イシダヒロキ
ポストモダン建築は、モダニズム建築への批判から提唱された建築のスタイルであり、合理的で機能主義的であった近代モダニズム建築に対し、その反動として現れた装飾性、象徴性、折衷性、過剰性などの復権を目指した建築として広く知られている。日本では社会的要求や経済的増進を背景として1980年代にそうした建築が絢爛豪華に各地で建設されたが、本マガジンでは筆者が研究対象としている象設計集団に主眼を置きつつ、11人の建築家を紹介してゆく。
本稿の背景 埼玉県宮代町には進修館という建築があり、1980年の開館以来かなりの頻度で利用されてきている。筆者も何度か訪れているが、いつ行っても地域の人の日常的な振る舞いが見受けられる建築である。(コスプレ撮影や、子供たちの遊び、ダンスショーなど様々な場所に様々な振る舞いが併存している) 進修館の建設の成功は、宮代町の初代町長である斎藤甲馬の先見性によるところが多いと町の人は口を揃えて言う。故人の斎藤甲馬に会うことは今となっては当然叶わず、また町の人にもひとまとまりに
服部緑地 花と緑の相談所 1983年 設計:瀧光夫(1936-2016) 建築形態 建築の形態は、フラワーホールと呼ばれる吹き抜けの温室に建築側部の曲面部が組み合わされた格好をとる。斜面下側から見ると、水盤に面した二層吹き抜けガラス張りのファサードが目を引くが、主要な構造をRCと耐候性鋼の柱梁にまかせて、高さ6.4mの吊りガラスが壁面をめぐる。構造と意匠、リトルスペースどうしの合間、植物スペースと人のスペース及び同居など、細やかに生み出されたズレや浸透が複雑化とは言わな
『「私」のいる文章』森本哲郎_1979_ダイヤモンド社筆者:森本哲郎 1925年生まれ。東大大学院社会学科研究科修了。東京新聞社に入社後、朝日新聞社に招かれ、特派員として世界各地を回った。 内容: 動物学者の日高敏隆によれば、探索行動を禁止されたチンパンジーは、退屈のあまり精神的な障害をきたし、病気になったり異常な行動をはじめたりして死んでしまうことがあるようである。 動物の持つ好奇心の正体は、生きるために食物を探し出すことを目的とした探索本能だと言われるが、人間の
虫活礼賛がやりたくて… 虫活は楽しい。それは間違いないのだが、その喜びはやらなければわからない、なかなか概念化できない。それを賛美する言葉はないものか。そう思って本を探してみた中で、最初に本書を手に取った。 3人での座談を中心にページが進められるが、多くは虫について好き勝手に話しているだけでタイトルにあるような虫活の教育的価値にはあまり触れられていない。 少しがっかりしていたところではあったが、本の後半部分に虫活賛美をする上で参照したい箇所があったのでそこに触れたい
ポストモダン建築の評価 建築の意義(=価値)とはなんだろうか。これについて考えるとき、単に建築家の芸術的な発想はどこからきているのかなどの建築的価値観という狭い枠組みで捉えるのでもなく、生活雑誌で取り上げられるような完全に一般化された価値観として捉えるのでもない、そんな捉え方がしたい。それに近い立ち位置として歴史学の立場があると思う。 芸術としての建築と適度に距離を取り、現実的なありふれた生活の価値観とも適度に距離を取る。多くの人の生活を受け止め、空間が場として形成さ
はじめにー執筆の動機 散歩をしていて「人と建築の応答史」という言葉がふと頭に浮かんだ。その内容をまとめる時、できるだけ物語然とした形式になっていることが望ましいだろう。建築意匠・建築の意義・人の暮らしのあり方・都市のあり方についての如何を明らかにした上で、それらを統合的に扱うことのできる語り口が物語であり、そのようなまとめ方ができたとき、情報は広くよく伝搬されやすくなると考えられる。 そこで先行の文献を探す糸口として、「建築 物語」をキーワードに検索をかけると、引っかかっ
0.著者について 『再考 ファスト風土化する日本 変貌する地方と郊外の未来』が出版されたのでその書評にチャレンジしたいと思った。著者の三浦展は、1958年新潟県生まれで、マーケティングリサーチや社会デザイン研究を専門としており、『人間の居る場所』何度かnoteでも触れてきた著者である。主に、消費社会、家族、若者、階層、都市、郊外などを対象に次の時代の社会デザインを思案している。 1.書評を書くにあたって考えておきたいこと そもそも書評とは何か。文字どおり書物の批評で
かつて書いた未公開の文章を題材に、文章を作るときにどんなことを考えていたか、今振り返ると過去の自分にどんなメッセージを伝えるか、そんなことについて記述を試みる。 修了式へ向かう前に 3月24日、仙台での修了式に出席することになっていたが、そのためには飛行機で登校する必要があり、式のためだけに来仙するのに勿体無さを感じたため、研究室の仲間を誘って秋田、青森、岩手、宮城と回る修了式前旅行を計画した。 どこを回るか考える中で、3年前に研究室PJで担当させてもらった『現代建築
