題』というものはその場の状況に合わせてコロコロ変わっているはずです。『ホテルにチェックインした後、まずはどうするのか?』、『ホテルのプールに来てみたけど意外と人が多くてちょっとがっかり、別の場所に移動しようか?』、『ホテルのディナーは何を頼もう』、『テロリストと警察官の銃撃に巻き込まれないようにホテルから退避するためにはどうするのか』、『奥さんに「子供のことを頼むね」と言われたが、既に子供の姿は無い。何と答える?』などなど、エトセトラです。
人はただ日常を生きているだけでも続々と問題にぶち当たり続け、それを解決している生き物です。ですが、この問題解決をするときに、対処法や予防法が"謎"だった場合、それは調べることになります。主人公の今までの問題のなかで、調べることになった問題を考えてみましょう。

『次の休みの日の予定をどうする?』については、奥さんと子供にお願いされたので考える余地はありません。ホテルに泊まりに行くと決まりました。
『ホテルにチェックインした後、まずはどうするのか?』、主人公にとっては子供と奥さんの気分を聞きたいと思いますので、二人にまずはどうしたいか尋ねるでしょう。つまり、この問題に対して奥さんと子供の意見を調べています。
『ホテルのプールに来てみたけど意外と人が多くてちょっとがっかり、別の場所に移動しようか?』、がっかりしたのは主人公ですが、奥さんと子供はどうでしょう? 子供は無邪気にプールを楽しんでいるように見えますが、奥さんは同意見のようで苦笑いしています。とはいえ、子供を放っておくことはできませんので、とりあえず主人公はバーで炭酸水でも飲みながら子供を見守ることにします。人が多くてプールで泳ぐのは気が滅入ってしまたのは『問題』とも言えますが、妥協することにしてプールサイドに留まることを選択しました。調べるようなことがあったとしたら、奥さんの気持ちでしょうが、苦笑いしているのを見て気持ちを理解できたことでしょう。
『ホテルのディナーは何を頼もう』、美味しそうなご馳走がメニュー表に乗っていますが、ここも主人公は奥さんと子供のメニューを聞いておきつつ、自分の食べたいものを選びます。もし仮に知らない料理の名前があったとしたら、この場でスマホを取り出して料理名をググって初めての料理にチャレンジしにいくお父さんも居ると思われますので、家庭によって『外食時のメニュー決定のあれこれ』には差がでるかもしれません。何を食べるのか選ぶのもまた『問題』であり、人それぞれの『問題解決方法』というものがノウハウとして蓄積されているものです。
しかし、不運にも状況は大きく変化してしまいます。『テロリストと警察官の銃撃に巻き込まれないようにホテルから退避するためにはどうするのか』、主人公は妻と子供に「体を低くして」とか「警察官の避難誘導に従って」とか、とにかく家族みんなでホテルの外に退避しようとします。妻と子供の手を引いて、「落ち着いて」「大丈夫だ」と声を掛けて安心させようとするでしょう。この時点で『どうしてただの休日だったのがこんな目に遭うんだ!』という新たな謎も生まれていますが、この謎について現時点で分かるのはテロリスト目線だけかもしれませんし、主人公はこの時点で調べようもありません。とにかく生きるために行動あるのみでしょう。
その後ホテルはテロリストに爆破され、妻と子供は爆風に巻き込まれます。子供の安否は不明で、妻が瓦礫に下半身を潰されていて痛みにうめいているとしましょう。そんな妻に慌てて近寄って抱きかかえた主人公に対して、『奥さんに「子供のことを頼むね」と言われたが、既に子供の姿は無い。何と答える?』、主人公としては今まさに致命傷によって命を落とそうとしている奥さんを相手に「分かった、俺に任せろ」としか言えませんが、既に子供の姿が無いです、かといって子供も死んでしまったかもしれないと奥さんに正直に伝えることは出来ないため、嘘を付くことになるでしょう。
しかし、子供の事は俺に任せろと約束をするこのシーンが、テーマとラストシーンに大きく関わってきます。この時点で、主人公の頭の中にはいくつかの問題があって、『妻を早急に助ける』、『どうしてこんな事になったのか』、『行方不明の子どもの捜索』です。妻を助ける術を探すかもしれません。爆風に巻き込まれた子供を探そうとするかもしれません。同時に頭の中では大きな疑問が湧きます、『どうして今日このホテルでこんなことが起きたのか』と考え続けることになるでしょう。これはトラウマのようになって心に一生残る疑問になるかもしれません。しかも、この問題は主人公目線にとってはかなり難しい謎です。この問題を解明するために出来ることは情報収集ということになるのでしょうが、一般市民の男性がテロリストの正体を探り当てるのは不可能に近いことのように思えます。生死不明の子供についても同様に、闇雲に探し回って見つかるような状況でもなさそうです。幸いにも救急隊が到着して奥さんの容態を確認してくれますが、残念ながら奥さんは亡くなります。奥さんは何とか蘇生が間に合って生きているという脚本でも良いのですが、主人公は最高の状況から最悪の状況に転落してからスタートするものです。ということはつまり、奥さんには死んでもらうのが妥当でしょう。

