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休職4日目アンコール

2度の休職を振り返りたくなったので
暇なので振り返ってみる。

1度目の休職

(大見出しなんてつけてnote使いこなせている…!)
バックオフィス業務で数年シコシコ仕事をしていた私に営業職への異動打診がきたことが事の発端であり、いまにもつながる元凶。
例えるなら、コナンの「ピアノソナタ『月光』殺人事件」といったところ。

慣れないながらも営業職に従事していたが、
担当先がこれまたやっかいなクライアントだった。
・約束は守らない
・無理しか言ってこない
・土日関係なく連絡よこす
・のくせに自分は連絡取れない
とまぁ考えられる悪いお手本のようなクライアントだった。
さらに都合が悪かったのは、チームで動いていたが
そのチーム同僚から見放されたこと。
当初は
「慣れないだろうから一緒にやってこ☆」
とサポートしてくれる気満々だったのだが
突然、
「それはお前の仕事だから」
と放置プレイをかましてきやがったのだ。

真面目な私はその言葉をしっかりと胸に刻み、
自分だけで解決するように奔走するようになった。

しかし仕事に慣れないヒヨコ社員が一人で太刀打ちできるはずもなく
ミスを犯し、それにクライアントちゃん激昂。
いままで怒られることがなかった私は完全に萎縮。
いまでも思い出したくない感覚だが
電話越しに激昂された瞬間、
口から水分が消える感覚、一気に口内にゴビ砂漠(サハラ砂漠でも可)が広がり
後頭部から熱いものがこみ上げてくるアレ(界隈では脳汁と呼ばれるのだろう)
でもう座っているのに立ち眩んでしまって
TKO状態。
そこから3日くらいしたら、メールやチャットが読めない。
字が滑っていく感覚。
アレは本当に不思議、読書が好きな自分からしたら
考えられない感覚だった。

たまたま近所にあった心療内科を運良く受診。
その場で「適応障害」と診断され、強制ドクターストップ!
引き継ぎもままならないまま、退場を余儀無くされた。
ちなみに、当時チームを組んでいた同僚に
「ごめんなさいメール」を送ったら
無視された。
ひとに絶望した稀有な瞬間でした。

1回目の休職は約1ヶ月の短いものだったが
復帰後はのらりくらりと半年くらいエクセルと閉じたり閉まったりしていた。
(漢字で書くとよくわかるけど、話し言葉で言われると「とじたり、しまったり」ってややこしい感覚になるよね☆)
そして元いた部署に復帰することになる。
さぁ、本番はここからやで!!!

2度目の休職〜エピソード0〜

上記休職時に親身になって世話してくれた先輩がいた。
仮にNとしよう。
Nとは公私混同で仲良くさせてもらっており、
温泉旅行などにも連れてもらった仲である。
そんなNに励まされ、復職をした。

大きな会社ではないので、
Nと私の関係をよく知っていた人事部が良かれと思って
Nと私を同じ部署にしてくれた。
(結果としてこれが良くなかった)

一年くらいは問題なく仕事ができたのだが、
些細なことでNを怒らせてしまった。
これがいけなかった。
謝罪に行こうとする私に対し、
「これ以上近づくと警察呼びます」
「これは冗談ではない警告です」
とまで言ってのけた。

「え、、まじ?」
その連絡をもらった当時の私の心情である。
(マジではなく、まじ、これ大事)
かくして私はまたしても深い谷に落ちていった。
これが直接的な2回目の休職にはなっていないが
大事な出来事なので、今度のテストに出ます。

ちなみに
カウンセラーに私がやらかしたことを詳細に話したところ
「それでここまで怒るのはアレだね、アレだよアレ。」
(ここでも書けないレベルのアレ)
という感じなので、別に私がNの妻をNTRったわけではないので
悪しからず。


2度目の休職

そんなこんなでNとの不和もあり、
メンタルがおぼつかない状態で2年近く仕事をしていくことになる。

会社には自主的GW()と言いながら
有給を何度も取得して周囲にバレないように
働きながら休みながら過ごしていた。

その2年間で大きな出来事はなかったが、
メンタルやられポイントカードのポイントは順調に貯まっていった。
そして今年の5月にそのポイントカードが満タンになったのである。

N激昂事件(コナンの月光とかけてみた)は
私の心に大きな傷跡を残していた(これもまたコナンと同じ!)
元来、ひとに怒られ慣れていない私は
極端に人に怒られることを恐れる性格である。
加えてだれにも嫌われたくない性格である。(あーめんど)
そんな私が遭遇したN月光事件は
・ひとはどんなことで怒るかわからない
・ひとは怒るとなにをするかわからない
・怒られるとめちゃくちゃ怖い
・怒られる前の親しさなど怒りの前には関係ない
・その後、めちゃくちゃ気まずい
という教訓を私に残した。

2度目の休職理由は
・すべてに不安、緊張している
この一点に尽きる。
メールを見るのも、対応するのも、電話するのも、人に業務をお願いするのも
なにもかもすべてが怖くなっていた。
おそらく上記N月光事件の教訓が私のメンタルを刺激していたのだろう。
仲よかったNですら、ああなるのだから
仲良くない仕事相手を怒らせるとどうなるのかわからない!という気分になっていた。
昼ごはんもそぞろになり、やつれていった。
平日と休日で顔つきが違うと妻に言われ、
子どもにも強い言葉であたってしまっていたようである。
常にプレゼン当日の気分が週6で続くのである。
(土曜の午後から日曜の午前までが唯一の安息時間であった)
これではあかん!と心療内科に再度受診したところ、
これまた強制ドクターストップが入り、
いまの執筆活動に至っているのである。

総括

1度目の適応障害発症時までは
メンタルを病むことはあっても
休職することなどなかった。
もっというと、「休職する」という選択肢すら
頭の中になかった人間である。

だが、一部メンタルをやらかすと
傷つきやすいのか、割とすぐにポキっといってしまう。
これから何回ポキっといってしまうのだろう。
これも新しい自分だと言い聞かせながら
このメンタルと残り人生を歩んでいくはずである。
大リーガー養成ギブスみたいなもので
私のメンタルも強化できるなにかがあるとうれしいなぁ。
(マジで自衛隊に入れば良くなるのかな?と思ったり)



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