見出し画像

文章のエスキス

 かつて書いた未公開の文章を題材に、文章を作るときにどんなことを考えていたか、今振り返ると過去の自分にどんなメッセージを伝えるか、そんなことについて記述を試みる。

修了式へ向かう前に


3月24日、仙台での修了式に出席することになっていたが、そのためには飛行機で登校する必要があり、式のためだけに来仙するのに勿体無さを感じたため、研究室の仲間を誘って秋田、青森、岩手、宮城と回る修了式前旅行を計画した。

どこを回るか考える中で、3年前に研究室PJで担当させてもらった『現代建築宣言文集』の大江宏の項の文章を作成する最中でテーマ変更となり、ボツになったことを思いだした。

その際に秋田県の角館町樺細工伝承館について調べていたこともあり、角館町を訪問することにした。そこでひとまず当時の文章を振り返ってみたいと思う。建築に触れるのは本稿では避け、別の機会を持とうと思う。(約束しているわけではない)

『現代建築宣言文集』五十嵐太郎・菊池尊也 編

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

ボツ文章「混在併存 大江宏 1966」

 大江宏は丹下健三と東京帝国大学の同級で、建築家としての独立後、法政大学の校舎を手掛け、モダニズムを代表する建築家として活躍したが、その真骨頂は、60年代以降の作品から発揮されることになる。大江の父、新太郎は、明治神宮の造営技師や日光東照宮の修理を担当した建築家であり、神社建築に大きな足跡を残した父の影響から日本の伝統建築にどっぷりと浸かっていたためである。

 20世紀中頃、一般邸宅の洋風館と和風館が分棟化されていたことに象徴的なように、生産的で公共的なイメージを持っていた「洋風」と、非生産的で大嬰的なイメージとなっていた「和風」は長い間かなり分離して捉えられていたことから、1965年竣工の香川県立文化会館では、「ふたつの異質の要素が時に矛盾し、時に対立しあい、混在併存しつつ日々の生活を支えている日本の現実を、そのままに反映しようとするところに建築創造の意義をあらためて見出だそうとしたのである」(✳︎1)として、鉄筋コンクリートの躯体に日本の木造建築を組み合わせた意匠としている。両者はそれぞれ「洋風」と「和風」の具体的表現として等価に扱われているのである。この建築から徒歩3分ほどのところに建つ丹下の香川県庁舎が日本の伝統美をモダニズムへ吸収統合したものであるのに対し、文化会館は伝統とモダニズムが互いに譲ることなく同居している。こうした建築のあり方を「混在併存」と言うキーワードで説明した。混在併存という言葉は「参議院副議長公邸」に関する大江宏と浜口隆一との対談「混在文明へのアプローチ」の中で、編集長として陪席した馬場璋造が名付けた。そのすぐ後に併存混在と言うことが元になって何かが生まれるとかそれが基盤でというような意味ではなくて、最終的な結果、現象としては併存混在と言う現象を呈するとして、香川文化会館を「新建築」で紹介するときにその混在併存をそのままタイトルに使ったとされている。

 また、以降の氏の作品を鑑みるに、混在併存の建築作法は、香川県文化会館によって、空間構成における論理的一貫性が固まったとみなせそうである。混在併存を盤石化させることに2度の海外旅行体験が大きく関わっている。1度目は1954年の堀口捨己の「サンパウロ日本館」の敷地選定に伴う北南米・西欧14ヶ国の訪問で、西欧中心主義的近代史観への疑問を現地で実感したという。そして2度目の旅行では、ヨーロッパ文明の源流たる地中海・中近東を訪ねている。大江宏は時代にも地域にも縛られない建築の素系を探るアナクロニズムへの思考から、モダニズムにはじまり日本の伝統様式、遠大な世界史に至るまでの多元的なデザインを志向したのである。
 
 普連土学園は地中海沿岸のリゾートを思わせるような建築で、古典主義とは異なる独特の柱列を持つ地中海世界から得てきたものではあるが、単なる模倣ではなさそうである。平面図に着目すると、正方形の教室クラスタが少しずつずれながら、集まっており、桂離宮や二条城などに見られる雁行形式を感じさせる部分も見受けられる。こうした常に二重の背景を秘めている普連土学園は地中海の建物とは異なるオリジナリティを持っている。日本の伝統的な建築の形式と明治以来の建築家が追い求めてきた西洋建築の双方に立脚しながら、さらに幅広い源流のスペクトルの中で、大江宏の建築的知性は多元的整合性として発揮された。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

文章のエスキス


っと、ひさしぶりに振り返ってみると、「どっぷりと」など心地よく読み進める働きを促す言葉選びは良いとして、少し今一歩と思われる箇所が目立つので、3年前の自分に今の自分が手直しを求めるとすればこう言うのかなという文章のエスキスをしてみる。

言葉の扱い

まず、完全に理解できていないのに記述している部分がある。「アナクロニズム」とは、時代錯誤という意味だが、正しい意味で使えているだろうか。確か、『ポストモダン建築巡礼』(✳︎5)に同じ単語が使われており、目新しかったので借用してみたということ以外に何も考えていなかった気がするが、もう少し疑っても良かったのではないだろうか。

「異質の要素が時に矛盾し、時に対立しあい、混在併存しつつ日々の生活を支えている日本の現実を、そのままに反映しようとするところに建築創造の意義をあらためて見出だそうとしたのである。」と語る大江の時代感覚は、社会状況をメタ的に捉えており、やはり時代錯誤というのは的確ではない気がする。

建築家の思想をいかに理解するか

また、上記の引用をした後、考え方と建物の持つ雰囲気を実際の建築物の表象をとらえることによって納得しようとしているが、当時の自分には、建築家の考えと見える化されたモノとの比較という一対一の応答を検証するという発想しか持っていなかったことがわかる。

建築家の思想を理解する手立ては他にもあるはずである。

プロットはそれでよかったか

それから文章の構成というか、プロットがもう一歩という印象。海外旅行によって混在併存への志向が高まったのなら文化会館の記述の手前か、記述内に突っ込んだ方がいい気がする。生まれとモダニズムの経歴、その後の旅行での志向の高まりと実作における”かたち”を以って設計手法の一貫性を確立しており、以降の建築でもその傾向が見て取れるという読み送りにしたかったところではある。

その編集を噛ませることができていれば、「日本の伝統様式、遠大な世界史に至るまでの多元的なデザインを志向したのである。」という文章が「日本の伝統様式と遠大な世界史とを等価に扱い、それらの要素を一度バラした上で統合・整合させるデザインを志向したのであり、ここに建築創作の意義を当時の社会風刺にも求めた大江の思想が理解される」という締めくくりすることができたと思われる。


関連文献

(✳︎1)大江宏『建築作法 混在併存の思想から』
(✳︎2)大江宏『間の創造』
(✳︎3)大江宏『新建築学大系1-建築概論-総論、2.5建築と文化』
(✳︎4)石井翔大、種田元晴、安藤直見『「混在併存」を基軸とする大江宏の建築観の変遷』
(✳︎5)磯達雄『ポストモダン建築巡礼』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?