主人公はここで大きな問題『どうして今日このホテルでこんなことが起きたのか』という疑問にブチ当たり、しかもこの問題をどうにか解決しないと人生も進まないと思ってしまうことでしょう。一生疑問と後悔で悩み続けるぐらいならと、主人公は立ち上がりますし、それだから物語の主人公といえます。「自分にできることはない」と悲観に暮れて諦めてしまいそうになるシーンがあったとしても、何かがきっかけになってやっぱり主人公は立ち上がります。そこから脚本として物語がスタートするというのがセオリーです。

ちなみに、物語の始まりの時点で主人公にはトラウマ級の過去が既にあって、その出来事に対して逃げていたり保留していたりする状況から、何かのきっかけで気持ちに変化があって動き出す物語も定番の流れです。

上記の話の流れのなかで、主人公がその場その場の問題を解決していくのを物語のように順を追って見てみましたが、別に物語の主人公じゃなくても人が普通に生活しようと思えば『問題の連続』と『問題解決の連続』と『大量の謎と疑問の処理』の連続で人生が構築されていることが見てわかります。そして、日常生活をしている間に起きる問題は、大抵予防法や対処法が確立していますので、一つ一つの問題全てに困り果てながら生活することはなかなか無いということも分かるでしょう。
もし仮に対処法が分からなくても、その場の機転だったり、スマートフォンや有識者・専門家に尋ねるなどで情報を調べて、頑張って問題を解決していきます。(ちなみに、筆者は医師にアドバイスされて朝の低血圧と足先の冷え性を解決するために、「男の痩足!」というキャッチコピーで売り出されている『弾性ストッキング』を着用して寝ていますが、無事に低血圧と冷え性は解決しています。大げさに言えば、問題と問題解決が行われたということです)

しかし、自分の知識やネットで検索したぐらいじゃ解決出来そうにないとても大変な大問題に直面して、しかもそれをスルーせず立ち向かう人物が物語の主人公になります。
現実世界で大問題に直面した時、その問題を見なかったことにしたり、その問題に背を向けて逃走するのは簡単な解決策であり、さらに合理的な場合すらありますが、そういった選択肢を取らないのが物語の主人公であるとも言えます。

このように、日々生活しているだけで問題が大量に発生しています。しかし、時には予防法も対処法も少し調べたぐらいじゃ分からない問題に直面するものです。つまり、それが"謎"ということになります。何なら、そもそも問題そのものが正体不明で"謎"になっているケースがあります。原因不明の異常事態が発生していることに主人公が気づいたとしても、因果関係を正しく認識できていない場合は、その異常事態そのものが"謎"となりますので、その異常事態に対しての予防法も解決法も当然"謎"ということになります。例えば、地震計が特定のタイミングで小さな揺れを観測し続けているが、地震の兆候とはかけ離れているという異常だったり、深海から生物由来と思われる周波数が観測できるが、クジラ並みの大きな生物の可能性としか解明できていなかったりなどなど、不思議な異常を発見するところから物語が始まるのはセオリーですし、問題解決に対する"謎"の性質は、テーマに対する"謎"の性質と大きく違うということが分かりました。

☆伏線とは謎であり、答えでもある

◆伏線というテクニックについて

伏線とは、小説を読んでいる読者や、ドラマを視聴している視聴者には何の変哲もない描写であるように見せかけて、物語の後半でサプライズ的に発表し、再登場する描写のことです。こういった脚本テクニックを"伏線"と呼びます。前半に伏線の描写を入れるのを"伏線を張る"、特定のタイミングで伏線を再登場させてユーザーに驚きを与えるのを"伏線を回収する"というように呼ばれています。
問題解決、または問題の原因との因果関係が伏線のテクニックを使うことによって読者や視聴者に驚いてもらえます。つまり感動するということです。
伏線については超絶有名な脚本のテクニックであり、技術書でも個人ブログでもありとあらゆる場所で説明されています。今更筆者が説明しても二番煎じでしかありません。
ですが、上記で説明していた謎の性質について理解しておくと、伏線というテクニックにもう一捻り加えることが出来ます。

◆そもそも、伏線にも種類があるので自分の好みで使い分けよう

一番最初の記事にもそれとなく書きましたが、伏線には種類があります。『伏線』、『前フリ&フラグ』、『匂わせ』、そして最近分析していて新たに判明した伏線の変化球として『オチ』です。読んで字の如くといった感じではありますが、それぞれ面白みというか趣が違うので好みで使い分けましょう。

