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仏滅の結婚式

 スミエさんは姉の同級生で、一時、彼女たちは頻繁に互いの家を行き来していた。僕は小学五年、彼女たちは受験を意識する前の中学二年だった。
 いたって普通の頭脳で、運動に秀でている訳でもない我が一族、友人関係も相応の人間に落ち着くことが多い中で、スミエさんは、勉強の出来る子だった。スミエさんが母のお気に入りだったのは、我が娘への良き影響を期待してもいたのだろう。遊びに来ているスミエさんを見かけると、母は、「ご飯食べていきなさいよ」と誘った。スミエさんは、「すいません」と深々とお辞儀をした。「家に連絡するので、電話をお借りして、よろしいでしょうか?」というお伺いには、姉が「いいわよ、好きにして」と勝手に承諾を与えたが、困ったように微笑み、再度、母に許可を求めた。
 おしゃべりが得意というわけではなかったが、スミエさんがいると、代わり映えのしない食卓であっても、特別な楽しい気分にさせてくれた。だから、食事が終わりそうになると、彼女が帰宅してしまうことが惜しくなり、母から「泊まっていったら?」と提案がなければ、姉が「スミ、泊まっていくよね?」と強引に引き留めた。
 スミエさんのお泊りは、僕も大歓迎であった。スミエさんがいると、夜更かしても誰も注意しなかった。一緒になって居間でテレビを見たり、いつもなら絶対に入れてくれないし、入りたくもない姉の部屋でゲームをした。一人っ子のスミエさんは、「いいなぁー、私も、こんな弟が欲しかった」と口にし、姉は、「えっ、どこが? 普段はうるさいんだから」と悪口を言い、僕は、「うっせー、ブス」という悪態を我慢した。
 同級生の女子にはない、年上の知的な雰囲気に魅入られていた他に、もう一つ、ボチボチ性毛も生えてくる少年に見過ごせなかったのは、スミエさんの体付き。手を伸ばした際の半袖の袖口や、無警戒な足の組み換えで下着がのぞけると、心臓が高鳴った。姉のユルユルのシャツを着て、前屈みで立ち上がった時には、襟首から深い谷間が目に飛び込んできて、あまりの興奮に頭が痛くなった。
 大好きな異性を、いやらしい目で汚している罪悪感を覚えつつも、鮮烈な記憶は忘れ難く、自室のベッドで横になっても、なかなか寝付けなかった。姉のベッドは壁を隔てて直ぐ傍にあり、彼女たちは、いつも夜遅くまで話をしていた。内容は聞き取れなかったが、二人だけの時間を満喫しているのは幼い僕にも分かった。
 しばらくして、声の調子が変わることがあった。会話ではない。体の奥底から、生理現象として発せられる声。笑い声や泣き声、うめき声などには分類できない、未知の声を二人は発していた。
 何度なく聞いたせいなのか、当時の僕は、すっかり慣れてしまい、奇異に感じることはなかった。その声が意味するものに気が付いたのは、大学に入ってから。キスもしないで終わった高校時代の短命な交際を経て、大学生になり、ようやく彼女と言える存在が出来た。童貞と処女のカップルで、彼女から、「そこ、違うから」と間違いを指摘され、「今日は生理だから、ダメって本気で言ってるの、分かる?」と叱られ、「ごめん、そこまでしつこく触られると、ヒリヒリしてくる」とたしなめられるといった、ぎこちないセックスを繰り返しているうちに、互いにコツをつかんだ。乳首を前歯と舌で転がしながら、女性器へ中指を出し入れし、彼女の気分が十分に醸成された手応えに安心した瞬間、幼少期において耳にした隣室からの声が、久しぶりに脳内に響いた。
 悪友たちからの情報やら、自らの開拓精神によって、夜な夜なネット検索に明け暮れ、合法・非合法、洋の東西を問わず、多くの映像作品を鑑賞してきた。中には、女性同士のシチュエーションもあったが、それによって姉とスミエさんのことを思い起こすことはなかった。
 あの頃の二人は、平日休日の別なく、四六時中一緒にいて、誰が見ても、「親友」と呼べるような間柄であった。しかし、三年に上がると、急に互いの行き来を止めた。「スミちゃん、どうしたの?」と母が聞くと、姉は、「もう、そろそろ受験だから、遊んでいられないって」と答えていた。もっともらしい理由ではあったが、同じ中学校に通っていながら、姉は、「親友」について触れることすら無くなった。父が、「そう言えば、あの娘は、どうしてる?」と質したことがあったが、姉は、「うん、勉強頑張っているよ」と当り障りのない返答をした。
「喧嘩でもしたのか?」
 姉は、「別に」と素っ気なく答えたが、それ以上、ほじくられるのを嫌がっているのは明白であった。まだ小学生だった児童にも、あれだけ親しくしていたのに、突然の関係の終焉は、奇異に映った。
 特にやりたいことがないまま始めた就職活動について、いったい何をしているんだろう? と思いながらも、フリーターになる覚悟もなく、毎日毎日エントリーシートを投げて、試験を受け、面接で心にもないことをハキハキと答えていたある日、「お姉ちゃん、結婚するから」と母から電話で伝えられた。
「お腹の赤ちゃんが、おっきくなる前に式を挙げたいそうだから、来月か再来月には、結婚式よ」
 親戚への連絡で、既に妊娠していることを説明しなくてはいけないのが恥ずかしくて仕方ない、といった愚痴を聞かされて電話は切れた。
 二ヶ月後の仏滅に結婚式が開かれた。相手の男性は姉より三才年上、職場の同僚で、美容師らしく、細身でおしゃれな男だった。初対面でいきなり僕のことを「ちゃん」づけで呼んだので面食らった。
 席次表を手に入れると、各テーブルに並んだ名前を、一つ一つ指でなぞった。親戚以外で、僕の知っている名前はなかった。しかし、式の途中、新郎新婦の人生をスライドショーで振り返る際、中央の大きなスクリーンに、中学指定のジャージを着た姉とスミエさんが、頬をくっつけて笑っている写真が大写しになった。記憶の中の彼女たちよりも、ずっと幼い顔立ちをしていることに驚いた。
 父が、「なつかしいな」とつぶやいた。
 新婦の友人テーブルから、「かわいいー」という歓声が上がった。本日の主役である姉は、満面の笑みで手を振って応えていたので、本当に結婚するんだと納得した。


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