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「シン・ウルトラマン」は、特撮への思い入れがないと素直に楽しめないかも

特撮には思い入れがないタイプの人間です。
でも、「シン・ゴジラ」は楽しめました。
ハリウッドでは、マーベルを中心に大人でも楽しめるSF娯楽作が量産される中、日本でもついに、独自色あふれるエンターテイメントが生まれた、と、当時は感慨ひとしおでした。

なので、「シン・ウルトラマン」も楽しみにしておりました。
ただ、「シン・ゴジラ」は、庵野秀明監督がメインだったの対して、「シン・ウルトラマン」は樋口真嗣監督。
樋口真嗣監督と「シン」と言えば、「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」を思い出してしまうわけで、「今回は、どうなんだ?」と身構えておりましたが、実際に見てみたら杞憂でした。

が、「シン・ゴジラ」は素直に楽しめたんですが、「シン・ウルトラマン」は、「うんっ?」と思うところも多少あったのも正直なところ。

リアル?(以下ネタバレあり)

冒頭で「シン・ゴジラ」のタイトルが出る通り、厳密に続編ではなくても(世界観を厳密に共有してはいなくても)、やっぱり、同じ系統に属する作品であるのは製作者側も認めるどころではなく、声高に主張しているようなもので、「シン・ウルトラマン」も、幼少期に親しんだ特撮映像作品に、現代的な「リアル」を加味したストーリーが特徴になっています(計算式で弱点をつくというラストへの流れも似ていたなー)。

なんだけれども、日本に次々と襲来して災いをもたらす禍威獣(つまりは怪獣)への対策として生み出されたはずの組織「禍特対」の構成員が5人しかいないのが、個人的には、どうにも引っ掛かりました。

「急ごしらえで出来た組織だから」と考えても、禍威獣による被害に対して、その人員は釣り合っていないというモヤモヤは解消されず。
部屋のオブジェで結構なので20~30人いてくれて、そのうちのトップ5人というなら分かるんだが。
想像するに、下敷きになっているウルトラマンシリーズにおける科特隊的な組織は、毎度少数精鋭だから、今回も5人という人員になったのだろうか?

ガンダムおける子供に頼り過ぎ問題のようなもので、お約束であり、様式美?

この構成員が5人の組織という、ちょっとした違和感が重箱の隅で終わらなかったのは、主人公の神永が子供を救出に向かうというシーンによって、より、この問題が顕在化してしまったからで、「禍威獣に打つ手なし」で、それでも次の一手を模索している禍特対なのに、逃げ遅れた子供を救うため、一人外に飛び出すというのが、どうも腑に落ちない。

禍特対メンバー(5名)しかいない状況下で、やむを得ずというのなら分かるが、自衛隊と共同作戦を実行中、彼らの方が明らかに人員に余裕があるのだから、救助を依頼するべきであって、4人しかいないのに(長澤まさみさん演じる浅見は、まだ不参加)、そこで1人抜けるというのは、あまりにも無謀。

しかも、この子供の救助が、二時間の映画における、ちょっとした小話で終わるのなら兎も角、ラストにまでつながる非常に重要なエピソードとなっており、尚の事、もっと丁寧な描かれ方だったら・・・・。

好意的に解釈をするなら、「人命を前にしたら、とにかく後先のことなど考えずガムシャラに」という姿勢が、キャッチコピーでも表現されていた「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン。」に、つながっていくとも言えるのですが・・・・。

禍特対にしても

結局、特撮にまったく詳しくない者なので、この不自然さは、ウルトラマンシリーズのオマージュ・リスペクトから来ているのかな? と思ったりもするのですが、映画を見ている最中は調べることも出来ないので、モヤモヤするだけ。

明らかに挙動がおかしくなった神永に対して浅見以外は気にしている様子はないし、5人しかいない組織なのに、無断欠勤されても、班長の田村は、奥さんが浮気しているのを知っているのに、まったく何も言えない旦那の如く無反応。

これら、ゆる~い感じは、「敢えて」なのか、「無意識」なのかは判然とせず、なので戸惑うことが多く、「普通の映画」からすると、「どうだろう?」になってしまうのでしょうが、「特撮映画」からすると、「だよねー」になるのかな?

個人的には、そこらへんのチューニングがしっかりしていると、もうちょっと気軽に楽しめたのかなーと思ったりしました。

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