『伏線』は出来る限り伏線だと思われない程度の描写に留めておきつつ、再登場時に「言われてみれば確かにあのシーンで!」と全ての読者が驚ける程度には存在感のある描写を張っておくタイプのものです。
主人公が何気なく吸っていたタバコが、実は悪人の正体を見破る糸口になったり、主人公の良き友人がクライマックスシーンで警察官として現れて「俺の情報は役に立ったか?」と言ってきたりなど、伏線が回収されたことが分かるように設計されつつも、伏線が張られていたことは出来る限り読者にバレないようにしておく伏線のことを『伏線』とタイプ分けしておきましょう。
この手の伏線は多ければ多いほど伏線回収の驚きも増えて読者を感動させることができますが、『伏線が張られたのを読者たちに隠す』テクニックたちがたくさん開発されてきた歴史があるぐらいバレないようにやるのが難しいです。

『前振り&フラグ』とは、その名の通りなのですが、読者にバレてもお構いなしというタイプの伏線です。サプライズ的驚きというものは上記の『伏線』に任せておいて、こちらの『前振り&フラグ』は細かい描写に対して使っておくのがセオリーです。物語の冒頭の平和な家族のシーンの中で前振りタイプの伏線を張っておくのであれば、楽しそうに笑顔で旅行を満喫している家族写真の入った写真立て(妻は死んでしまう前振り)や、南米の麻薬組織に不穏な動きがあるというテレビのニュース(ホテルでテロ行為が発生する前振り)や、「実は役員会議で僕の昇進が決まったんだよ」と嬉しそうに妻と子供に報告する主人公の発言(主人公は順風満帆な人生だけど、このあと転落人生だよ……という前振り)、庭には綺麗なバーベキューセットが置いてあるのが見える(この後テロリストの怒りを買って家に放火されて全焼する前振り)なか、ファミリーカーとして買ったデカくて堅牢なRV車で家族たちがホテルに出発するシーン(このRV車だけが全焼を免れて、復讐に燃える主人公の"相棒"になる前振り)、ホテルに向かう途中、会社の"仲の良い同僚"から電話が掛かってきて「今から家族とホテルに行くんだ」と主人公が伝えると、"仲の良い同僚"が冗談で「アドバイスだけど、ダイ・ハード1みたいになった時のために、拳銃をダクトテープで背中に張り付けておけよ」と言われて「縁起でもないことを言うなよ」と主人公が苦笑いしちゃうシーン(後にホテルで銃撃戦が勃発するしフラグ発言)、などなどなどなど。
前振りやフラグ発言というものはどんなシーンにも入れることが出来ますし、こういった前振りとフラグ発言を入れて置くことによって、本命の『伏線』を隠す役割もあります。

『匂わせ』とは、前振りやフラグ発言よりもあからさまに怪しい描写をする伏線タイプです。『暗雲が立ち込めてきた』だとか、『目の前を黒猫が横切った』だとか、『雲間から光が差し、"天使の梯子"を作った』だとか、今後の展開の方向性がポジティブな方向に進むのかネガティブな方向に進むのかを暗喩するような描写を指しますが、本来こういった描写は伏線として扱われていませんでした。こういった描写が表れるということは、つまり今後の展開でそのような展開になっていくのが確定しているということを読者も理解していましたし、そういう意味としてこれらの描写を読み取っていました。
しかし、近年になって色々な定番の言い回しが確立されてきたころ、つまり不吉の象徴として定番の「目の前を黒猫が横切っていった」という描写があったとして、その後の展開がその通り悪い方向に進むとは限らなくなってきました。
というのも、不幸な出来事が発生したことによってネガティブな感情を抱くキャラクターがいれば、そのまた逆のキャラクターが居るような描写が増えてきました。実際に日本では黒猫が目の前を横切る描写は不吉の象徴ですが、イギリスでは逆に幸運の兆しとして扱われています。
人の不幸は蜜の味という言葉もあり、災い転じて福となすという言葉もありますが、この手の匂わせ描写には現在、物語の方向性を暗に示すような効果が失われています。そのため、これらの描写文が明確な意味を持っているかどうかも、読者からすれば予想できず、今後の展開を暗喩している描写として機能しなくなってしまいました。
しかし、確かに暗喩としての機能はしていませんが、こういった描写が表れることによって読者に『何かがある』ということだけを伝えることは出来ます。この『何かがある』だけを伝えるというのが、緊張と緩和のテクニックと組み合わさって、面白い状況を作り出すことが出来ます。
読者目線でこういった定番の言い回しや描写を見たとき、何かがあると思って読み続けることになりますが、何が起きるのかに注目する、つまり集中することになります。緊張と緩和というテクニックから考えると、匂わせ的な在り来たりな描写でさえ、緊張感を維持するという機能を持っているということです。そして、実際に物語の展開に何かがあったのを見た読者は緊張が緩和されて油断します。その油断の隙をついて、上記の『伏線』や『前振り』といった伏線テクニックを盛り込むことによって、それらの伏線をより隠匿しやすい状況を作り出すことが出来ます。

