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第二の自然について

『「私」のいる文章』森本哲郎_1979_ダイヤモンド社

筆者:森本哲郎

 1925年生まれ。東大大学院社会学科研究科修了。東京新聞社に入社後、朝日新聞社に招かれ、特派員として世界各地を回った。


内容:

動物学者の日高敏隆によれば、探索行動を禁止されたチンパンジーは、退屈のあまり精神的な障害をきたし、病気になったり異常な行動をはじめたりして死んでしまうことがあるようである。

動物の持つ好奇心の正体は、生きるために食物を探し出すことを目的とした探索本能だと言われるが、人間の好奇心には直接的に「生きるための探索」ではないとされるものがあるという。食物を探し出すことを一義的な目的としない、ものごとについてなんらかの「意味」を探究することがあるからだ。しかし、筆者はこれも生きることとどこかで繋がっているとする。

筆者は、好奇心とは「人間の生命力の関数」であるとしている。生命力が横溢している子供ほど好奇心旺盛で、生命力が減退する老人になればなるほど好奇心は失われていくという。

地球上の生物は、まさしく環境に適応することによって生き残ってきた。生きるとは環境に適応することである。この意味で、人間のつくりだした文明や文化は、適応の体系だといえる。好奇心なるものは、「環境に適応するための探索」ということになる。

 逆説的に捉えれば、人間は生きるために環境に適応しなければならないが、適応した結果、生きるための刺激がなくなると、今度は生命力が弛緩してしまうということになる。生命力が弛緩・枯渇すると、文化も衰弱することになる。好奇心とは、そうした生命力の弛線に対するカンフル剤のようなものであるということになる。

 現代の都会は、人間を自然から守る装置が幾重にも張りめぐらされている場所であり、イギリスの動物学者のディズモンド・モリスはこれを「人間動物園」と呼ぶ。このような環境では野生への抵抗感が失われていくため、都会に住む人間は必然的に適応への努力をしなくなり、生きる実感を損なっていってしまうことになる。

 生きる実感を損なった人間は退屈のあまり病気になったり、異常な行動をはじめたりして、あげくの果てに死んでしまいかねないだろう。そこでこれを何か別のもので代替しなければならないわけだが、そのために都会は強い刺激で溢れかえっている。都会の刺激とは、人間に抵抗感を与え、適応への努力を強いる自然の代替物なのである。

 人間がつくり出すさまざまな文化・文明・情報といったものは、人間の好奇心が生んだものであり、文化や文明は人間の好奇心の体系である。それは、人間が生きるため、抵抗するための人工的で擬似的な第二の自然だと言える。


感想:

 生存のための環境適応の必要条件としての好奇心と自然とをテーマにした本稿では、天然モノの自然が失われた都会環境と、現代人の好奇心の維持手段としての都会とが同居する様が理解できる。当時の日本社会は、焦土から復興を果たし、高度経済成長期を経て便益を拡充してきた日本社会で自然が失いつつあった。

 本書の内容は、単に生活に必要なものを提供するサプライ期(提供)から、人間の欲望を喚起したり、更なる活力を促進したりするデマンド期(消費)に差し掛かった当時の状況に沿っていると言える。本書の出版された1979年は、建築分野でもポストモダン建築の興り始める時期であるが、本稿の中には具体的な観察対象はない。

 ゆえに具体的な出来事と合わせて内容を理解するためには、観念としての都会の発想から一段降りて、自らの体験を文書の中に代入しながら読解したり、あらためて調べたりする必要がある。

 「第二の自然」という言い回しは長谷川逸子のそれと共通している。これは当時流行った言い回しだったのだろうか。いずれにせよ人間が本能的に持つ好奇心と、人間と自然との交感の関係を明らかにし、便益化した人間社会における好奇心の維持装置として「第二の自然」という言い回しをしているのは興味深い。その観察対象として建築はかなり優れているのではないか。

 デジタル環境の未発達であった当時の人間の行動を観察する上で空間は必要不可欠な次元であり、その人間を取り巻く環境の中での人間の活動を観察するのに最も適したスケールが建築空間であると考えられるからである。「人と建築の応答史」を描く上で人工環境としての建築の役割を照らす見方を得ることができた文章であった。

もう一冊 『最高の体調』より

 季節の変わり目で体調を崩したことから、体調について見直してみようと考えた。そこで見つけた本が『最高の体調』である。この本の中に「第二の自然」についての理解していく上での視点になりそうな内容を見つけたのでそれを少しさらっておきたい。その内容とは「感情システム」である。

 「感情システム」とは、人間の心の動きを3種類に分類させた考え方で、「興奮」「満足」「脅威」からなる。

 興奮とは、喜びや快楽といったポジティブな感情を作り、モチベーションを生み出すシステムであり、ドーパミンによって制御される。

 満足とは、安らぎや安心感といったポジティブな感情を作り、コミュニケーションに役立つシステムで、オキシトシンなどで制御されている。

 脅威とは、不安や警戒といったネガティブな感情を作り、危険から身を守るためのシステムで、アドレナリンやコルチゾールなどで制御されている。

 人間の感情は、この3つのシステムがバランスよく機能してこそ、人間は良いパフォーマンスを発揮できる。快楽ばかりを追うと健全さが失われて、安らぎだけの生活に前進は無く、不安ばかりの暮らしも憂鬱になる。

 現代の都市の環境は、娯楽施設やスマホゲームなどが興奮を刺激しつつ、仕事のストレスなどで脅威の感覚がかきたてられ、そのくせ濃密なコミュニケーションが減ったせいで安らぎの感覚は低下傾向にある。すなわち「興奮」と「脅威」が働きやすく、「満足」が働きにくくなっているという事になる。

 この偏ったバランスを調整する手立てとして有効なのが、自然に触れることであろう。自然の環境は3つの感情システムをバランスよく刺激する。季節の移ろいや草木の変化がほどよい興奮を生み、緑に守られる安心感が心地よい安らぎを生み、森や川に潜む未知の恐怖がときに警戒を生む。自然の中にいれば、感情システムは偏りなく安定することになる。

 感情システムの中の「満足」の項目は、人間に普遍的に必要な要素だと考えられるので、これがスローライフ、コミュニティ、家族、コモンといったボキャブラリーと親和性があるとみていいだろう。前向きな感情を生み出させ、(興奮)人々を包み込み(満足)、何がしかの畏怖の念(脅威)を抱かせるような場があるとすれば、それは感情システム的に充実した「第二の自然」だと言えるかもしれない。

こんな感じで今日も思いつきでの文章を書いてみた。

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