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781.人って、幸せを求めているんだ、誰でもね。人ってね、あたたかさや理解を求めているんだよ!

【お馬鹿なcoucouさんのホスピタリティ論④】[Stupid coucou's hospitality theory ]

 

©NPО japan copyright association Hiroaki

1.愚痴や不平不満の世の中で  In a world of complaints and complaints


最近、不況を反映してか中小企業や商店は売上の減少を辿っている。そして合言葉は、

「まったく売れないんだよなあ…」
「お客が入らなくなった…」
「契約がなかなか取れなくて困っている…」。

こんな言葉がまるで口裏を合わせたように、どこでも同じ話ばかり。

でもね、その中小企業や商店を注意して良く見ていると、こんな共通点があることがわかる。

それはね、「全体に暗い。店主や経営者の顔に笑顔がない」ということなんだ。これじゃあ、無理だよね~

なかには、来店するお客さまにまで愚痴をこぼしている始末。
さらに不思議なことは営業をしている人達も同じ、暗い表情でお客さまに愚痴をこぼしているんだ。

たしかに今はどの業界もモノが売れないという苦しい事実があるけれど、売れなくさせてしまっている経営者の責任があるという事実を知ることも必要なこと。

「なぜ売れないのか?」
「どうして売れないのか?」
という現実をしっかりと分析しなければ永遠に答えは気づきかない。


ホスピタリティ・ライツはね、お客さまに喜んでもらい、幸せになってもらうことを願うことなんだ。
今の多くの経営者の人たちは逆に、お客さまに不幸を与えているようなものだよね。愚痴、不平、不満は友だち同士だって嫌がるものだけど、だけど、ましてや他人であるお客さまにはさらにもっと、場合によっては傷つける場合もある気がする。

これは別に商売を行っている者だけの問題だけじゃあないよ~
友達関係だって同じ。
もし、友達や彼女や家族、お客さまにいつも愚痴や不平、不満ばかり話していたら、おそらくその人はいずれ離れてしまう運命だということに気づかないのかなあ~

おそらく、この愚痴、不平、不満のほとんどは、自分の気持ちを相手に理解してもらいたいという心理状態から来るものだけど、これこそ相手の気持ちを踏みにじる行為ということに気づかねばならないよね。

よく、「信頼できる友達がいない」とか、「いつも独りぼっちだ…」なんていう人の共通点は自分中心で相手のことを考えず、自分のことの理解を優先的に考える人たちで、それを、「わかってもらいたい病」「理解してもらいたい病」「知ってもらいたい病」という病にかかっていることに気づかなくちゃいけない気がする。

人って、幸せを求めているんだ、誰でもね~
人って、あたたかさを求めている。
人って、理解を求めている。

それがホスピタリティ・ライツの役割。

これは、すべての人間関係、あらゆる組織、企業、商店、個人事業の主を含めてこれからの時代のすべてに必要不可欠な心の表現技術と、coucouさんはね、いえるもののような気がしている。

 

2.サービスとホスピタリティの違いDifference between service and hospitality


今までのサービスというと、どんなお客さまに対しても平等に同じ対応を行なってきた。どうしてかといえば、「誰に対しても同じものを、同じことを平等に提供する」という考え方が中心だよね。
でもね、これからの時代は同じ対応、同じ内容はまったくそぐわないことがわかるはず。だって、人って年齢、性別、好み、考え方がまったく違うもんね。
今までのサービスって、一方的な押しつけの経営者側の判断に委ねられて行われてきたものばかり。
大手企業のマニアルなどがその一例だよね。
どんなに相手にも同じ対応をし、同じサービスをおすすめする。
これこそが過去の遺物サービスといえる気がする。

本来サービスは、相手によって異なって当たり前で、スタイルを相手によって変える必要がある。

それがホスピタリティのあるサービス。

これからは、IT技術が進み、SNSの時代といわれているけれど、ネットの世界にはこの「人との触れ合い」や「あたたかさ」「ぬくもり」は感じられるものじゃあないよね。

このように時代が進めば進むほど、ホスピタリティのあるサービスが必要となる気がするんだ。

ホスピタリティのあるサービスってね、一人ひとりのお客さまのニーズに合わせ、お客さまから愛されるサービスを真剣に取り入れることだからさ。

3.人の心を動かすもの「ホスピタリティ・ライツ」“Hospitality Rights” that move people’s hearts

人が心から動きたいと思うのは一体どんな時かなあ~

亀井勝一郎は『人生論』の中で、
「幸福とは邂逅の喜びだ。同時にそれは感謝の念の起るところである」といい、「邂逅」というのはめぐりあいという意味であり、偶然に会うという意味も含まれているという。