『オチ』という伏線のタイプも存在します。こちらはクライマックスの後からエンディングまでの間に回収されるタイプの伏線で、話の終わりの文字通りオチを決定する伏線です。このオチの雰囲気が、その物語の余韻を決定付けることになります。
オチをギャグテイストにするのか、シリアステイストにするのかは作者の流派次第でもあります。物語はコメディタッチなのに、オチは少しだけ切なかったり、全編通してリアルでシリアスな人間ドラマだったのに、エンディングでクスリと笑えるようなオチにしてみたりなどなど、読者に物語の余韻をどのように感じて欲しいのか考えてトーンを設定しましょう。
終わり良ければ全て良しなんて言葉が存在するだけあって、オチが物語のクオリティを左右しているといっても過言ではない場合すらあります。

◆実は物語のテーマは序盤に提示されているのがセオリーなので、伏線が張られていると言える

今回の記事は分かりやすく説明するために、何度も同じ例を使用することにします。先ほどから例として出てきている復讐の物語です。

主人公は妻と子供と平和に暮らしていましたが、とある休日でテロリストと警察の銃撃戦に巻き込まれて妻と子供を失ってしまいます。そして、この物語のクライマックスは、主人公が悪人を追い詰め、今まさに悪人が崖から落ちそうになっているところに、死んだと思われていた子供が再登場して「人殺しにならないで!」と言われるというシーンがクライマックスにあります。

この物語のテーマは罪と罰であり、復讐です。しかし、子供は復讐を望んでいません。それでも悪人を殺すのかどうか、主人公が葛藤してしまうのがクライマックスのシーンです。しかし、主人公は死んでしまった妻に『子供をお願いね』と遺言を残されたことを思い出します。
目の前の悪人は妻の仇でもありますが、妻には敵討ちを頼まれたわけではありません。子供も生死不明で半ば自暴自棄気味に悪人と戦うことを決意して、テロリストたちと死闘を繰り広げ、ようやくここまでやってきた主人公も、まさか子供が生きているとは思っていませんでしたし、その子供が敵討ちを望んでいないことも今知ってしまったわけです。
しかし、奥さんが死んでしまったシーンは物語の序盤です。主人公の復讐心は奥さんと子供のためだったのですが、子供は生きていました。目の前で父親が殺人者になるのは、子供の心に傷を作ってしまうと主人公は悟りますし、「子供を頼むね」という妻の遺言をないがしろにしてしまう可能性がある行為です。主人公は葛藤の末に答えを導き出し、崖っぷちに手を掛けて命乞いする悪人に手を差し伸べて、私怨による復讐を辞めて、悪人の命を助けることにするでしょう。そして、警察に身柄を受け渡そうとすることになるでしょう。

上記の通り、テーマに関わる判断材料のうち、奥さんの遺言という判断材料は最序盤で最もショッキングなシーンで行われています。自分の愛した人が自分の胸の中で息を引き取っていく最後の言葉、というところに伏線が張られており、最後のクライマックスシーンで、奥さんの仇である悪人を助けるという判断材料として奥さんの遺言という伏線が回収されるわけです。

テーマに対してどういった答えを出すのか、主人公は色々な判断材料から主人公らしい答えを選ばなければなりません。この時の判断材料に伏線回収のテクニックが使われているのがかなり定番の伏線回収方法です。
なぜかというと、テーマに対して答えを決めるシーンは基本的に物語のクライマックスか、その一つ前ぐらいの終盤であり、物語が盛り上がっているタイミングなのが間違いないからです。つまり、テーマ周りのことで伏線を張っておけば、回収するときに既に盛り上がっているので、相乗効果を狙えるわけです。

この伏線回収はテーマに対してどの答えを選ぶのかの『判断材料』に関係する伏線回収テクニックということになります。普通の伏線回収に一捻り加わっています。

◆問題に対しての伏線は後出しでいくらでも追加できる

物語のテーマに対して伏線のテクニックを使う場合は、事前にある程度の設計図が必要です。テーマに関わる伏線を自然に盛り込むための専用のシーンなどを用意する必要すらあるでしょう。
しかし、問題発生と問題解決に対しての伏線についてはあまり細かいことを気にする必要はありません。何らかの問題が発生して、その問題を何らかの方法で解決するという流れを考えるとき、解決するための手段として道具や人が必要であるとするのであれば、事前にその道具や人が登場していれば良いだけです。
物語の序盤知り合った人物が、実は特定の問題解決に大活躍できる人材だったり、主人公が最初から持っていた何気ない日用品が、特定の問題解決に有効に作用したりするような描写にすれば『伏線を回収した』と言えるでしょう。
これは発生する問題とその解決策を考え終わったあとに、物語に後から追加することが出来るため、とにかく何も考えずにプロットを作り終わったあとからどんどん追加していくことができます。

