自信を持って笑えるように
私は最近、身をもって実感したことがある。それは、「歯」は生活の質を左右する、ということだ。
私は歯並びが悪かった。いわゆる出っ歯だ。
毎年4月に学校で行われる健康診断では、必ず「要注意」か「医師に相談」に印が付けられていた。毎回、「異常なし」に印がついてないか確認していた。「要注意」や「医師に相談」に印が付くと現実を突きつけられている気がして辛かった。
口の中を噛んでしまい、定期的に口内炎が出来ていた。食べることは大好きだが、口内炎が出来ると染みるものや固いものが食べにくくなるため、生き甲斐の1つを奪われた気分になっていた。
中でも嫌だったのが写真撮影だった。クラス全体での集合写真や卒業アルバムの個人写真。
私はもともと写真に映り慣れていないのもあってか、どんな顔をして映っていいのか分からなかった。
だから、取り敢えず口角を上げて歯を出していたのだが、口の端に歯が引っかかってしまって笑いにくい。どこか不恰好な笑顔になっていた。
ならば口を閉じて口角だけ上げる方が良いかもしれないと思ってやってみても、今度は無駄に厚みのある唇が目立った。また、そもそも閉じた状態で口角を上げることが難しかった。その結果、目は笑っているが口元は全然笑っていない、よく分からない含みのある顔で写真に映っていた。
私の「歯」の劣等感を増幅させたのはあるクラスメートの発言だった。「あなたってたらこ唇だよね」
そんな訳で、とにかく「歯」に悩まされてきたが、ある日転機が訪れた。家族が「矯正して良いよ」と言ってくれたのだ。私は家族に感謝して、近くの矯正歯科医院に行った。
その矯正歯科医院の先生は、歯のレントゲン写真を撮影した後、私の歯の治療のためには何をしていく必要があるのかを丁寧に説明してくれた。ときおり難解な語句が登場したが、なんとか理解することはできた。最低でも4・5年かかるということ、歯を引っ張るので痛みが伴うということ…先生は最後に「やるかどうかよく考えてみてください。覚悟が必要です」と言った。その通りだと思う。
私はよく考えた。16歳の私にとって5年とは長い年月だ。三日坊主で面倒くさがりやの私が、5年間も矯正のためのワイヤーやヘッドギアに耐えられるだろうか。という不安もあった。
でもその一方で、5年経てば血の味がしないハンバーガが食べられて、写真にも自信を持って映れて人生がより楽しくなる、という期待があった。期待とはどんどん大きくなるものだ。インターネットで矯正の体験談を調べているうちに、矯正をして歯が引っ込むことでたらこ唇から卒業できるという事実を見つけた。
その時、矯正をすると決めた。怖さや不安よりも、未来への希望や理想が膨らんでいった。
矯正をするという私の人生において大きな決断をして、9ヶ月が経とうとしている。今日、下の歯の抜歯をしてきた。2本抜いた。抜く瞬間よりも麻酔の方が痛かった。まだ血の味が少しする。
上の歯にはワイヤーがかかっている。先に上の歯を整え始め、それから下の歯をそれに追い付かせるという作戦らしい。ワイヤーがあるのが上の歯だけの段階でも、よく食べ物がワイヤーの間に挟まる。ハンバーガーが食べやすくなる、という期待はまだ叶っていない。それでも「矯正をしてよかったな」と思う。
矯正をし始めて自分自身を見つめる時間が増えた。例えば、歯磨きが前よりも丁寧になった。ブラシの中心が高くなっていて奥まで届きやすい歯ブラシや、細かい隙間まで磨くことができる歯ブラシを使って入念に磨くようになった。オーラルケアの時間は自分磨きの時間でもある。歯磨きをするたびに、口元を鏡で見る。たらこ唇が解消されつつある、ということも嬉しい。だが、それ以上に自信を持って笑うことができるようになったことが嬉しい。
口の端に歯が引っ掛からなくなった。閉じたまま微笑むこともできるようになった。表情が不恰好にならず、感情をそのまま表情として表すことができるようになった。怒っていると勘違いされることもない。もう、みんなが笑顔なのに自分だけぎこちない表情の写真はなくなる。集合写真を楽しい思い出としてアルバムにしまっておける。これからは本当の意味で笑顔でいれる。楽しい気持ちをみんなと表情で共有できる。自分に自信が持てる。
矯正は痛いこともある。しかし、矯正にはそれを上回る魅力がある。この経験でついた習慣や自信はかけがえのないものだ。私はこれからも矯正を頑張り、今後も自信を持って笑うことができるような自分でありたい。