会う喜びこそ幸福だ、という考え方を親鸞も同じことを言ったような気がするね。親鸞は「幸福の喜びは、感謝の念を引き起こし、人が人と出会うということは、幸福論と関係なく、その人の人生に大きな意義をもたらす」といっていたと思う。


先日、ある会社に電話をした。
すると女性事務員だと思うけど、「お電話ありがとうございます。○○会社の○○です。」と丁重に答えていた。

また、若い学生が「いつもありがとうございます。」というように、その言葉に何か違和感を覚えるときがある。

別に「ありがとうございます」という言葉が嫌なのではなく、挨拶の一部として使われる妙な感じがするんだ。
まるでマニアル通りのような言葉で利用している気がする。

本来、「ありがとう」という言葉って、喜びや感謝を表現する言葉で利用されるものだよね。coucouさんはね、挨拶用語で利用されると嫌な気分になっちゃうんだ、うんざりしている~

そう、喜びや感謝のない「ありがとう」は単なる挨拶言葉だよね。

人と人がめぐり会うことは、人生上かなり重要な意義のあるものだよね。
だから初対面の人との出会いや対話は十分に気をつけなければならないと思う。
それがきっかけで人生の中の大切なつき合いに発展する可能性もあるし、それで終わっちゃう場合だってある。だから、そのいずれの場合でも邂逅は大切にしなければならない気がするんだ。

感謝って、人に与えることによって相手に満足感をひきおこす報酬といえるんだもの。

よく、私は感謝している、このことやあのことに感謝しているという言葉をよく耳にする。だもね、残念だけれど、この「感謝」も先ほどの「ありがとう」も挨拶言葉になってしまっている気がする。

つまり、心に残らない~
本来、「感謝」も「ありがとう」と言う言葉は心に響くものだよね。


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4.心から感謝する人の心を動かすmove the hearts of those who truly appreciate


人ってね、心から感謝されると思わず恐縮してしまったり、嬉しいもんだよね。だって、心から感謝されると、さらに何かをしてあげたくなったり、さらに喜んでもらおうと思ったりしてしまうもんね。(ただし、マニアル的なわざとらしさは逆に相手に嫌われてしまう恐れがある。)


coucouさんのの友人にとても「感謝上手」な人がいるんだ。
それは決してテクニックではなく自然で、してもらったことに対して、たとえ小さなことでも心から感謝できてしまう、それも自然にね。

すると自然に多くの人たちが動きはじめるんだ。
その友人のために何かしてあげたくなってしまうんだな~
coucouさんもついつい、何か手伝いたくなっちゃうんだ~
そしてその輪がどんどん拡がって、その友人はさらに心から感謝すると、さらにその輪は拡がっていくんだ、凄いなあ、といつも思う。

心からの感謝って、相手を尊敬して肯定すること。
相手を低く見たり、否定することは感謝にならない。

人と会うこと、人と話すこと、そこに喜びがあり、それを心から感謝の言葉を表現することは本来自然なこと。

よく、「あいつは感謝の気持ちが足りない…」「こんなにしてあげているのにお礼の言葉ひとつない…」「嘘でもありがとうって言ったって良いのに…」なんてことばを耳にするけれど、これは感謝の押し売りで、感謝は求める言葉じゃあないよね。

感謝ってね、自然に生まれるものだもの。

だからね、

 心から感謝してみよう、

感謝は人の心に満足を与え

その人のために働こうという気持ちをおこす。

感謝の心、それがホスピタリティ・ライツの基本中の基本。

5.あたたかみとホスピタリティライツWarmth and hospitality rights


人って理屈では動かないよね。
理屈で人が動くというのは極めて少なく、理屈をはずしてこそ人は人から動かされるもの。

大切なことはね、人と人がどのような関係をもつかで、人間関係を納得させる力には感情的な親和を必要とする。その親和を得るためには互いの心の交流が必要だよね。

作家の河盛好蔵は『人とつき合う法』の中で、
「友達のできないことを嘆く人に問いたいことは、あなたは自分の周囲に何か冷たい空気をいつも流していないだろうかということである」という。
これは何か周囲を寄せつけない、人を信用しない、人に与えることの心意気に乏しいことを意味している気がする。

