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今日の僕を明日の君へ(04)

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 ブタ箱での仕事は「生かさず殺さず」の薄給であったが、その代わりに雨露をしのげる家屋と、日々の食事は約束されており、生物的に生きていくことおいて支障はなかった。出所するに当たって、これくらいで、どうにか自活できるだろうという目算はあったが、会社から提示された「給料」と「手取り」の違いも知らず、コツコツと蓄えた貯金は勢いよく減って行き、早々に自炊生活を諦めて、ダース単位で冷凍弁当を買うことになった。リサーチ会社の社長は、「大手の下請け」と説明していたが、その言葉を信じている社員はおらず、「よくて孫請」「ひどけりゃ曾孫」と言っていた。
 三十人ほどの会社で、半分は同じような境遇の二十代が占めており、残りは「経験豊かな」六十過ぎの初老、両極端な構成となっていた。「ベテラン」たちは新しいことを覚えたがらず、古いシステムにこだわり、ミスをすれば言い訳をして謝らず、でなければ卑屈な笑みで必死に謝罪を繰り返した。
 若手をもっとも苛立たせたのは、それらしい口実をひねり出して、「オフラインミーティング」や「リアル飲み会」をやりたがることであった。酒が入れば、「血圧」「コレステロール」の数値を披露し、病気自慢ばかりしている連中なのに、人と人が会うことには無頓着で、若手たちは、「瓦解の影響で、頭がおかしいからね、あの世代は」と理解し、フェイス・トゥ・フェイスを諌めるどころか奨励する社長については、「残りの髪の毛も、雨で滅びろ」と呪った。
 人生の「ルーキー」側の先輩たちは、会社の「ベテラン」たちを悪し様に語り、笑い、蔑み、無意識で自分たちはあいつらと違うんだと線引を図ろうとしていたが、両グループは、同じ会社に所属していることを免罪符にして、ズケズケと距離を縮めることに、ためらいがないという共通点があった。
 新人歓迎会が開かれて間もない頃、仕事をしていると携帯に荷物到着の通知が届き、ベランダを見ると、ドローンが運んだらしいダンボールが置かれていた。スケジュールを確認すると、その日に届く予定の荷物はなかった。携帯でバーコードを読み込ませると宛先の情報は合致していたが、送り主の名前に覚えはなく、中身は「パーティーグッズ」となっていった。
会社の先輩から、「オレたちからのプレゼント、気に入ってくれた? 今日こそ、本当の新人歓迎会だから、よろしく」と、ルームのURLが貼り付けられたメッセージが届き、ダンボールを開けてみると、缶ビールとつまみ、キザなサングラスと新品なのに汚らしいカツラが入っていた。指定された時間に入室すると、参加メンバーが並んだ矩形の中の一つには、「瓦解前の典型的なスタイル」として教科書に載っていそうな男が安っぽく再現されており、既にアルコールの入っていた先輩たちは、「今回のは素直だ」「こうでなくっちゃ」「似合う似合う」と手を叩いて喜んだ。
 挨拶をさせられて、「寮出なんだよね?」「入寮は何才?」「ブタ小屋、どうだった?」と質問が集中したが、ユニークな受け答えが出来るタイプではないので、次第に興味は他に移っていった。先輩たちからは、「カツラは、いいよ。脱いで」「髪がうるさいでしょ?」「もう、すべってるから」と言われたが、サングラスを取ってしまうと素直な表情があらわになってしまうと思い、「先輩からいただいた物ですから、今日はつけてます」と、しおらしく受け流した。
