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序論 神道とはなにか。

神道とはなにか。

今や、パワースポットだの何だのと言って、
観光産業の一つに集約されることをとても悲しく思っている。

見えない物の存在を信じるか?

例えば、氣功。

氣功を信ずる人は何れ程いるのか?

氣功=怪しい 何か得体の知れぬ存在。
そう疑ってかかる人に限って、
やれ、ご利益など、パワースポットなどと言っては、
「欲」を神社に置きに行くのだ。

なぜ、見えない物の存在を怪しむのに、
人は神社に足しげく通うのか?

そこには理屈も無いだろう。

私たちの本源が求むる物がそこにはあるに違いない。

"目に見える存在としての、目に見えぬ存在"

それが、一般化された神道と言う概念ではないか。

【なぜ神道なのか?】

最初に言っておこう。

【神道】とは、宗教ではない。
つまり、教えではない。

もし、神道が教えであるならば、
【神教】としたはずである。

宗教もまた、人々の固定観念に抵触する概念であるので、
簡単に説明しておきたいと思う。

<宗教と信仰の違い>
凡そ、多くの人が「宗教:何かを信じ、願うこと」と
定義しておられると思うが、実際、それは宗教ではなく、信仰である。
宗教という言葉の起源を辿ると、
中国の隋の時代に「法教」という人物が
その意味を定義付けたことを発祥とするとされている。

東洋における宗教とは?
宗:尊貴無常(自分の魂や命以上に大事なものはない。という考え)
教:生活規範・生活の道標
つまり、この二つを掛け合わせると、
宗教とは「自分らしい行為を行うこと」となる。

 ■西洋における宗教とは?
西洋における宗教は「religion」という言葉で表される。
日本は、この「religion」という言葉を【宗教】と訳したが、
同じ言葉であっても、東洋の宗教と西洋の宗教では全く意味が異なる。

religionの語源は、religo / religare(結びつける)であるとされる。
つまり、西洋の宗教という概念は、
『神と人とを結ぶもの』とされ、
天地を創造した者をGOD(神)と、人との関係性を説いたものである。
  
今、日本人は「西洋の宗教」の概念を
自国の宗教の概念として捉えている嫌いがある。
そしてまた、
これが「宗教」と「信仰」の混同を生み出している原因と言える。

【神道とは何か?】

神道 その意するところは
『神が与えし人の進むべき道』
『民族・国家・人類はいかにあるべきかという大道』

つまり、個々の道であると共に国の道を説いたものが神道である。

人の世の掟としてこそ真の大道であり、神道の神道たる所以である。

そこには三つの道がある。
■神と神の道
■人と人の道
■神と人の道

この"と"という概念に着目してほしい。
神道とは"繋がり"なのだ。
つまり、「生命の繋がりの原理原則」がそこには集約される。

私たち日本人にとっての、
"目に見える存在としての、目に見えぬ存在"
とは、この「生命の繋がりの原理原則」であると言えよう。

神道には理論がないのだ。
「理論なき原理原則」これが神道である。

この「理論なき原理原則」を理論化したものが
これから解説して参りたいと思う【古事記】である。

古事記は単なる神の世のおとぎ話ではない。

それだけをまずお伝えしておきたい。

これから皆様とともに、
古事記に見る「理論なき生命の繋がりの原理原則」を
解き明かしていけることを嬉しく思う。

つづく。

#東洋の考え方大学
#古事記 #神道 #哲学 #人生観



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