見出し画像

今日の僕を明日の君へ(05)

[最初から読む]
[一つ前を読む]

 ベテラン勢が長年の汚れのように決して消えることはないのとは逆に、ルーキーたちは手抜き工事のようにポロポロと脱落していき、入社して二年もすると、多くの仕事を任されるようになった。そんな時期に、首藤さんから、「久しぶりだけど、オレのこと、覚えている?」というメッセージをもらった。
 四つ年上の首藤さんは、歴代の寮長が腕っぷしで寮内の秩序を維持していたのに対して、弁舌と人柄によって一年の統治を完遂した唯一の人物だった。みんなから慕われており、誰とでも仲良くなれる気さくさを持ちながらも、本心には踏み込ませない凄味が見え隠れし、「首相」というニックネームがついていた。裏でのみ使われる呼称であったが、あまりに多くの人が使うので、下級生の中には、「首藤」と書いて、「シュショウ」と読むのだと勘違いしてしまい、当人に向かって、「シュショウさん」と呼び掛けてしまい、周りを青くさせた。
 首藤さんは金持ちの篤志家が設立した基金に応募して、日本全国から年に三人しか選ばれない奨学生の一人となり、大学の学費だけでなく生活費までも保証してもらい、寮の「ウサギ小屋」から巣立って行った。その後、大学在学中に起業したというので、ほとんどが「タコ部屋」か「ブタ箱」行きとなることを知っている寮生たちは憧れることすら諦めて、「さすがだなぁ」と感嘆するしかなかった。
 同じ寮の出身であっても接点などはなく、唐突に「飯をおごるから、会わないか?」という首相様からのお誘いに、光栄なことだと感動するよりも、裏の意図を怪しんだ。テキストや音声、ビデオではなく、直接の顔合わせを求めてくるなど、ネットワークビジネスでなければ宗教しか思い浮かばず、同窓生で構成されているSNSを覗いてみると、金を無心された、儲け話を勧められた、合コンだと誘われたがセミナーだった、という実体験をもとにした貴重な警鐘の中には、首藤さんの名前はなかった。
 ネット全体を検索してみると、既にウィキペディアに項目が出来上がっており、在学中に立ち上げた会社は順調に業績を伸ばしているようだった。断る理由も見つからず、無視をするのも失礼に思われ、「僕でよければ」と返せば、「いつなら時間ある?」と詰められた。
 約束当日の夕方になり、「悪い、一時間遅れる」というメッセージをもらい、ネットで時間をつぶしてから外で待っていると、威圧感のある戦車のような車の登場を期待したが、目の前で止まったのは一般的な対面式タクシーで、ポロシャツの上にジャケットというこざっぱりとした首藤さんが後ろに座っていた。
 乗り込むなり、「女と肉なら、どっちがいい?」と聞かれた。
 武断ではなく、文治にて寮を治めていた人間であっても、多くの荒くれ者たちの頭を抑えるには、それなりに「オスらしさ」を発揮しなくてはならなかったのだと改めて痛感した。男の園でのみ通用していた「過剰さ」に久しぶりに直面し、懐かしさを覚えつつも面食らうが、こちらも寮育ちとして養った鉄面皮を取り出して平静を装い、自分の性癖とは合致しない得体の知れない風俗に連れて行かれるリスクを回避したくて、「肉で」と答えた。
 「そうか、肉か」と携帯を操作すると、タクシーが静かに走り出し、「悪い、ちょっと仕事させてくれ」と、そのまま画面上を指が滑り続けた。透過ディスプレイの端っこに表示されていた太陽のイラストを触ると、似たような建物が並ぶ車外の景色を背景にして、本日の天気が表示された。前日に確かめた際には、警告マークが表示されている時間もあったが、今朝方には消えていた。今も、のん気なハートマークが並んでおり、雨を気にする必要はなさそうだった。
 携帯をいじりながら首藤さんが、「太ったろ?」と言った。天気情報を消して窓ガラスにうっすらと映る自分の顔を見詰めるが、見慣れているからこそ変化を見つけ出すことは出来ず、「そうですか? 前に調べた時は体重に増減なかったはずですが、結構前なんで。もしかしたら、太ったかもしれません」と答えた。首藤さんは、「すまん」と謝った。
