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その繊細さは、宝物だった

いつも私が起き出す時間には大体リビングで流れているテレビに、今朝は俵万智さんが紹介されていた。
それまで万智さんのことを教科書に載るような短歌を作る「歴史上の偉人」みたいに思っていたから、画面越しながら初めてお顔を拝見してお若いな〜お綺麗な方だなという印象を抱いた。トーストをノールックで齧りながら、万智さんがどのような事を話すのか、興味津々に画面を見つめていた。


最近、「惰性でスマホを見つめる人たち」を構成しながら帰るバイト終わりの電車の中や、23時台、最寄りからとにかく家路を急ぐ自転車に乗りながら、フッと虚無感に攫われる。

今年の春休みにフィリピンで1か月間過ごし、それが私にとって人生の転換点となった。もともとセンシティブで、怒られると情報過多になり焦って頭が真っ白になったり、「こうしなきゃいけない」「こう思われるように振る舞わなきゃいけない」という考え方に囚われて窮屈に生きていたけど、フィリピンで出会った人たちに価値観を積みなおされ、前よりずっと肩の荷を下ろして生きることができるようになり、以前までの他人にどう見られるかを第一に考えていた私とは違う本当の私が解放されていくのを感じていた。


一昨日のレストランのバイトで、オーダーを取った後に確認しなければならないことがたくさん出てきて焦ってしまい、先輩に「めっちゃパニックやん!メンタル弱!」と言われた。
前までの自分だったら、そんなこと言われた途端喉に小石が詰められたみたいに苦しくなって、沈んでいくように深く受け止めて、この出来事をいつまでも引きずっていただろうなと思う。けれど、その時はそこまでその言葉が心に残ることはなかった。
ほら、私、強くなったんだ。自分のミスによる焦りはあったけれど、どこかで、ここですぐに涙が出てこない自分に少し驚きと満足感を覚えた。
 

だけど、今振り返ると、本当は強くなったのではなくて、"鈍感"になっただけなのかもしれない。
今までみたいに自分の傷にすぐに気付けない。見ないふりができるようになった。だからふとした時に反動が来るというか、一人になってそれと直面しなければならない。

敏感であることに悩み続けていたけれど、この変化は一概にはいいことと言えないのかもしれない。

俵万智さんは、「短歌にすることで心が揺れた一瞬間を永遠にとどめておける」とおっしゃっていた。「例えば、飲み会が終わって外に出て、タクシーに乗るまでの間、考えたことなど。」「タクシーに乗ってしまえばスマホを触ったりしてまた違うことを考えてしまいますもんね」というキャスターとの会話が印象的で、今も頭の中を駆け巡る。
 
万智さんの言葉を聞いた今なら、全てを真面目に深く受け止める繊細な自分にも「それはとっても素敵なこと。他の人にはない感じ方で、宝物だよ」って自信を持って声を掛けられる。
今まだ、それに気づけている分、大事にしたいと思えている分、完全にその繊細さを無くしてしまったわけではないと思いたい。
だから、何か残る形で私の感性をとどめておきたい、と思ってnoteを始めました。

多くの人が取りこぼしてしまうような瞬間や、感情を、私と言うフィルターを通して言語化出来たら最高だな。と思っています。


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