 それから最低でも週一で拝見させられたのは、荷物を送ってくれたルーキーチームの中では最年長の男と、一人称で「あたい」を使う女とのやり取り。最初は和気あいあいと始まった飲み会は、二人による聞くに堪えない言い争いが占めるようになり、歯の浮く褒め殺しに変化、泣き崩れそうな傷の舐め合い経て、どちらが酔い潰れてお開きとなった。酔いの席らしい猥談で、「いくらなんでも二分はひどいだろ。カップラーメンだって三分必要なんだから」と笑った男に、女が「あらあら、そんなこと言っていいの?」とちょっかいを出しているのを聞いて、毎回痴話喧嘩に付き合わされているのだと気がつき、捨ててはいないが、どこへ収納したのか思い出せないサングラスを掛けたくなった。
 誰からの説明もなかったので、「あたい」さんが、別会社の人だと知ったのも大分後のことで、毎週欠かさず開催される飲み会の意義について、いよいよ疑問に感じたが、ペーペーとしては、毎度毎度、諸先輩方の冗談にタイミングよく笑声を合わせるしかなかった。
 「あたい」さんから、「次の飲み会には、会社の新人を連れてくるので、よろしく」と宣言を聞いても、ニコニコと笑っていたが、ディスプレイに並んだ男たちの顔つきが一斉に変化した。わずかな間を置いて、先輩の一人は身を乗り出し、冗談めかして、「えっ、美人? 美人? オッパイ大きい? 巨乳?」と尋ねた。「あたい」さんが、軽蔑の眼差しで、「さいてー」と言うと、腕組みをして背もたれに深く寄りかかっていた男が、「そうだぞ、お前、最低だよ」と非難してから、「それでそれで、かわいいの? 後、処女?」と質した。他の先輩方も、「女性の容姿にだけ興味を持つなんて、失礼じゃないか」「人間がもっとも重要視すべきは外側じゃなかくて中身、性格だろ?」「そういう表層的な美しさに囚われているようでは、そもそも女性から相手にされないぞ」と、もっともらしいことを口にして後、「それは置いといて、芸能人なら、誰に似ている? できれば顔と体は、別々で例を出してくれると助かる」「で、どんな感じの子? ギャル系? お嬢様系? どっちでもいいんだけど、エッチは好きかな?」「ぶっちゃけ、先輩命令で、水着で参加させてよ。持ってないなら、オレが準備するから」とゲスなコメントを付け加えた。
 酔いに任せて下品な冗談で盛り上がっているだけであり、冗談は冗談、それ以上でも、それ以下でもなく、本音ではないという振りをしていたが、その実、明らかに酒を隠れ蓑にして、先輩たちは色めき立った。「あたい」さんは、男たちの下心を見透かして、「バカじゃないの」「死ね」「自分の顔を見てから言いなさいよ」と痛罵し、執拗な外見への問い掛けに対して、「とっても、いい子だから安心して」と確約した。
 翌週になり画面の片隅にあらわれた女性は、旧式の眼帯と奇妙な髪型のかつらをかぶっており、先輩方は、「いいねー」「今年は豊作だ」「分かってて助かる」と、彼女の「従順さ」を重点的に褒め、「あたい」さんは、「ね、いい子でしょ?」と言った。
 彼女の自己紹介で、もう一人の新入社員と同年齢だということが分かり、クライアントからの命令に従って言われるがままに仕事をするしかない安月給&退屈と戦う人々は、たったそれだけのことを、「運命」ということにしてしまった。
 人生の先達を気取って若輩者たちを導くという暇つぶしを思い付き、若い二人を、「ちょうどいい」「いいんじゃない?」「絵になるねー」と相応であると評価し、彼女には彼を、「あんまりしゃべらないけど、いい人だよ」「真面目、とにかく仕事は真面目。無駄なくらい」「こいつは、ちゃんと分かっているタイプだから安心して」と言い、彼には彼女を、「いい子じゃん、羨ましい」「なかなか出会いってないから」「同じタイプだと話が通じて楽だって」と言った。
 陰に陽に連絡先を交換することを勧められ、交換すると、メッセージを送ってみろと勧められ、メッセージを送ると、会ってみろと勧められた。直に会ってデータの受け渡しが必要だという、ありもしない仕事を両社の社員が結託してつくりあげ、指定の場所で落ち合った。渡された紙袋を持って会社に赴くと、ルーキー勢の中では最年長の先輩も出張って在社、「どうだった?」「リアルで会ったら、また違うだろ?」「あっちは喜んでいたか?」と聞かれたが、「何も」「別に」「特には」と答えると不満そうで、その夜に開かれた飲み会では、「なんて情けない」「それでも男か」「タマは何処に行った」と糾弾された。
