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【長編小説】漂白剤社会 | エピローグ・志津里と奈恵

第十五話・判決 | このお話のマガジンはこちら 

  気付けば、夏は終わりをむかえようとしている。もう虫の音は聞こえない。

 奈恵は裁判が終わり、東京へ向かう電車の中にいた。
そこに手錠はもうない。

「お腹すいたでしょう?」
迎えに来ていた母が聞いてきた。

「うん」
奈恵は少し疲れた顔で頷くと、母は乗り換えの駅でおにぎりを買った。飲み物はトイレの水道水をペットボトルに入れて、急いで次の電車に乗った。


 もうすぐ東京に戻れる。様々な感情が入り乱れていた。別れ際、小林弁護士が言った言葉が頭をよぎる。

「しっかり罪を償い、更生して生きて下さい」

 パンをかじりながら電車の窓を見ると、海が見えた。瀬戸内海だ。
私は、また、泣いた。

 私は、自分がしたことの過ちを心から悔いている。得ていた人からの信頼を裏切り、築き上げたことを壊してしまった。周りから信頼されなくなってしまったことは全て、私自身が行ったことの責任である。

どんな理由があろうと、決して犯罪を犯してはいけなかった。犯罪を行うという事は、自らも傷付けて、何よりも被害者を欺き、深く傷付ける行為だ。

傷付けられた痛みは、自分が、一番分かっているはずだ。
私は、数年間、社会活動をしてきたその身として、自分の犯罪行為を心の底から恥じている。

 瀬戸内海を過ぎると私は母の携帯で、今は遠く離れた同級生の香苗ちゃんに電話をした。きっと仕事中だから電話に出ないかもしれない、そう思っていたが、すぐ繋がった。

私の母から判決が出る日を聞いていて、心配で彼女は仕事を休んだそうだ。

 私は開口一番、「ごめんなさい…、ごめんなさい」
泣きながら、何度も、何度も謝った。

すると彼女は、こう話した。

「奈恵ちゃんの掲載された新聞よく見ていたんだよ。友達だったこと誇らしくて。勇気だした啓発活動で、周りから信頼もあって、誠実な女性として知られていたよね」

私は泣きながら、うん、うんと電話口で頷く事しかできなかった。

「もう一度、人生をやり直すことは決して容易ではないと思う。でも努力を積み重ねて、更生してほしい、しっかり更生して生きてほしい」

電話口の彼女もまた、泣いていた。



 電話を切ると、母が「そういえば」と、何かを思い出したかのように私に手渡した。

それは一枚の手紙だった。

 受け取って差出人を見ると、そこには『宮本さつき』と書かれてあった。

何故、ファンの人が私の住所を知っているのだろうか。そう不思議に思い、急いで開封した。

その瞬間、奈恵はハッとした。
確か香苗ちゃんの名字は宮本だ。

「ここで降りるよ」
手紙を開いている途中、乗り換えの駅に着くと、母が声をかけた。

私はふと、左手首に手を添えた。

「どうしたの?」
母が心配そうに聞いてきた。

「ううん、何でもない」
手を添えたところは、以前、自殺を図った傷跡。

私は白い傷跡をさすると、母と手を繋いで、次の電車に飛び乗った。



右手に持った手紙の文字が、太陽の光に照らされて浮かび上がる。

封筒から小さなキーホルダーが落ちた。

そのキーホルダーが落ちたことに、奈恵は気付いていない。

キーホルダーは擦り切れているけど、赤いリボンのキティちゃんのキーホルダーだった。



ー 奈恵ちゃん、大変だったね。

お金を工面するのにたくさんの人たちに頭を下げて、そしてどんどん暗い道に進んでいくのを見て、とても耐えられなかった。
どうにかしたいと思ったんだ。

今まで言えずにごめんなさい。名前を変えていること。
私の今の名前は、宮本志津里と言います。

あの時、下北沢駅で助けてくれたのは奈恵ちゃんだってすぐに分かりました。私も上京していました。でも奈恵ちゃんはきっと私だと知らなかったと思います。

私は顔を整形して、名前も変えて、今は新しい人生を歩んでいます。

それは、あの時、奈恵ちゃんが助けてくれたからです。

奈恵ちゃんが逮捕されたことで、奈恵ちゃんを取り巻いていた誹謗中傷や名誉棄損、そして攻撃する人たちはみんな居なくなりました。

彼らも逮捕はされたくないから。

きっと東京に戻れば、すべての状況が変わったことを実感するでしょう。

またいつか会いましょう。宮本香苗ではなく、今度は、宮本志津里として。

奈恵ちゃんへ会いにいきます。

会いに、生きます。

                    宮本志津里


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