前述し続けている例として、主人公がテロリストと戦っているときに『公道を猛スピードで走って車と車がぶつかり合うようなカーアクションのシーン』を用意しようと思ったとき、『主人公は大事な家族の安全を重視して、堅牢なUV車をファミリーカーとして購入していた』と後から設定を追加すれば伏線張りと回収は完成してしまいます。序盤のシーンでUV車を出しておけばもうOKです。
主人公の全財産を奪ってどん底にしようと思ったとき、では『家族と暮らしていた思い出深い家がテロリストのせいで全焼するシーンを作ろう』ということにしたとしましょう。折角なら、庭にある綺麗なバーベキューセットで楽しくバーベキューをした思い出を用意して、回想シーンとして『前振り』しておけば、家が全焼したときの悲しみが増すというものです。唯一焼け残ったのは、防火対策がばっちりだったバーベキューグリルだけで、それが庭にポツンと突っ立っているシーンをイメージしてください。家族とバーベキューをした思い出を振り返る『前振り』を『回収する』このシーンは最高に可哀相ですよね。(この生き残ったバーベキューグリルすら重要アイテムとして伏線を張ることもできるかもしれません)

☆目線によって見えている世界と持っている情報が違う

◆主人公目線で物語は進むが、悪人目線の謎もあれば伏線もある

どうしてテロリストはホテルを襲ったのでしょうか。
実はテロ行為というものはセンセーショナルでかつショッキングであればあるほど効果が大きくなるとされています。テロ行為で実際に亡くなってしまうのは、たまたま巻き込まれた一般市民と警察組織の人々ですが、たまたま巻き込まれて死んでしまう可能性があると人々に恐怖を与えるのが最大の目的です。たくさんの人がいる場所を狙うのも、テロリストが動画配信サイトでショッキングな動画を配信するのも、人々にテロを恐れて貰うという効果を狙って行っています。
そのうえで、テロリストは攻撃した国の政府に対して無理難題な要求を行います。政府としては、テロリストの要求をそのまま鵜呑みにすることは絶対にできませんので、断固とした態度で突っぱねることになります。しかし、だからといって軍隊を派遣するとなると話は別ですし、国民たちはテロリストの破壊行為や虐殺行為を恐れるあまり、自国の政府に対して不満を持ちます。もっとしっかり国を守れ、テロ行為を許すな、という機運が高まり、テロリストに対して慎重で政治的な判断をしようとする政府の支持率は、「テロに対して弱腰だ!」として低下してしまいます。政府は支持率が低下することを避けるために、どうにか国民たちを宥める必要が出てきますが、この国と国民が分裂していく状況こそが、テロリストたちの思惑通りというわけです。ただ政府要人を一人暗殺するよりも、大量の一般市民を巻き込んだテロ行為の方が、国を攻撃するのに都合が良い場合があるというわけです。

さらに言えば、テロリストたちも本当に国を転覆させてやろうと思って行動しているテロリストばかりではありません。バックに強力なスポンサーが付いていて、そのスポンサーからお金が貰えるからテロ行為をしているテロリストたちも居ますし、本当に国を乗っ取ろうとしているテロリストたちもいます。ギャングやマフィアと同じく、お金を稼ぐ違法手段を突き詰めた結果、テロ行為に及ぶ組織や団体も存在します。悪人たちには悪人たちなりの生活と考えがあり、物語として悪人を登場させる場合、悪人側の事情を明確にしておくことは重要です。目線によって"謎"も違いますし、問題も違って解決法も違います。悪人側にも"謎"があるということは、その謎を悪人側も解明しようと動きますし、悪人側にもテーマがあって、そのテーマにどういう答えをだすのか葛藤しており、判断材料を集めているはずです。さらに言えば、悪人側にも伏線張りと伏線回収が行われているはずです。
主人公と同じく、悪人側にもストーリーがあることを意識しておくと、大量の謎と問題の発生、そして問題解決が主人公側と悪人側で複雑に入り組んだストーリーを組むことができます。

ちなみに、『テロリスト』という存在をそのまま『カルト教団』という存在に置き換えれば、CoCのシナリオの悪人に応用が利きます。国家を揺るがすための恐怖を、銃による大量虐殺ではなく、神話生物による大量虐殺に置き換えることができるでしょう。