「お前のことじゃなくて、オレのこと」
 透明な間仕切りを通して後部座席の首藤さんを見直した。かつて中学二年生の少年が仰ぎ見ていた寮を取り仕切る高校三年生と比べて、老化というよりは成熟が見られたが、体型には格段の違いを見出せなかった。
「特に変わった風には見えませんが」
「いや、太った。寮時代より二キロ弱太った」
「二キロくらいじゃ、分からないですよ」
「そうかもしれないけどな、ちょっとなー。今は、どんな運動している?」
「寮です。いろいろ試してはみましたが、最終的には、寮のヤツに戻ってきました」
「アレか、アレは時間がかかるからな」
 「道具も場所も要らないから、助かりますよ」と言ったが、首藤さんからは返事はなく、また仕事に集中した。
 タクシーは商業地区を素通りし、ありきたりな居住地区の一郭で停車した。首藤さんが顔に覆いをつけることなく車を下りたので、それに倣ってポケットのガードは取り出さなかった。携帯で場所を確認しながら歩いていると、センサーが先に気がついてドアが開いた。外見こそ特徴のないミドルクラスの集合住宅であったが、エントランスに入ると、居心地の悪さを覚えた。非合理的な照明、壁に設置された意味不明な小箱の羅列、遠くからでも分かるお粗末な造花の飾り。過去の再現を志して、つい最近につくられた代物であり、瓦解前に建てられた建物を住処としていた人間からすると、腹は立たないまでも苦笑いしたくなった。
 エントランスの中には、さらに透明の自動ドアがあり、首藤さんが押しボタン式テンキーで解錠させた。エレベーターに乗ると、ポケットから金属片を取り出して、「なにか分かるか?」と聞いてきた。
「カギ、ですか?」
「おぉ! よく知ってるな」
 エレベーターを降りると、ずらりと並んだドアの一つに、「首藤」という名前の書かれたプレートが貼り付けられており、ノブの細長い穴に「カギ」を突っ込んで開けてみせた。エントランスと同じく室内も人造の郷愁で統一されており、憧れてはいなかったにしろ、敬意を抱いていた人物の意外な安っぽさを見せられて落胆した。
 「首藤さん、ここで暮らしているんですか?」と聞いたところ、「まさか」と否定して、「こういう食べ物屋というか、アトラクションなんだ」と言った。再現された瓦解前の一般家庭にて、焼き肉が食べられるというのが特長で、ダイニングのテーブルには、古風なデザインのホットプレートが既に用意されていた。わざと防音材を抜き出したという壁のおかげで、隣室から、話し声が、うっすらと漏れ出していたが、首藤さんは、本当に客がいるかどうか怪しいと言った。耳を澄ませて会話の内容を聞き取ると、「あっちにも人が来たね」「どんな人だろう?」「こんな所に来るんだから、変わってる人だよ」「いや、それじゃオレたちは、なんなの?」と大笑いした。状況に合致した自然な流れに思えたが、それだけに機械による細工であると疑うことも出来た。「ここだけ、薄くなっているだろ?」と指差した壁の一部は、塗料が剥げて白っぽくなっており、「隣が、あんまりうるさい時は、ここを殴れってことさ」と教えてくれた。
「ドラマでしたっけ? 映画でしたっけ? そんなシーンがありましたね」
「そうそう、ここに来るような連中は、それがやりたいのさ。殴るか?」
 薄っぺらい壁がエンターテイメントになるのだから、ブタ箱は楽園だったなと思いながら、「いえ、十分です」と答えると、首藤さんは残念がるわけでも、また満足するわけでもなく、納得したように小さく二、三回うなずいた。
「料理してるか?」
「頑張って、月に二日くらいは」
「なら、冷蔵庫の野菜をテキトウに切ってもらえるか? オレは、肉を準備するんで」
 「これが冷蔵庫ですよね?」と、白い巨大な直方体の扉を開けると、中にはびっしりと食材が詰まっていた。「どれ使っても、いいんですか?」と聞くと、「なに食べても料金込だから、遠慮するなよ」と返ってきた。見たこともない野菜を携帯で画像検索にかけると、旧時代にはポピュラーだったという説明と、市場での価格が同時に表示され、希少な未知に挑むべきか、安心安全なありふれた既知でかためるべきか、決められなかった。食器を並べていた首藤さんに、初めて発音する食材たちについて質問すると、「なにそれ、いいじゃん、食べてみようぜ」と言ったので、また携帯で調べ、動画の通りに皮を剥き、切断した。
