素直な人は矛盾を受け容れる。
幕末の名著「言志四録」に学ぶ
東洋の生き方学 No.35
言志録 佐藤一斎著 第三十五条
【原文】
物を容るるは美徳なり。然れども亦明暗あり。
【訳文】
雅量があり、人を受け容れることは美徳である。
しかし、善と悪とがあるということも忘れてはならない。
言志録 第三十五条『素直について』
素直さとは何か?
相手の言うままを聞き、
聞くままを実行すること。
この様に解釈されていることが多いと思う。
ここで何か一つでも意見しようものなら、
「お前は素直じゃない」「我を捨てろ」と、
一蹴されるだろう。
この意見するという行為は
"自己矛盾"から生じている。
この自己矛盾を受け容れる事が
素直さである。
生きていくということは、
矛盾をどう自己化していくか?ということだろう。
素直な人は、この自己化が上手い。
素直さとは、自己の意思決定に基づき、
全てを受け容れる力のことである。
良いとこ取りはできない。
極端な例えだが、
もし、自己の中に、
"相手の言ったことは全て受け容れよう"
という意思決定があったならば、
何が何でも受け容れる。
都合が良いことも、悪いことも、善も悪も、
相手の全てを受け容れる。
この行動が素直さを生じさせているのではなく、
行動以前の意思決定が素直さを生じさせている。
この意思決定が無ければ、
自己矛盾の正体が掴めぬまま、
「もっと素直になれない自分はダメだ」という
極端な自己否定か、
「好きなように生きることの何が悪い」という
極端な自己受容の
"どちらか"が生じてしまう。
正体が掴めぬ自己矛盾によって、
迷いが生じるのだ。
素直さとは、
自己と自己以外の存在全てを
自己の意思決定に基づき受け容れることである。
自己以外の存在は、
自己にとっては"異物"である。
人間は異物を自己の中に取り込んで生きている。
呼吸も食事も、
異物を取り入れる行為である。
異物を取り入れ、それを"自己化"することで
人間は生命を維持している。
この"自己化する"という行為が、
素直さであると言い換えることができるのではないか。
異物を取り込む行為には、
矛盾が付き纏う。
自己矛盾を見て見ぬふりをすることが
素直さではない。
盲目的に自己以外の存在を受け容れることが
素直さではないのだ。
受け容れることができるのは、
自己の意思決定があってのことである。
無意識に受け容れていることの裏には、
無意識の意思決定が存在する。
これを見て見ぬふりをすれば、
無意識下にある自己の意思決定に抵触し、
必ず自己矛盾が生じる。
もっと"前提"を見つめなければならない。
前提とは意思決定である。
前提を整えれば、自己矛盾を超えていける。
矛盾など起きて当たり前だと思っている。
その矛盾を自己化していくのが
生きるという事だと思う。
真に素直な人物は、
自己の意思決定に基づき、
異物を自己の中に取り込み自己化する人物である。
全ては"決める"ことから始まる。
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