◆主人公の仲間目線で見る世界も違う

主人公が主人公として活躍するのを支える仲間たち目線もまた、主人公目線と違った角度を持っています。角度が違うので、主人公が気付かなかったことに仲間が気付くシーンというのは定番です。主人公と問題を共有しているときもあれば、仲間は仲間で別の問題に苦しんでいることもあるでしょう。そういった仲間たちと主人公とのやり取りに"本編とは違ったテーマ性"があるのだとすれば、それは『サブプロット』と呼ばれる脚本テクニックが有効だと言えます。

先ほどの例でいけば、主人公はテロリストに復讐を誓う"罪と罰"の物語ですが、テロリストという犯罪組織相手に復讐しようとする主人公はある意味自暴自棄の復讐者でしかありません。主人公の友人からしてみれば、彼の行動は勇気ではなく蛮勇であり、何なら自ら死にに行っているようにすら見えるでしょう。そんな主人公の友人にテーマ性を持たせるならば、それは友情というテーマだと思います。家族だけではなく全てを失ってしまった主人公をどのようにサポートするのか、本来なら彼の復讐を止めるのが友人の務めなのではないか、友人として主人公の人生にどこまで関与するべきなのか。
友人もこのテーマに対してすぐに答えを出せずに葛藤し、答えを導くための判断材料を探すことになるでしょう。
もちろん、こういった友人側のテーマや問題に対しても、『伏線』というテクニックは有効です。

☆全てのシーンに伏線と謎を仕込むこと出来るの?

◆物語には舞台設定や背景設定の説明をしなければならないシーンがある

上記のことを踏まえると、物語のシーンには何かしら伏線テクニック的な描写がかなり含まれているということが分かります。しかし、もちろんそれだけではありません、舞台設定や背景設定の説明をしなければならないような文章も必要ではあります。
しかしそういった舞台設定や背景設定の説明は退屈だと言われています。悪人が『どうしてテロ行為を行ったのか』、『自分たちの組織の崇高な目的はどういったことなのか』という話題の話を主人公にくどくど説明し続けるシーンが必要かと言われれば、微妙な所です。悪人がそれぐらいくどくどと他人に説明するのが好きな性格だと表現したいのであれば必要な描写かもしれませんが、それも結局は"伏線"としての描写ではなく『悪人の性格設定』と、『ストーリーの真相』を悪人に喋らせているだけということになります。

しかし、この舞台設定や背景設定の描写が退屈であるという点は実はかなりの注目すべき点です。この説明描写中は読者側も緊張状態ではなくリラックスしていますし、何なら退屈すら感じています。この時間は正しく隙であり、伏線や謎を仕込む絶好のタイミングです。悪人がベラベラ喋っている間、その他のキャラクターたちだって黙って聞いているだけではありません。刻一刻と状況が変化しているはずです。悪人ですらベラベラ喋っているのは喋るのが趣味なのではなく、主人公に悟られずに時間を稼ごうとしているからかもしれません。読者や視聴者にとっては『悪人側の目線での情報開示』はストーリーを把握する上でも一応聞いておかないといけない内容ではありますが、実は水面下ではこの時間そのものが伏線になっているということです。

つまり、全てのシーンに伏線と謎を仕込む必要があるのか考えるのではなく、伏線と謎が仕込めないシーンは不要であるとバッサリ切った方が物語のシーンを考える上で合理的です。
バッサリとカットしたせいで説明しきれない舞台設定や背景設定があるのなら、それは裏設定ということにして説明する必要はありません。なぜなら、ストーリーを理解する上で必要な舞台設定と背景設定を説明しているシーンに絞って伏線を張り、謎を設置していくことによって、ある程度設定を説明するシーンを確保出来ますし、その確保できた分以上に舞台設定や背景設定を説明するシーンを追加するぐらいなら、伏線張りと伏線回収のシーンを追加した方が退屈な時間を減らせるからです。

折角考えた舞台設定や背景設定たちを表に出せずに裏設定にしてしまうことに抵抗があるかもしれませんが、裏に回さないといけないぐらい設定を煮詰めたからこそ、魅力的な舞台、魅力的な主人公、悪人や主人公の仲間たちが出来上がっていると思いますので、舞台の上に立っているキャラクターたちに心血を注ぐ方が効率的だと割り切りましょう。