 ホットプレートの油が爆ぜ、「悪いけど先に」と缶ビールを飲みながら、首藤さんが肉を焼き始めた。天井に目を向けると、送風口の脇についている小さなライトがぼんやりと明滅を繰り返していた。
「パーテーション、下ろします?」
「お前が気になるなら」
「汚れているとしたら、月二回の自炊が、ようやっとの方です」
 首藤さんは「ふんっ」と鼻で笑い、「寮出身なのに、今さら、そんなこと気にしねーよ」とビールを口にした。
 独特のえぐ味を含んだ野菜もあったがタレをつけてしまえば、食べられないことはなかった。肉は動物を屠ったものであろうが、自分の味覚が鈍感なのか、珍しく政府広報のCMが正しいのか、培養肉との違いは感じられなかった。会社のベテランたちとの飲み会では、かつての豊かな食生活を自慢気に振り返り、目の前の料理やら飲み物をけなすので、渋々参加しているルーキーたちの気持ちを、いっそう落ち込ませた。しかし、缶の下部に、「非遺伝子組み換え大麦100%使用」と印刷されたビールは、味に奥行きがあり、こればかりはジジイどもの言い分を認めなくてはいけなかった。
 首藤さんは次々と缶ビールを飲み干した。空になったことを知って、「同じモノでいいですか?」と立ち上がろうとする後輩を、「いいからいいから」と制して、自ら冷蔵庫に向かった。「おいしいですね、これ」と缶を掲げると、「最初の二、三杯は、うめーなって思うよ。ただ、それ以降は、どれでも同じだ」と笑った。
 「トイレ」と離席して、なかなか戻って来ないので、個室内で寝落ちしたのではと心配したが、ドアに近づくと中から話し声が聞こえてきたので、まだ仕事をしているのだと知った。携帯で、ここについて調べようとしたが情報はなく、地図アプリを開いても、単なる団地としか表示されなかった。たまにネットで見かける「お金を払うことで検索エンジンに引っかからないようにする方法がある」というのは都市伝説だと思っていが、考えを改めた。
 ダイニングにて一人で肉を焼いていると、壁を通して二十歳くらいの若者たちの話し声が、はっきりと聞き取れた。他愛もない噂話に大声を上げて笑い合っており、どうにか打ち消せないかと、テーブルの上にあった細長い板に並ぶボタンを押してテレビをつけると、リマスターされていない古い映像が表示された。音量を大きくすると、唐突に「ドンっ」と壁が震えたので、思わずやり過ぎたかと動揺したが、隣室から、その後は何の反応もなく、本物の客にしろ、スタッフによるおもてなしにしろ、息を殺して自分のリアクションを待っているのだと気がついて、付き合ってやれるかよ、と静かに立ち上がった。
 リビングにはL字型でソファーが並んでおり、ガラステーブルには雑誌が置かれていた。挟まっていた白い紙を引き抜くと、「今日の記念に、ご自由にお持ち帰り下さい」と、わざわざ手書きで書かれていた。表紙は、歴史に疎い寮出身者でも知っているような雑誌のパロディであったが、中身は、この部屋の説明で、時代設定、家族構成、当時の事件や流行、世相が書かれていた。雑誌風の解説書を片手に、他の部屋も見て回った。子供部屋には厳ついゲーム機が備わっており、電源を入れることが出来た。クローゼットには古めかしい服が掛けられ、引き出しを開けると使い方も想像できない筆記用具が詰められており、足元には玩具のようなお掃除ロボットが待機していた。しかし、ゲーム機はエミュレーターで動作、服にしても、それっぽいレトロ調の新品、筆記用具は接着剤で固定されており、掃除ロボットはガワだけで中身は空だった。