人にあたたかみを伝えられる雰囲気をもち合わせている人は幸せだよね。
このあたたかみを感じること、感じられることが感情的親和関係をもてる条件のひとつといわれ、かなり大切な問題な気がする。

理屈は理を通すことができても、人の心を動かす力は乏しいもの。
理屈には理屈が対応するのであり、理屈の上の合意も必要だけど、行動させる力はない気がする。

 

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【和訳】Good Together - HONNE

※後半に、Ⓒひとえさんコラボ作品~【ちょっぴり悲しい癒しの童話】聞いてくださいね~


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91.【癒しの朗読】

【お休み前に癒しの童話】金銀の衣装(夢野久作・作)【心が穏やかになる読み聞かせ】

Ⓒ一技(ひとえ)YouTubeチャンネル~仕事やご自宅、眠る前にスマホでもお聞きくださいね。


Ⓒ一技(ひとえ)【癒しの朗読】

【お休み前に癒しの童話】金銀の衣装(夢野久作・作)【心が穏やかになる読み聞かせ】

6.人って、誰でも、
幸せを求めて生きているんだもの~Everyone lives in search of happiness


人って、
People are

幸せを求めているんだ、
I'm looking for happiness,

誰でもね。
Anyone.

人ってね、
People

あたたかさや理解を求めているんだ、
I'm looking for warmth and understanding

誰でもね。
Anyone.


幸せってね、
be happy

不幸な人にだって、
For those unhappy

不幸な人だって、
can be given, but

人に幸せを与えることができる。
can give people happiness.

たとえ、お金がなくったって、
Even if I'm out of money

幸せになることができるし、
can be happy and

幸せになれるし、
be happy and

人に幸せを与えることができる。
can give people happiness.

どうして、
Why,

不幸な人は、
unhappy people are

幸せになれないとか、
can't be happy,

人に幸せを与えることができない、というの?
You say you can't give people happiness?

幸せな人には、
For happy people

人に幸せを与えることがむずかしい。
It is difficult to make people happy.

だって、幸せなんだもの。
Because I'm happy.

不幸な人の気持ちなんてわからないよね。
I don't know what it feels like to be an unhappy person.

でもね、
But you know,

不幸な人はね、
unhappy people,

ちょっとしたこと、
little thing,

とても小さなことだって、
It's a very small thing,

幸せを感じることができる。
You can feel happy.

だから、
that's why,

自分を幸せにできるし、
you can make yourself happy

人に幸せを与えることができるんだ。
I can make people happy.

だから、
that's why,

みんなに、
everyone,

幸せを差し上げようよ~
I'll give you happiness~


それが、ホスピタリティ。
That is hospitality.


Ⓒcoucouさんの幸せになる言葉
ⒸCoucou's words to make you happy


©NPО japan copyright association 

coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~

noteの世界ではビジネスのお話は無理だよ、難しいよ、って諸先輩に言われながらのスタート~
確かに、専門的な話ってつまらないよね。

だから、coucouさんはむずかしい言葉を、
専門用語を全部捨てて要約している。

でもね、noteのクリエイターさんたちの大部分は仕事をしながら、またはお子さんの世話、おとうさん、おかあさんの介護をしながら、coucouさんみたいな病気の人、家事に追われている人たちが大半だと思う。

だったら、みんな「仕事」だよね。
「仕えていること」だよね。

仕事ってお金をいただくことだけが仕事じゃあないよね。
給料以外、時給以外にしているものもたくさんあるし、お金にならない仕事だってたくさんある。

家事や子育てだって大事な仕事だよね、もちろん介護だってね。
もし、全部人任せにしたら相当なお金がかかってしまう。

家事のことだって人を雇えば大変な金額を支払うわけだから、考えて見れば自分でやっている以上、そのお金がかからないだけで、稼いでいるって言うことがわかるはず。

外で食事すればお金がかかる、自宅で料理すれば出るお金が減る、ということは利益を上げて稼いでいるわけだから、全部仕事だよね。

病気をしないこと、注意すれば医療費がかからない、病気になればお金がかかる。ならば、病気にならない人はお金を稼いでいることになる。

そう、人生ってすべて仕事だよね。

だから、お馬鹿なcoucouさんの体験的ホスピタリティ論がみんなの生活や仕事に役に立てばいいなあ、って願いながらまとめ続けている。

だってね、
人は誰でも、
幸せを求めて生きているんだもの~


わお~
ここまで読んでくれて、ありがとう~
coucouさんは嬉しすぎ💛

また、あしたね~

thank you all for the happiness


文字数6,464文字


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