☆TRPGシナリオを書く上での謎と伏線

◆謎を解明するために技能ロールする必要性

ここから先はTRPGシナリオを書く上での謎と伏線について説明していきますが、そもそも謎を解明するために技能ロールは必要なのかという問題から考察していきます。

小説や漫画を描くのなら、主人公は謎や問題に直面しても、それを解決するのに必要な情報が手に入るようになっています。これは物語の初めから結末まで筆者がコントロールしているからです。
主人公が結末に辿り着くための情報が一生出ない漫画があったとしたら、その漫画はそこから先どうやってストーリーを展開するのでしょうか。編集さんに怒られて読者人気が地に落ちて打ち切りの憂き目にあっても文句は言えないでしょう。

にも関わらず、TRPGはダイスゲームだからという理由で、ストーリー上重要な情報がダイス結果で出てくるシナリオが存在してしまうことがあります。もし仮に技能ロールなどに失敗して情報が手に入らず、PLとPCがこの先どうすれば良いのか途方に暮れてしまった場合、どのような救済処置が適切でしょうか。

実はダイス結果は確率ですので、物凄く運が悪いPCはまともにストーリーを満喫出来ずに瀕死になることすらあります。そのような可能性がある中で、物語の結末に辿り着くための情報すらもダイス結果で左右されるようなシナリオにしてしまった場合、エンディングやクライマックスに辿り着けないルートを用意しておかないといけないでしょう。バッドエンドと称してPCたちが死んでいく、もしくはシナリオ内の大問題が解決出来ずに逃げ帰っていくエンディングが定番となってしまっていますが、このエンディングに到達するのを本気で良しとするTRPGシナリオライターは存在しないはずです。
シナリオを書いた以上、PLとPCたちにはクライマックスとエンディングで伏線回収されていく驚きの展開に感動して欲しい、楽しんでほしいと思ってシナリオを書いているはずです。
意図してPCがクライマックス前に死んでしまう難易度のシナリオを書きたいのなら話は別ですが、物語のクライマックスに到着できないルートが存在するのは出来る限り避ける必要があります。

◆手掛かりがあって、糸口を掴み、情報に辿り着く

上記の問題を解決する方法を考えてみましょう。
謎が解明するという手順を3段階に分割すると、手掛かり→糸口→情報です。情報が手に入ると謎が解明するとします。

例えば、主人公であるPCたち目線から見て謎が1つあるとします。ここでPCたちに知識ロールをしてもらって、成功したPCには情報が手に入り、謎が判明しましたとします。この流れの場合、全員が知識ロールに失敗するとこの謎は永遠に謎のままです。物語に謎が表れた場合、それが解明されないとPLたちは一生モヤモヤし続けます。クライマックスのシーンで、重要な選択肢を前にした時にすら、『あのシーンで全員知識に失敗したから……』といって行動選択に悩みまくる事態すら起こり得ます。GMから『あの情報はクライマックスに関係ないですよ』なんて伝える最終手段もありますが、このようなネタ晴らしは興ざめですから、出来る限りしたくありません。

では次の例えとして、主人公であるPCたち目線から見て謎が1つあるとします。その謎を解明するための手掛かりはいくつかあって、部屋の机や本棚を調べたり、関連すると思われる事象に詳しい大学教授にアポを取って会いに行ったり、街の図書館で関連図書を調べてみたりなどなどです。行った先々で技能をロールして、いくつかの謎の糸口を掴みました。その糸口を手繰り寄せるために、次に行くべき場所がある程度絞られて、街のとあるクラブ、とある情報屋の男、とある雑誌記者の女が謎に深くかかわっていることが分かりました。クラブに行った先や情報屋、雑誌記者相手に技能ロールをして、その結果『謎に対する多数の目線からみた情報』が手に入り、それを分析した結果謎が判明しましたとします。
この場合、大量に技能ロールすることになるためテンポはかなり悪くなりますが、数回技能ロールに失敗したところで、最終的に謎が解明する可能性が高くなります。
いくつかの情報だけでも、ある程度謎の正体が判明するように推測することが出来れば、もしいくつかの情報が抜け落ちてしまっていても謎が判明します。このような状況だとPLとしても結果として謎が解明できているため、道中の技能失敗に不満が残りません。しかし、最大の欠点は技能ロールが大量に必要だということです。

◆成功と大成功の差別化こそダイス結果の尊重といえる

上記二つの例のうち、本来なら折衷案の良いとこどりを目指したいものです。そのために重要なのは、技能ロールをする回数と失敗、成功、大成功という技能ロール結果の差別化によって、手掛かり→糸口→情報の順番を飛ばせるようにすることです。
同じ例として、主人公であるPCたち目線から見て謎が1つあるとします。まず知識ロールを要求して、大成功した場合には二足飛びで情報を手に入れて謎を解明してしまうとします。成功した場合でも、この謎に詳しい情報屋の男や雑誌記者の女という存在に心当たりがあるとして、手掛かりを探るターンを飛ばし、糸口を手に入れます。失敗してようやく手掛かりを探るターンです。部屋の机や本棚を調べたり、関連すると思われる事象に詳しい大学教授にアポを取って会いに行ったり、街の図書館で関連図書を調べてみたりなどなど選択肢がありますが、どのタイミングのどの技能ロールでも、成功と大成功を差別化し、手掛かりや糸口を飛ばして情報が手に入る可能性を用意し続けます。