 本気で縁結びを志していたわけもなく、二人の関係に変化が見られなければ、もう思い付く「ちょっかい」もなかったようで、自然とネタにされることは無くなっていった。彼女との関係は、公では単なる知り合いで終わったが、メッセージのやり取りは密かに続けており、互いに飲み会の不満について語り合っていた。
 両者共に恋愛について興味がなかったとは思えないが、いささか義務的であり、ある一定の年齢を迎えたら経験しておくものだという考えが先行しており、先輩方の言葉を鵜呑したわけではないはずだが、自分の相手として、「ちょうどいい」のではないか、と感じてはいた。
飲み会の連絡があると、「まただよ」「そっちにも来た?」「どうにかならないかな」「まったくだよ」と愚痴を交換し合い、お開きになると、「ようやく終わった」「長かった」「しつこいよ」「そうそう、何度も何度も同じことしゃべって」と感想戦を行なった。二人で会ってご飯を食べ、互いの部屋を訪問して、初めてのセックスをしたが、最も盛り上がるのは、「飲み会」の悪口であった。
 仕事を覚えると論破されない断り口上の使い方を知り、また新しいスタッフが補充されたので、ターゲットから外れて、飲み会への参加は減っていった。自然と彼女とのメッセージの往来もまばらになった。そのことで、寂しいとか悲しい、後ろめたいと感じることはなかった。ただ必要がないから連絡を取らないだけで、それは彼女にしても同じだったと思う。一ヶ月以上やり取りが途絶えていても、「暇だから、会わない?」と気軽に言い合えるような仲であり、会えばセックスをした。
 一年くらいして彼女が仕事を辞めることになり、送別会には「かつての彼氏未満も、参加するように」とお達しが届いた。久しぶりの飲み会は、冒頭でこそ辞職する彼女の挨拶があったが、酒が入れば、うちの最年長と主語が「あたい」のカップルは、またしても喧嘩をしているようで甘噛、じゃれあっているようで水面下では殴り合い、足払いで相手を転がしてマウントの次には自ら這いつくばって足元にひれ伏し、恥ずかしげもなく繰り広げられる男女の泥仕合は相変わらずであった。
 プライベートのアカウントに、「次の仕事は、なに?」と送ると、「同じ。今よりは給料が良い」と返って来た。会話を続けなくてはいけないのではないだろうかという使命感はあったが、気の利いた言葉は思い浮かばなかった。
 パソコンのディスプレイ内では、「男ってさぁー」と、まるで全ての男性に当てはまるかのように、具体的な特性について責め立て、それに対抗するかのように、「女ってのは」と、まるで普遍性があるかのように特殊なエピソードを非難、聴衆たちは、けしかけるように、または諌めるように笑っていた。「何も変わってないね」と送ると、「そうだね」と返って来た。
 飲み会も終盤になり、「最後に、ほら、彼女に、なんか言うことあるだろう」と、発言が求められ、周囲からは、「なにか言うことがあるだろ」「ほら、心残りがないように」「男、見せろや」「日本男児なら花と散れ」とはやし立てられて、「次もがんばって下さい」と言うと、一斉にブーイング、「ノーカン、ノーカン」「無し無し」「今のは練習でした」と許してもらえず、苦笑いしていると彼女から、「いいから、もうテキトウに何か言って」とメッセージが届いたので、「ずっと好きでした、付き合って下さい」と告白すると、「私で良ければ、よろしくお願いします」と応じたので大歓声が沸き起こり、最年長と「あたい」さんは、「良かった良かった」と泣き出した。

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