午後ティーは何時に飲んだっていい

仕事でメンタルを病んでから1年経った。

この1年の間、なんで病んだんだ?と自分に問いかけ続け、メンタルヘルス系のブログやnoteの記事をたくさん読んで、少しずつ自分の生きづらさの根幹に気がついてきた。

私は自己肯定感がバチボコに低い、ということには前々から気づいていたが
自分は常に自分を責め続けている、ということに気づいたのは、わりと最近だった。

自己肯定感が低いことについて、いろんな記事で「幼少期の経験、親の育てかた」に原因があると書かれていたが、私はピンとこなかった。
私の親は、小さい頃こそ勉強に関して厳しかったが、基本的にはまあ甘めだったような気がするし、理不尽に怒られた覚えもほとんどない。
夫婦喧嘩も見たことがないし、進路だって好きなようにさせてくれた。
完璧に真っ当な親だと思う。
完璧に真っ当だった。正しい親であろうとし続けていた。
それがどうやら良くない方向に働いた。
「家庭環境に原因がある」なんて信じるならば。

子は親の背中を見て育つ。本当かどうか知らんが。
友達が少なくて放課後も家で親と過ごす時間が多かった私は、たぶん無意識に親の考え方にひっぱられていた。
正しい人間でなくちゃいけない。真っ当でいなくちゃいけない。
世の中にはただひとつ正解の人間像があり、それに限りなく近づかなければならない。
大袈裟だが、無意識のところでそんな感覚を持って生きてきたように思う。
当然そんな風にはなれないので、本当に無意識のうちに、いつも自分をだめなやつだと思い、なんてだめなんだと、自分の行動ひとつひとつを責めていた。
こんなんだったので、どんな仕事・会社を選んでいようと、遅かれ早かれなんらかの形で病んだだろう。

今はなんとか復職して一応毎日元気に出勤しているけれど、1年経った今でも、休職していた頃の会社に行けない辛さ、情けなさ、社会からの疎外感、無力感、精神疾患になってしまったという事実そのものへの落胆を思い出さない日はない。
でもそういうことになったからこそ、自分の価値観にとことん向き合い、自己否定に囚われていたことに自覚的になれた。

生き方なんて実は本当に自由なんだ。
なに食べたっていい、なに飲んだっていい、何時に起きても寝てもいい、どんな仕事したっていい、どんな性格でも正解も不正解もない、休日を起きて過ごそうが寝て過ごそうがいいも悪いもない。
俺達は生まれた時から特別で、自由だからだ(うろ覚え)。

これからの私も、私の仲のいい人たちも、たまたまこれを読んでくれた方も、自分が好きな価値観で、自由に生きられますように。

noteで、メンタルを病んで一旦は回復した、その後を書いてる記事って少ないのかも、と思って長々書いてみた。疲れた。
今日もお酒を飲んでちょっと夜更かしして、るんるんで寝ようとおもう。ごきげんよう。

🍷🍷🍷🍷🍷


(家庭環境の話は、なんでも親が悪いとかそんなんじゃなくて、自分の価値観の根幹にどういう傾向があるのか認識すると〇かも、っていう話です。)

おわり🍷

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