この方法のメリットは、プレイするPCたちの技能値やPLたちの運によって、道中のストーリー展開が独自の物に変化するということです。場合によっては行かないで済む探索個所が発生し、出会わないまま終わるNPCも居ることでしょう。しかし、この方法は自然と『参加したPCたちだからこその物語』が展開されるようになるはずです。
手掛かりを探るシーンで登場するはずだったNPCが登場せずに飛ばされてしまった時のために、糸口を手繰るシーンで登場するタイミングを別に用意すれば必要なNPCを物語に登場させきることはできます。クライマックスの選択肢を選ぶ時に重要な情報が手に入る探索個所が展開とダイス結果によって手に入らず飛ばされてしまったのなら、その情報が別の場所でも手に入るようにしておけばOKです。
PCに絶対に渡さないといけない情報と、PCと絶対に出会わなければならないNPCを、適切で自然なタイミングで物語に投入することができるシーンを複数用意しておくことによって、PCたちの遊びたいように道中を自由に探索することが出来るはずですし、出会うNPCの順番や、手に入る情報の順番によって、最終的なクライマックス時の選択肢に影響があるかもしれません。

そのために、成功と大成功の情報量に差をつけたり、技能ロールに失敗してしまったらこそ辿り着ける独自のルートがあったり、様々なルートを想定して世界観に幅を持たせ、シナリオを遊んでくれているPLたちみんなが全然違うルートでクライマックスのシーンに突入している、なんてルート分岐を用意しておくことが重要だと筆者は思います。

例えば、「PCたちのHPが道中でゼロになって死亡してしまったので、シナリオは途中で終了し、世界は神話生物に蹂躙されて終わりでバッドエンドです、お疲れさまでした……かと思ったらアジアンテイストの怪しげな部屋の中で目が覚めました。隣には怪しげな服装のおっさんが脂汗を垂らしながら何やら呪文を唱えています。おっさんが言うには、どうやらここはシンガポールの安いホテルの一室らしいです。すると、可愛らしい一人の幼女が部屋に入ってきて――」なんて具合の素っ頓狂で強引なシナリオ続行ルートがあっても良いと個人的には思っていますが、どうでしょうか。

◆TRPGにおける伏線は、ルート分岐に気を付けること

伏線に関しては、脚本技術出身の技術にしては珍しく、脚本技術的な方法でもって流用することが出来ます。TRPGシナリオとはいえ、物語は物語であり、主人公がPLの操作するPCであることだけ注意すれば伏線も貼り放題だと言えます。
しかし注意が必要な点として、上記にもある通り、PCの行動次第でルートが分岐されることがあります。ルート分岐が発生したことで張っていた伏線が回収されずに終わる場合があったり、そのまた逆も然りで発生する恐れがあります。『伏線は張るのと回収するのがセット』で美しい技術であり、片方だけだと不必要なノイズとなります。
例えば、伏線が張られたものの回収することが出来なくなってしまった場合、PLやPCがもし伏線が張られたことに感づいていたとしても、それが回収されずに終わると内心残念な気持ちになるでしょう。(シナリオ終了時に「あのシーンの〇〇って結局なんだったの?」と突っ込まれます)
逆にルート分岐の結果として、張られてもない伏線が回収された場合、こちらは余り違和感がないかもしれませんが、それでも折角用意した伏線が無駄弾になってしまったことには変わりません。

ルート分岐込みで伏線を張って、同じルート内で回収しましょう。もしくは、共通ルートなどで伏線を回収しましょう。伏線は張るのと回収がセットで完成です。セットに出来そうにない場合はとりあえず一旦削ってみましょう。テストプレイをしている最中に、ベストな伏線セットタイミングを思いつく可能性もあります。

☆おわりに

謎と伏線という要素は小説や漫画などのメディア作品においてかなり重要なテクニックです。そのため、TRPGシナリオを執筆するのにも非常に重要な要素になります。しかし、TRPGシナリオにはゲーム性があります。
ゲーム性の部分と謎の性質、またはゲーム性の部分と伏線の性質で相性の悪い部分がどうしてもありますので、そこに注意してTRPGに謎と伏線を盛り込まないといけません。一歩間違うと、謎と伏線の面白い要素が台無しになってしまいます。

この記事が一人でも多くのシナリオライターさんの一助になれば幸いです。
このような長文でも、☆おわりにの最後のこの一文までお読み頂き、本当にありがとうございました。

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