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979.「しあわせ探し」なんていらないんだよ。だって、あるものが全部しあわせなんだもの。

There's no need to "search for happiness." After all, everything that exists is happiness.

【お馬鹿なcoucouさんの逆さま論159】


©NPО japan copyright association Hiroaki

1.25番目の100の愛の言葉.25rd 100 love words.


もう一度、
once again,

あの頃に、
At that time,

戻ってみよう。
Let's go back.

もう一度、
once again,

愛して、
love,

愛されていた、
was loved,

あの頃に、
At that time,

戻ってみようよ。
Let's go back.


人の目なんて、
What are people's eyes?

歳なんて、
How old are you?

気にしないで、
never mind,

好きな人には、
For those you like,

好きだって、
I love you,

言ってみようよ。
Let's say it.


愛する人に、
To the person you love,

愛しているって、
I love you

もう一度、
once again,

もう一度でいいから、
Just one more time,

何度でもいいから、
As many times as you like,

言ってみようよ。
Let's say it.

もう一度、
once again,

あの頃に、
At that time,

戻ってみよう。
Let's go back.

もう、戻れないって?
Are you saying you can't go back?

もう、遅いって?
I
s it already late?

もう、無理だって?
Is it impossible now?

そんなこと誰が決めるの?
Who decides that?

遅いとか、
It's late or

早いってね、
It's early, isn't it?

人が、勝手に、
A person, without permission,

決めるもんじゃあないんだからね。
It's not for me to decide.


遅いとか、
It's late or

早いってね、
It's early, isn't it

全部、
All,

自分が決めることなのさ。
It's up to you to decide.


だって、
Because,

人の人生じゃあないんだもの。
It's not a person's life.

だって、
Because,

自分の人生なんだもの。
It's my life.

だからね、
So I,

何度でも、
No matter how many times,

好きになることができるし、
you can fall in love with me,

何度でも、
No matter how many times,

人を愛せることができるんだから。
Because you can love people.

だから、
that's why,

もう一度、
once again,

あの頃に、
At that time,

戻ってみようよ。
Let's go back.


Ⓒお馬鹿なcoucouさんの逆さま論
ⒸStupid coucou's upside-down theory
25番目の100の愛の言葉.

25rd 100 love words.

©NPО japan copyright association Hiroaki

2.幸せはね、探さなくてもいいんだよYou don't have to look for happiness.

みんな幸せを探している~
みんな幸せを追いかけている~

そう、人は不幸になるために生まれたんじゃあない、
そう、幸せになるために生まれたんだもの。


だけど、幸せな人が少なくて、不幸な人の方が多い。

どうしてだろうね?

お馬鹿なcoucouさんにはわかるよ~
だって、coucouさんも60歳近くまで、不幸を引きづり、不幸を背負って、不幸を愛して、不幸に愛されてきたんだもの。

だから、幸せがわからない。
わかったとしても幸せになっちやあいけない。

少しでも幸せになりそうだと、罪意識が生まれる...。
幸せになってもいいんだろうか、ってね。

だから、幸せから逃げ続け、幸せに目をつぶり、
幸せを嫌って、幸せを避け続けて来たんだ。

ね~お馬鹿でしょう~

だけど、なんで?

それはね、振り返ってみると、お馬鹿なcoucouさんはね、異常だったのかもしれない。
子どもの頃から親に迷惑をかけ続け、大人になっても同じ。
そんな自分が幸せになるなんて、いけないこと。

なってはならないこと、と思い込んで生きてきた。
するとね、とても自分に厳しくなる...。

人を許したとしても、自分を絶対に許さない...。

そうやって、自分をいじめ続けることが信じられないと思うけれど、coucouさんには安らぎとなる...。(完全におかしい…)

そして、幸せの中よりも、不幸の中の方が安心感がある。
だから、楽な道よりも、険しすぎる道を選んだり、できっこない、無理なことばかりし続けて来た。

お馬鹿なcoucouさんの幸せは不幸の中に存在していた気がする。

だけど、一人になるといつも寂しくて、悲しくて、泣き続けていた。
本当はこんな人生ともお別れしたい…。
そして、無意識に辛さとか、苦しさを求めてしまうんだ。

するとね、ストレスとアドレナリンが噴出しだして、闘いのモードとなれる。それが正しい生き方だと信じていた。

でもね、振り返れば、何も残っていないし、想い出すらもない。
あるのは嫌な仕事、決して向かない経営者の道をひたすら歩んでいた気がする。

なぜ?

それはね、不幸な道には「逃げ」がある、「逃げ込むことができる」からなんだ。お馬鹿なcoucouさんはいつも現実からも逃げ続けていた…。
そう、自分のことばかり...。
家族のことなんて見向きもしない冷たい仕事人。

だけど、coucouさんの身体の反応が、
怒りや涙に変って行った気がしている。

人なんて、恨んだり、憎んだり、人のせいになどしない。
そのかわり、すべて、自分を恨んで、憎んで、怒って、自分のせいにする。自分の存在自体が原因なのだから、すべては自分だと思っていた…。
楽だよね、自分のせいにするって~
そうやって、逃げればいいんだもの。

そして、何もかも失って、父や母が衰え、動けなくなるときに、初めて幸せを求めて、探すようになった…。

いつも、不幸ばかり追いかけてきたんだもの、
そう簡単には幸せなんて見つからないし、あるわけもない…。

そして、次々と大切な人が去っていく歳を迎え、たくさんの人たちを失って、父や母を失って、気がついた~

本当にお馬鹿なんだよ、coucouさんはね。超高速で生きてきた割には、自分のこととなると、何事も遅すぎるんだ~


そんなとき、父の口癖を思い出す...
「生きている、生きられている以外に何が必要なんだ。人は生きているだけで幸せなんだから…」、「coucouよ、生きていてくれてありがとう、死んでしまうかと思っていた...」と。