 ドアを開けた瞬間から夫婦の寝室には違和感を覚え、解説書と見比べると、オリジナルではベッドが二つ並んでいたが、目の前には大きなダブルベットが狭い部屋に押し込められたように置かれていた。ここだけディティールを放棄しているのは不思議であった。スプリングの豊かなベッドに腰掛けて、ランプの置かれたサイドテーブルの引き出しを開けると、「SAFE SEX」と小さく書かれた紙箱を見つけて納得。裏返すと、暗がりでは読めない小さな文字でメーカーの言い訳がびっしりと印刷されており、そんな中でも「こちらの商品は100%の防染を保証するものではございません」という文言だけは黒ではなく赤文字になっていた。
 おもむろに、ポケットから「カギ」を取り出し、「なにか分かるか?」と聞かれたことを思い出した。若い子を引っ掛ける必勝パターンに、自分をはめ込もうとしているのかもしれないと警戒すべき? と悩んだ。
 男女混合が当たり前の欧米と比較して、後進的だと批判の根強い日本の寮生活において同性愛は公然と見下されてはいたものの、事ある毎にゲイについて辛辣な評価を口にしていた寮生が、ある日を境にして唐突に転向しても、そのことについて誰も冷やかすことはなく、それでいて歓迎するわけでもなく、コミュニティ内においては意図的な無視という処理が下された。
 今でも建物こそ分かれてはいるものの、男女の交流は大分許容されているらしい。しかし、当時のウサギ小屋暮らしのウサギたちにとってリアルでの異性との出会いなどゼロに等しく、同性同士でくっついてしまうことに対して寛容な理解はなくても、諦念からの同情はあった。
 寮内に首藤さんのパートナーがいたかどうかは思い出せなかった。もしかしたら、決まった相手はおらず、十代の有り余るエネルギーを、同好の士で発散していたのかも知れない。
 人付き合いの薄かった四才下の後輩も、全く機会がなかったわけではない。さほど親しくない同級生から部屋へ来ないかと誘われて、二人だけで雑談をしていた。自由なスペースが限られているので、肩と肩が触れ合う距離で話しをすることも珍しくなかったが、それにしても、彼は、しきりに太ももや二の腕を、笑ったり、相づちの拍子に触ってきた。性に関する知識は既に十分過ぎるほどに有していたが、自分が他者に欲情するように、自分もまた他者から希求される可能性については、まったく頭にはなく、風変わりなスキンシップとしか感じなかった。消灯前に「それじゃ」と退室し、彼とはそれっきり、その後、寮内に恋人がいるという噂を聞いても「そう」と受け流し、自分が求められていたのだと気がついたのは、就職してからだった。
あの時の彼が、もっと積極的であったら、どのように応じていたのだろうか? 同性からの求愛にショックを受けて強烈に拒否しただろうか? 人から求められていることに戸惑いつつも受け入れてしまっただろうか? 今となっては想像も出来ないが、少なくとも惜しいことをしたと悔いていないことだけは確かである。
 AIがニュースサイトを巡回して制作する「著名な卒寮生」の一覧には、微罪から重罪、知能犯から粗暴犯、経済犯罪から性犯罪まで、種々雑多な犯罪者が多数を占めており、首藤さんのような人は数少ない。彼自身の最終目標がどこにあるか分からないので、社会における自らの位置について、まだ満足していないかもしれないが、しかし、凡百の寮出身者からすると、もう十分に「成功」に見えた。
 検索しても出てくることのない部屋を予約することが出来るだけの資産とツテがあるのだから、こんな男を選ぶ必要はないだろうが、優れている点があるとすれば、最初に思いつくのは横にも縦にも希薄な繋がり。一夜の情事を周辺に吹聴することのない、後腐れのない男子を探していたのなら、「こういう選択肢」が見出されることもあるのかもしれないと考えた。
 首藤さんから、もし誘われたら、どのように思うのか、よく分からなかった。ただ、もったいぶって、自分を高く売りつけてやろうなどと企むような野心はなかったが、こんな、はったりを効かせた安易な場所に連れ込めば、その気になるだろうと見られているとしたら、それはそれで不本意であった。


[次を読む]

[最初から読む]
[一つ前を読む]

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?