0.象設計集団、進修館 建築家:象設計集団(1938年) 作品:今帰仁公民館(1975年),名護市庁舎(1981年),進修館(1980年) 活動の特徴とデザインの特徴 象設計集団は7つの理念、12の方法を掲げ、徹底的なフィールドワークから建築を発想する。10cmの家具スケールから10⁸mの惑星のスケールまで多数のスケールに想像力を膨らませ、相互にフィーバックさせた上でそこからジャンプさせたような造形を生み出すが、これは集団設計の際に「心にグッとくる何か」を探し求めると
ポストモダン建築の時代 ポスト・モダン建築は、モダニズム建築への批判から提唱された建築のスタイルであり、合理的で機能主義的であった近代モダニズム建築に対し、その反動として現れた装飾性、象徴性、折衷性、過剰性などの復権を目指した建築として広く知られており、日本では、1980年代を中心に流行した。その後、1989年のフランス国会図書館コンペでのドミニク・ペロー案が脚光を浴びたことを機に、建築の潮流はミニマリズムへと移行したとされている。 ポスト・モダンという呼び方について、
埼玉県宮代町には進修館という建築があり、開館以来とんでもない頻度で利用されてきた。 その建築の建設成就には、宮代町の初代町長である斎藤甲馬の先見性によるところが多いと町の人は口を揃えて言う。 斎藤甲馬に会うことは当然もうできず、また町の人にもひとまとまりに何がそんなに凄い人だったのかを説明できる人には今のところお会いできていない。 そこで、進修館が建てられた当時の時代背景と建築の潮流を見比べながら、斎藤甲馬の考えの先見性の一端についての記述を試みる。 ■ポスト
しばらくnoteの間が空いてしまいました。 少し短い文にはなりそうですが、リハビリがてらに久しぶりに書きます。 ちょうど今から約1年ほど前、2021年2月の終わりごろ、仙台の街中を散歩していた時に、ふと見かけたギャラリーに立ち寄ったことがありました。その時に出会った作品の話をします。 仙台地下鉄青葉通り一番町から数分歩いたところに、晩翠画廊というギャラリーがあって、HOME-ココロの還る場所-という展示が催されていました。テーマの説明は以下のようになっていました。 20
「かんのさゆり・菊池聡太朗展 風景の練習」展 宮城県にある塩竈市杉村惇美術館で行われていた「かんのさゆり・菊池聡太朗展 風景の練習」を訪れた。本展覧会は、これからの活躍が期待される作家に光を当てることを目的とする若手アーティスト支援プログラムVoyageの6回目にあたる。 また菊池聡太朗さんは筆者の研究室の卒業生である。作品やまちづくりについて、ビルド・フルーガスの高田さんや、ギャラリーのスタッフさんと対話した縁から、考えたこと展示中心に、少しでも言語化したいと思う。 塩
はじめにこれからの建築・都市の課題は何か。今日を生きる人々の消費動向と、情報環境を始めとする社会を支配しているアーキテクチャは強く結びついており、ネット空間が日常化している。では現代社会の実空間はいかにあるべきなのか。現代人のオンライン化した消費動向の整理を行なった上で、地域の建築のあり方について試考したい。 『動物化するポストモダン』東浩紀/2001年 哲学畑出身の批評家、東浩紀による現代日本文化論。コミック、アニメ、ゲームなどに耽溺する主に男性オタクの消費行動の変化か
建築に誤読はつきものである。それはもともとある建築物をモチーフとして新たに建築物が新設されるときに、思想や地域性、技術、素材の違いによって起こることが多いと言えるだろう。これらは歴史的な建造物同士で語られる事が多いと思っているが、本稿では、日本のモダニズム建築受容期における歴史的な建築物の捉えられ方に着目したい。 具体的には、日本のモダニズム建築の創生期に、日本美の典型としてまつり上げられた桂離宮を取り上げる。本論は、実際に桂離宮を訪問し、資料を参考にしてその具体的な美につ
[書評]『ネットカフェの社会学-日本の個別性をアジアから開く-』 久しぶりのnoteだ。最後まで書ききる自信がない。 読者の方はどうか暖かい目でみまもっていただきたい。 ■本書を見つけた契機(少し長いが、いつもこんな風に図書館空間を漂っていたいと思っている) 奈良から仙台に来て10ヶ月。東日本大震災関連の授業を履修することなどあり、3.11から考えることが多くある。日曜日にも図書館で『3.11後の建築と社会デザイン』という本を読んでいた。 その本の中で、山本理顕は、