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ACTion 52 『LOST ID』

 かけなおすスモークで四方を囲う。狭さはより一層強調されると、ぐったり樹脂板へ身をもたせ掛けた『ヒト』の放つ倦怠感が辺りを満たした。だとしてあてられることなくテンは呼吸を整えなおす。無造作と投げ出されている『ヒト』の足元に立った。
 気配に『ヒト』がわずか、伏せていた視線を上げてテンをとらえる。あからさまな警戒心を全身から発してみせた。尽きてすぐにも解いたなら、どうにでもするがいい、とい言わんばかり投げやりな態度もまたテンへと晒す。
 表にはスパークショットを担いだ見張りも待機しているのだから丸腰でも問題ないだろう。そんな『ヒト』を遠巻きに、テンはしばし観察した。何しろ次々と胸中を言い当ててみせた『ヒト』は、いまだ腑に落ちないでいる連邦側の思惑を知っているらしい。大一番を前に、それこそ知っておくべき話だと思えてならず、利用されているのではない、今だくすぶる疑念を払拭するためにも必要だとしか思えなかった。だが知ったところで無駄だ、ともう囁く自身がいることも自覚する。たとえ分の悪い事実が明らかになろうとも、事実、もう極Yが生き残る道は他に残されていないのだ。何があろうと突き進むほかない。説く己とも対峙した。そうしてようやく気づくことになったのは、そうも思案する己こそが誰より下した決断に不安を抱いているのだということだった。テンの腹はそこですわる。何を知らされたところで変わることなどありはしない。いや、変えはしない。今一度、己へ投げた。
(どこで動話なんか、覚えた?)
 指を折る。見て取った『ヒト』はいっとき、何の話かと目を瞬かせ、やがてフンと鼻から抜いた息で笑ってみせた。様子にテンがむっ、としたことは否めない。伝えて半歩『ヒト』へと詰め寄る。気に留めることなく心行くまで笑った『ヒト』はそこでようやくテンへと腕を持ち上げていた。
(言語開拓機関、って場所が連邦にある)
(げんご、かいたく?)
 それは見慣れない動話だ。
(なんや、それは)
 もたせ掛けていた背を『ヒト』は重たげと持ち上げていった。そうしてゆっくりと、しかしながら確実にテンへ動話をつづり始める。
(造語を作った機関だ。コトバってやつは厄介でね。一人歩きするうえ、文化や帰属意識ってやつを個の中へ、勝手気ままに作り上げる。意識領域を『意味』で矯正し、さらに無意識のレベルにまで降りて、作った壁で、まわりから囲いあげるのさ)
(当たり前や。つうじん奴らとはつうじん、わからん奴らとは、わかりようがあらへん)
(そいつをコントロールするため、連邦がこしらえた、たいそうな機関さ)
 そこで『ヒト』はいったん辛そうに腕を下ろす。
(そこで覚えたんか?)
 代わってテンは指を折り返した。
(そこには、既知宇宙に存在する全ての言語と、意味が保管、管理されていて、覚えたというよりも、動話は俺の担当だった)
 分かったような分からないような説明だったが、教えを請うわけにもゆかない。テンはただうなずき返す。
(なるほど、ならあんたは、そのたいそうな仕事を放り出したっちゅうワケや。せやから連邦は連れ戻そうとした)
 先回りで先手を打ち、取られかけていたイニシアチイブを取り戻しにかかる。だが『ヒト』の様子は変わらなかった。あくまでもテンにとって理解不能な話ばかりを繰り出してゆく。
(冗談。なら、もう少し丁重に扱うだろ。ダイラタンシーなんて、撃ち込みやがって)
(なんや、それは?)
 もちろんテンこそ放たれる側なら、ダイラタンシーを知らないわけはない。
(連邦のやつらなんか、どこにもおらんかったぞ)
 そんなテンの動話を目で追う『ヒト』の表情は、そこで緊張感を取り戻していた。袖口の砂を払うと座りなおす。改めテンへこう指を折っていった。
(伝えた通りさ、あんたらは、利用されている)
(あの場所に、あいつら、おったんか?)
(見返りは、何だ?)
 単刀直入と問いかけられてテンはいっとき、たじろぐ。
(知ったことか)
(俺たちは似た者同士、かも、しれないんだぜ)
(だったらどうした?)
(あんたは、きっと、後悔する)
 『ヒト』の目が、テンをじっとのぞきこむ。視線ごと、テンは払いのけていた。
(んなら聞くがな、なんで連邦はお前らを連れ戻したがってる?)
(さっき、触れたろう? コトバは文化や帰属意識を主張したがる、ってな。その地域、地域で使われ続けてきた言葉には、その言葉を育んだ風土や習慣が山のように含まれている。たとえば、あんたの動話にあって、俺たち『ヒト』語にない言葉があるようにだ。連邦はそんな土地と俺たちを、言語と俺たちを切り離したがっている。帰属意識を取っ払って、平たくつなげなおしたがっているのさ。手っ取り早く、造語を普及させたが、あんたらのような半端もんが、できちまったからね。次の手段として、俺たちを取り戻そうとしている)
 そこで会話はプツリ、途切れる。何しろテンには『ヒト』の言わんとしていることがすぐにも飲み込めなかった。習慣、宗教、含めた文化。数多存在する種族、民族ごとに多種多様と存在する言葉を奪われ、果てまで広がることとなった均一な世界など、ただちに想像することができなかったからだ。
(……んなことが、できるわけないやろ。俺らは俺らや。『バナール』でも、『エブランチル』でも、お前ら『ヒト』でもない。極Yにも地域差っちゅうモンがある。住んどる場所が、違うんや。せやから見てくれも違うやろ)
 唖然としていた己を急ぎ取り繕った。
(だからこそ、研究中でね)
 あざ笑い『ヒト』はさらり、答えてみせる。
(ほんなら、なんや。お前らを渡せば、俺らは造語を手に入れたとしても、今度は極Y種族って生き方を、その新しいやり方で塗りつぶされるっちゅうんか?)
