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失恋がきっかけで入院するのは8割型が男性

と総合病院の神経科の医師はいう。 疑問を持った女性医師は、外来の患者さんを診察し理由を聞くと大体が失恋がきっかけで心を痛めた。としていた。

 よく、恋愛の観点で、女性は冷めたら一瞬、男性は引きずりがち。    そんな風潮がある。 なぜ、このような差が生まれるのだろう。  

先日、図書館で手に取った本のなかで語られていた男性、女性における心理的な病についての話をしようと思う。


辛い出来事があった時に、素直に涙を流せるか

例えば、パートナーに別れを告げられた直後、友達に電話をかけて話を聞いてもらう、あるいはどこかのカフェに集合して公共の場にも関わらず、人目を気にせず号泣。それができるのが女性だ。 男性の場合はどうだろうか。男が失恋で泣くなんて恥ずかしい。いい大人なんだから。そういった文化的な男性イメージが、あとで心身に出てくると考えられる。 やがて気力がなくなり、ご飯も食べられなくなり喪失してしまう。そして、まさに診察を受けている人がここにいる、入院である。 

では、普段経済的も社会的にも地位の高い男性が喪失に弱いのはなぜだろう。  

男性は女性よりもあるものを失うことに恐怖を感じている。 離婚や失恋、のように大切なものを奪われることに対して恐怖心を抱く。だからこそ、そのかわりともなるもの、心を安心させる行為が生まれると考えられる。  

このことから映画や小説のテーマで「喪失と再生」というモチーフを好みやすいのは男性のほうではないかと語っている。 

↓の映画がまさにこのテーマを表す代表作ではないだろうか。

【雨の日は会えない、晴れた日は君を想う】

 (あらすじ) ウォール街のエリート銀行員として出世コースに乗り、富も地位も手にしたデイヴィス(ジェイク・ギレンホール)は、高層タワーの上層階で空虚な数字と向き合う日々を送っていた。そんなある日、突然の事故で美しい妻が他界。しかし、一滴の涙も流すことができず、悲しみにすら無感覚に自分に気付いたデイヴィスは、本当に妻のことを愛していたのかもわからなくなってしまう。義父のある言葉をきっかけに、身の回りのあらゆるものを破壊し、自分の心の在り処を探し始めたデイヴィスは、その過程で妻が残していたメモを見つけるが……。  

 

日本の教育によって創られた男性女性のイメージ。

私たちの思い描く、男性とは、経済的、社会的地位が上・頼もしい・力持ち   女性とは、品があり繊細・手先が器用・気遣いができる・家庭的。。         では、【男らしい男】【女らしい女】 の定義は何なのか。 世の男性よりも年収が高く、バリバリ働くキャリアウーマンは女性らしいとはいわないのだろうか。家事育児を担当して母親であるパートナーを支える男性に男らしさはなくなってしまうのか。 

「雌鳥歌えば家滅ぶ」

妻が夫を出し抜いて権勢をふるうような家はうまくいかずやがて滅びるという意味である。 日本ではこれまでずっとそういう考え方が美徳とされてきた。 NHKの朝ドラがいい例だ。 マッサンではスコットランドから、日本でウイスキーを作るという夫の夢を叶える為に寄り添い、失敗続きの中やがて太平洋戦争が勃発。外国人であるエリー妻は容疑をかけられる。 そんな波瀾万丈な人生を経ても、夫の為に明るく前向きなエリーはまさに典型的な夫婦の例である。 私達、女性は一体、いつまで一歩後ろを歩かなければいけないのだろう。  

「男のくせに泣かないの」「 女の子なんだからお行儀よくしなさい」

 男尊女卑について疑問を抱き、そのテーマについて考えるたびに、幼少期に耳にしたこの様なセリフが思い浮かぶ。 言っていた本人(大人)は根付いた文化から生まれたセリフを無意識のうちに放った言葉だろう。        日本という国に住むということは、常識という違和感に従うことが "上手くやる " 俗にいう、" 世渡り上手 " になることだと感じる。

その空間に存在する当たり前を常識として生きてきた人間にとっては、その違和感さえも感じないことがある。けれど、外から日本を見た経験のある私にとって、今、根付いた常識文化に、疑問を抱く瞬間が多い。            男女平等男尊女卑という言葉が存在すること自体が変えられない事実や現状を物語っている。また、時代の移り変わりにより  男性が涙を流すことが、そして、女性がハイヒールを履かないことが新常識になり、どちらの性を持っても、生き生きとした人生を送れる日は近づいている様にも感じる。


今後、男尊女卑という病にはどう向き合っていくべきなのか。

 この本の最後にこう書かれている。

男女の差異について、解剖学的性差は一つの運命なのである。 人間の心の構造は男性に生まれるか、女性に生まれるかによってある程度決まってしまう。 男性に女心がわからないのはなぜか、それは男性に生まれたからにはほかならない。逆もまた然り。 それをわかっているのと、いないのとでは、お互いにとって生きやすさがまた変わってくるのではないだろうか。


必要なのは、" 両者の理解 " である。


END

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