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別れて一ヶ月で彼氏が出来たと聞いて腹が立ったが、そいつとも半年で別れたと聞いて、また腹が立った

 アパートのドアを閉めると、エコバックから買ったばかりの冷えた500mlの発泡酒を取り出し、マスクを外して口を潤す。通勤用のバッグは玄関に置き、革靴を脱いでリビングに上がると、再びアルコールを体内に流し込む。時間を確かめると、十一時になろうとしている。明日も仕事。早く飲んで寝てしまわないと。
 寝室まで移動、ハンガーラックにスーツを掛けようとして、姿見に、ビール片手の自分が映る。つい先ほど見たばかりの光景が思い出されて、その時の気持ちまでもが、ぶり返す。
 最寄りのコンビニで今日飲む分だけの酒を買って行こうとすると、出入り口付近にて三人の男が酒盛りを開いていた。金髪ピアスで首からジャラジャラとネックレスをぶら下げてタトゥーに彩られた腕をこれ見よがしにむき出しにしている「輩」連中が大声を張り上げているのであれば、「あぁやってるな」と何の感慨も抱かず素通りしただろうが、そこにいたのは僕よりも一回りか、一回り半くらい年上の、頭髪が薄くなり、腹が迫り出し、顔にシミが浮き出たスーツ姿で、メディアで騒がれている「路上飲み」を、いい年をしたオッサンがしていることに、腹の底から沸き立つような憎悪を覚えた。
 彼らが視界にいるだけで胸糞悪かったが、遠回りして他のコンビニにまで足を伸ばすのもいっそう腹立たしく、横を通り過ぎて自動ドアより入店しようとすると、「マサキさん、アルコール消毒が足りないんじゃないですか?」「そうですよ、ちゃんと消毒しないと大変なことになりますよ」「これは困りましたね。まだ消毒が足りません?」と安い缶チューハイで乾杯をしてゲラゲラと高笑い、「ネットでさらされろ」と呪った。
 彼らへの怒りは未だに消え去らず、むしろ、より深く、広く、熱くなっていくようで、発泡酒を流し込んで沈静化を図る。
 携帯でニュースや動画を見るが、小難しい世界情勢など辟易、ユーチューバーの他愛もないドッキリにムカつき、メジャーで活躍する日本人野球選手にも心は動かず、芸能人の不倫やら政治家の失言や暴言といった著名人の不祥事ばかりを追ってしまう。
 唐突に着信を知らせる画面に切り替わり、大学時代の友人の名前に、「なんだよ、わざわざ電話なんか寄越すな」と無視、冷蔵庫から新しい発泡酒を取り出して戻ると、携帯の振動は終わっており、メッセージが残されている。いささかのためらいの後にLINEを開くと、「ミーコさん、陽性で、ホテルにいるそうです」。驚いて、「いつ?」と返すが、友人も詳しくは知らないようで、こちらの質問には明確な返答はなく、「大したことないと思うけど」と根拠不明な楽観論が送られて来た。
 苦しんでいる時に迷惑かもしれないという心配もしなかったわけではないが、文字だけなら邪魔にはならないだろうと、ミーコへ「どう?」とだけ送ると、書き込んで直ぐに既読がついて、「昨日から熱も下がり始めたんで、かなり楽」という返信。「家?」と尋ねると、簡素な室内の写真が貼られて、「ホテル」と付け加えられた。
 症状が出てから検査に回るまでの煩雑な手続きと、陽性判明からの手早い隔離までの流れ、意外に豪華な食事だが舌と鼻が馬鹿になっているので味わうことができない、といったことを教えてもらう。数年振りの会話、画面上での文字列の交換であっても、テンポや単語のチョイスには彼女らしさが残っており、頭の中で声が再生されて懐かしくも物悲しかった。
 一日中横になっている他なく、昼寝のおかげで夜になると寝られなくて困る、と聞いたので、「長いお休みをもらったと思って」と書き送ると、「そんな風に考えたいけど。仕事無くなりそう」。
 ミーコが、なんの仕事に就いていたのか。大学卒業直後、誰かに聞いたのは確かだが、思い出せなかった。それでも、彼女が理想としていた仕事ではなかった、ということだけは覚えている。
 感染を理由としての解雇なのか、不景気を原因とした雇い主の方針なのか。僕から詳しく聞き出すのもはばかれて、「そうなんだ、大変だ」という、ぼんやりとした感想に対し、「大丈夫、まだ若いし」と返って来た。
「若い?」
「若い!」
 意味深に、かつ得意気に笑う彼女の顔が思い浮かぶ。
 どうして、あんなにも我慢ができなかったのだろうと、当時の僕を訝しむ。
 どうして、いろんなことが許せなかったのだろう?
 どうして、あんなことをしても許されると考えたのだろう?
 どうして、気が付くことができなかったのだろう?
 どうして、あんなことが気になって仕方がなかったのだろう?
 どうして、与えられることを当然だと思えたのだろう?
 どうして、与えることは特別だと考えたのだろう?
 二人でいると苛立ちしか覚えず別れたはずなのに、こうして話をしていると彼女の長所が思い出されて、自分の短所に嫌気が差す。明日も仕事、早く寝なくてはいけないのに、過去の深みに囚われてしまうのではないかという気怠い予感がする。
 「元気そうで、羨ましいよ」と送ると、「あなたの方が元気でしょ」というメッセージの後に、昔よく見た、小さな女の子が「ばーか!」と、あっかんべーのスタンプが届いた。


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