 何しろそれでは本末転倒である。だが見て取った『ヒト』は頭を振っていた。
(故郷と言う意味合いが一切、消えることになるだけさ。おかげで長距離航行就労者たちのイルサリ症候群は解消されるだろう。いや、俺はそう聞かされていた……)
 折られた指がしばし宙をさ迷う。目を、やおらテンへ向けなおした。
(造語の入手が代償なのか?)
 それは刺さるような振りだ。しまった、と思えば、それまで滞ることのなかったテンの手元も思わず止まる。取り繕うにありあまる動揺となり、どうしても思うように進まないこの会話へ苛立ちをつのらせた。
(お前らに分かるんか! ええ? 俺らは好きで船賊やっとんのとちゃうんやぞ。何が垣根をなくすや。作ったんはあいつらやないかい! しょせんそんな話は机上の空論や。出来る道理があらへん。そんな話で俺らが逃がすとでも思うてたら、大間違いや)
(空論? まさか)
 などと返す『ヒト』の動話は冷静を極める。ままに視線を、樹脂板の向こうへ振ってみせた。
(現物がいるだろ? 隣に)
(……なん、やと?)
 テンの背に、嫌な緊張は張り付く。確かに、無傷で連れ戻せと指示されたのは、隣の『ヒト』だ。
(連邦の目論見が成功したなら、造語に変わる新たな方法で、既知宇宙はきれいさっぱり統一されるだろうよ。言葉の大半が消えれば帰属意識も薄れるだろうってのが、奴らの見解さ。そしてその先には、支配する者とされる者に二分した世界があるって寸法だ。知らぬ間に支配者たちが、俺たちの言語、帰属先に成り代わって造語を振りかざし、俺たちの中に故郷として居座り続ける)
 『ヒト』の動話は振り始めた時より、明らかに滑らかさを増していた。そしてそこに憎しみとも取れる力がこめられてゆくのをテンはつぶさと見てとる。だからしてそんな『ヒト』の前へ、静かに屈み込んでいった。めいっぱい『ヒト』へと顔を近づける。
(なんや、似た者同士いうのはそういう意味なんか? 滅び行く者同士、ってことか?)
 間に掲げた手で、見せ付けるように動話もまた振ってやった。
(あのな、勘違いすんな。ええか、あんたはそのための機関におったんやろうが。こちとらそのせいで大迷惑しとるんや!)
 勢いのままに振り捨てる。
 一部始終を睨み返す『ヒト』の目が、みるみるうちに怒りで赤みを帯びてゆくのが分かった。
(知っていたなら、あんたの罵声も甘んじてうけるさ)
 つづって返す。
(哀れやの)
 前へ、テンは再び腕を突きつけた。
 少しは気が晴れたところで立ち上がる。
 きびすを返しかけたその時だ。
(あんたは極Yという故郷のために、俺たちを追いかけ回した)
 視界の端で『ヒト』の腕は振られる。
(俺はそのために機関のラボを封鎖し、隣のあいつを外へ放った)
 背中越しに、テンは動話をただ読んだ。
(似た者同士ってのはそういう意味だ。滅ぶんじゃない。それを避けるために、お互い尽くしてるんじゃないのか)
 それきり振られていた腕は床へ下ろされる。
 その通りだ。
 否定できないテンを痛いほどの危機感は襲っていた。
(せやけど俺のやり方は間違っていると、あんたはいいたいんか?)
 絞り出す。
 『ヒト』はそこでただアゴを引いていた。
(だからってな、俺はいまさらこの取引から手を引く事は出来へんのや)
 本心を明かす気になったのは、そのうなずきには伝わるものがあったからだ。
(俺を信じてついてきとる奴らがようさんおんのや。それに手を引いたとして俺らにもう道はない。たとえあんたを連邦に引き渡して、あんたの話が実現したとしても、その時はその時やいうことになる。まぁその話、よう覚えておくで。せやけどあんたらの体を連邦へ引き渡すことには、なんもかわりはあらへん)
(『アズウェル』でも監視していた奴らだ。連邦のやり口には気をつけろ)
 振り終えたテンへ『ヒト』もまた手早くつけ加えていた。最後にして、それきり再び樹脂板へ深く背をもせかけてゆく。
(ああ。あんんたのスタンエアは俺らで回収してるで)
 そんな『ヒト』へ振り返し、テンは扉をくぐり抜けた。
 出てきたテンに、見張りのふたりは訝しげな顔を向けている。
 片腕を挙げて合図を送り、後ろ手に扉を閉じるとテンはその足を迷うことなく艦橋へと繰り出していった。