今まで何十回も、何百回も聞かされていた言葉なんだけれど、今度は、そう、父や母、家族たちには生きていてほしい。子どもたちだって生きていてほしい、と願うようになったんだ。

そしたらね、とっても遅すぎるんだけれど、みんながcoucouさんの前からいなくなって初めて、幸せが分かった気がした…。

人生の、嫌なことすべて、辛かったこと、
苦しかったこと、すべてが幸せに思えたんだ。

だって、何もなくなったけれど、生きている。
生きている以外に何が必要なんだろう、ってね。

こんなお馬鹿なcoucouさんでも、ただ、生きているだけで父や母や、弟たち、家族たちに幸せを与え続けていたことが分かったんだ…。

そう、まるで逆さま人生だったお馬鹿なcoucouさんだった…。

そう、「幸せ探し」なんていらないんだよね。
だって、あるものが全部しあわせなんだもの。

©NPО japan copyright association Hiroaki

3.人の目の中という奴隷Slave in the eyes of others


私たちって、子どもの頃から人の目を気にするように育ってきた気がする。「人さまに笑われないように...」
「人さまに馬鹿にされないように...」
「人さまに変な目で見られないように…」とね。

そして世間体とか、よそ様の目の中だけで生きてきた気がする。

だけど、よくよく考えてみたら、子どもの頃から大人になっても、この世を去っても、「人の目の中という奴隷」のように生きてきた気がする。

人の目って、人の人生の中の世界だよね。

その中には、自分の目はないし、自分の世界でもない。
勝手に作られた他人の世界観の中に閉じ込められているだけの話。

だけど、どうしてもその世界に閉じ込められてしまう。
すると、その世界の奴隷となる気がする。

そして、その他人の目の中、他人の世界で生きていく。

だけど、他人なんて一人じゃあないし、ひとつの世界ではない。
だから、たくさんの他人の目の中で生きるんだから、自動的に自分を見失っちゃうんだ。

こんな悲しい世界、こんな悲しい人生ってないよね。

そう、奴隷なんだもの、自分の意志とか、
自分の自由を捨ててしまうんだからね。

だからね、そんな世界なんて捨てちゃおうよ~
だって、必要ないんだから。

必要なのはね、
「自分の目で見て」
「自分の目で感じて」
「自分が判断して」
「自分が選択して」
「自分の人生を歩む」

それで、失敗してもいいよね。
他人が決めるんじゃあなくて、自分が自分のことを決めるんだもの。

自分の目で見るってね、「自分を大切にする」ことなんだから。
ねえ、自分の大切な人生なんだから。

今からでも、遅くない~
今度は「自分の奴隷」となって、生きる方が楽しいんだもの~

©NPО japan copyright association Hiroaki
©NPО japan copyright association 

coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~

上杉謙信はこんな言葉を残していた。


上杉謙信公家訓16ヶ条「宝在心」より


上杉謙信公家訓16ヶ条「宝在心」

一、心に物なき時は心広く体泰なり
  物に囚われなければさわやかな時を迎えられる。
一、心に我儘なき時は愛敬失わず
  自然に、素直に生きることで敬う心が生まれる
一、心に欲なき時は義理を行う
  つまらない欲を失くして正しく生きる
一、心に私なき時は疑うことなし
  こだわりがなければ疑う必要はない
一、心に驕りなき時は人を教う
  驕り高ぶる心がなければ、人を救う
一、心に誤りなき時は人を畏れず
  自分に心にやましさがなければ畏れるものはない
一、心に邪見なき時は人を育つる
  間違えた見方がなければ人に伝わる
一、心に貪りなき時は人に諂うことなし
  貪欲、がなければ人にへつらうこともない
一、心に怒りなき時は言葉和らかなり
  おだやかな心は、言葉もやわらかである
一、心に堪忍ある時は事を調う
  物事は我慢も大切なときがある
一、心に曇りなき時は心静かなり
  すがすがしい心は、時は、人に対しても穏やかになる
一、心に勇みある時は悔やむことなし
  勇気と覚悟があれば、悔やむことなし
一、心賤しからざる時は願い好まず
  心が豊かな者は、無理な願いを望まない
一、心に孝行ある時は忠節厚し
  孝行の心があれば忠節心が深い
一、心に自慢なき時は人の善を知り
うぬぼれななき時は、人の素晴らしさが、善さがわかる
一、心に迷いなき時は人を咎めず
  
迷わずに、信じる気持ちがあれば、人をとがめることはない


これはね、誰もが忘れてしまっている心、思い、気持ちなんだ。
よく考えて見ると、この言葉って、私たちが子どもだった頃、何もこだわらず、素直に正直に感じていたことと同じに思える。まだ、知識や経験もない、社会だって知らない。

だけど、子どもの頃に感じていた、今は忘れてしまった、大切な教えのような気がする。そして、すべてを忘れて人の目の中で生きるようになった。そう、子どもたちって人の目の中で生きてはいないよね。自分の目と、自分の中の世界を信じているんだもの。

もう一度、あの頃に、戻れるかもしれない…。


今日も、ここまで読んでくれてありがとう~
さて、みんなで子ども還りしてみない~何にも振り回されなくて、つまらないこだわりを捨てて、自分に正直に、素直になって生きると人生が変わって、失った人生だって取り戻せる気がする。

では、また、あしたね~


文字遂5,564文字







Tie a Yellow Ribbon - 幸せの黄色いリボン - Lyrics - 日本語訳詞 - Japanese Translation - Tony Orlando & Dawn

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Character design©NPО japan copyright association Hikaru


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